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青をあつめる  作者: せせり
13歳
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7

 校舎のぐるりに植えられた桜は、もうすっかり新しい葉を茂らせて、風にそよいで揺れていた。吹奏楽部のロングトーンの音が響いている。私と苑子は、まっすぐ帰ることもせず、音楽室や図書室のある別館裏の、非常階段に座っている。

「ここに、呼び出されたの」

「ふうん……」

 勇気あるな、と思った。杉崎くんが、だ。苑子にひそかな想いを寄せる男子は、これまでもいたけど、実際に告白したのは、杉崎くんが初めてだ。

 すん、と、苑子が鼻をすすった。

 どうして苑子が泣きそうになっているのか、わからない。パニックになると、涙が勝手に出てくるものなんだろうか。杉崎くんが自分に気があることに、まったく気づいていないわけでもなかっただろうに。

「杉崎くんって、ハルくんと、仲いいじゃない?」

「うん」

 どういうわけか、ハルは男子にもてる。もてる、という言い方は適切じゃないかもしれないけど、ほかに言いようがない。杉崎くんのような、明るくて目立つタイプの男子に、特にもてる。ハルは授業中だけじゃなく、休み時間も居眠りしていることが多いんだけど、いつも周りには誰かしらがいて、ハルにちょっかいをかけたり話しかけたりしているのだ。

 苑子は、抱えたひざに、ちいさな顎をうずめた。

「じゃあ、ハルくんも知ってたのかなって。杉崎くんが、その、私のことを」

「さあ、それはどうだろう。そもそも男子って、誰が好きとか、そういう話、するのかなあ?」

 百歩譲って、男子(というか、杉崎くん)も恋バナをするとしても。ハルに相談したところで、なにも得られるものはないと思う。

「そっか、そうだよね」

 苑子は顔をあげて、浮かびかけていた涙を指でぬぐった。

「心配になったんだ? ハルが、杉崎くんに協力してたんじゃないか、って」

 長い、長い。間が、あった。

 苑子は顔を赤くして、長い髪を揺らして、こくりと、うなずいた。

「どうしてハルくんなのかわからない。いつの間にか、ハルくんばかり見るようになってて、私。ひょっとしてこれが、……って、思ったら、もう、止められなくなった」

 自分の、気持ちを。

 そう、苑子は続けた。

「ごめんね果歩ちゃん。もっと早く打ち明けたかったけど、どうしても恥ずかしくて」

「なんで謝るの? べつに、親友だからって、何でもかんでも打ち明け合わなきゃいけないって決まりはないじゃん」

 苑子の細い肩に、そっと手を置く。そだね、と、小さく言って、苑子は笑った。

 あのね果歩ちゃん、と、苑子は制服のポケットから、小さな巾着袋を取り出した。

「なに?」

「もらったの。ハルくんに」

 巾着袋に入っていたのは、琥珀。化石ガチャガチャで、ハルが当てた、数千万年前の虫を閉じ込めた、透き通った石。

「この前、神社の泉に行ったじゃない、三人で」

 団地をこっそり抜け出した、新月の夜。またたきながら、ふわふわ漂う蛍の光。

「つぎの日の。夕方ね。ハルくんがうちに来て。これ、やる、って言って。そのまま、ダッシュで帰ってった」

 苑子は、私の手のひらにある、小さな樹脂の化石を、ひとさし指でつついた。いとおしそうに、目を細めて。

「びっくりした。けど……。私の、宝物」

 ふうん。

 琥珀を、苑子の手のなかへ押し戻す。私なんかが触れていちゃいけない気がした。

 杉崎くんに呼び出された苑子の机の上、置き去りにされた文庫本を見つめていたハルの横顔が、ちらりと蘇る。

 どうしてだろう。息が、しづらい。

 苑子も、ハルも。私を置いて、どこか別の場所へ行ってしまうような、そんな気がしたのだ。

 ただ、それだけだ。

 

 鍵をまわしてドアを開けると、おかえりー、という声に出迎えられた。お母さんだ。

 リビングで、ソファに座って、たまったドラマの録画を見ている。

「ただいま。どうしたの?」

 仕事は? と、聞こうとして、そういえば今日は休みだと言っていたのを思い出した。朝はいつも嵐が来たみたいにばたばたしているのに、こころもち、今日は余裕があった。それでも、私もお姉ちゃんもがっつり怒鳴られたけど。

 私は、ひとりで帰って来た。あれから、ちょっと用事があると嘘をついて苑子と別れ、団地とは逆方向にある商店街に寄ってみたりして、でも本当にすることがなく、結局本屋で立ち読みをして時間をつぶした。

 なんとなくひとりになりたかった。たまにはこんな日があったっていいと思う。

 着替えもせず、キッチンに向かう。冷蔵庫から牛乳を取り出し、グラスに注いで一気飲みした。

「ぷはーっ」

「果歩ー。お母さんも何か飲みたいー」

 ダイニングキッチンとリビングはカウンターをはさんで隣り合っている。お母さんは、ソファにもたれかかったまま、私に命令した。面倒くさいから、お母さんにも牛乳を注いで渡した。

「コーヒーとかがよかったのに」

「だったらコーヒーって言ってよ」

「コーヒーがいい」

「自分で淹れて」

「うわ。果歩、機嫌わるっ」

 お母さんは顔をしかめた。そんな顔するとますます小じわが増えるよと言ってやりたくなったけど、無駄な諍いを生むだけだからと思いとどまった。

 お母さんからグラスを奪って、牛乳を一気飲みした。おなかを壊すかもしれない。お母さんはくすくす笑った。

「どれだけ牛乳飲んでも無駄だよ、果歩。胸がどれぐらい成長するかなんて、遺伝で決まってんだからね」

「べっつにそんなつもりじゃありません」

 いらいらする。お母さんはいつも、にやにやしながら、いかにも思春期の娘が嫌がりそうなことを言ってからかっては喜んでいる。趣味が悪い。

「小さいのが好きなオトコもいるから大丈夫」

 娘に言うせりふとしてどうなの、それって。

「気にしてないってば。いい加減にして」

 胸なんていらない。むしろいらない。

 むっとふくれてキッチンに戻る。お母さんはテレビを消して立ち上がり、カウンターから身を乗り出した。

 うざいったらない。着がえたらどこかに時間をつぶしに行こうか。今日はずっとこの調子で絡まれるかもしれないし。ため息をついて、空になったグラスを流しに置こうとした瞬間。

「そうそう。あんた、晴海くんとつき合ってんだってー?」

 不意打ちをくらって、手からグラスが滑り落ちそうになってしまった。

「ちょ、何それ」

「千尋さんが言ってた。うちの息子がごめんね、って。夜中に逢引きしてたらしいじゃん」

「ちがうから、ちがうからっ」

「まーまーまー。そんなにムキになりなさんな。あんた顔真っ赤だよ?」

「ちがっ……。千尋さんにも言っといて! ほんっとうに、何でもないから!」

 なんで今日に限ってお母さんが休みで、このタイミングで、そんな誤解を蒸し返されなきゃならないんだろう。

 ハルが琥珀を渡したのは苑子だ。

 ハルがつき合うのは私じゃなくて苑子だ。

 うちの家族と千尋さんも、苑子の家族も、みんな仲がいい。もし、この話が、苑子の耳に入ったら悲しませてしまう。ハルの耳に入ったら、心底嫌がられてしまう。

「ねーね―果歩、お母さん知りたいなー。きっかけ知りたいなー」

「バカっ」

 思いっきり怒鳴ってやった。だだっと短い廊下を駆けて、制服のまま、家を飛び出す。ほんっとうに、デリカシーのない母親で、嫌になる。

 階段を一気に駆け降りる。駆け下りる途中で、どんっ、と、大きい何かにぶつかった。

「あぶねーな。前見て歩けよ、果歩」

 ハルだ。

「……ごめん」

「いや、べつに怒ってないから。ただ、怪我するだろ? そんな猛スピードで」

 私は顔を上げることができない。立ち止まって、うつむいて、髪をしきりに触って、それでも胸の奥がざわめいて落ち着かない。

「なんか、あった?」

 へんだぞおまえ、と、ハルが私の頭に手を置いた。いたわるような、やわらかい声。

「触んないでよ。なんもないし。バカじゃない?」

「はあー? なんだよその言い方。人が心配してんのにそれはないだろ?」

 ハルが声を荒げる。

「心配してくれなんて頼んでない」

「そうかよ。じゃ、もう、知らね」

 じゃな、も、またな、も言わずに、ハルは私の横をすり抜けて階段をのぼっていった。だんだんだん、と、私のそれより重い足音が響く。ハルの足音は、すぐにわかる。わかってしまう。

 嫌に、なる。


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