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青をあつめる  作者: せせり
13歳
6/35

6

 バスケ部の杉崎くんは、毎日毎日飽きもせず、ハルのところへ遊びに来る。毎日毎日飽きもせず、苑子に熱のこもった視線を投げる。

 苑子はうつむいて、ノートにひたすら英単語の書き取りをしている。五時間目の英語の小テストのためだろうけど、それ以上に、杉崎くんと目を合わせる事態を避けたいんだろう。顔を赤くして、眉をつりあげて、必死にシャーペンを動かしているのだ。私とちがって、苑子は、そんなにがむしゃらにならなくたって、テストでは難なく高得点をとれる子なのに。

本来ならばがむしゃらになるべき人間である私は、なんにもやる気がせず、開けっ放しの窓から吹きこむ風をうけてカーテンがふくらむのを、ぼんやり見やった。

杉崎くんの視線攻撃、私だって、ちょっと居心地が悪い。こっちが恥ずかしくなってしまうというか。

「果歩。ちょっと、いい?」

肩を叩かれて振り返ると、野村真紀がいた。うちのクラスで、いちばん目立つグループにいる子。小学校は違うけど、一年の頃は同じクラスだった。ナチュラルに、華やかなポジションに立つことができる子だ。敵に回したら面倒くさいという噂のある子だから、今まで、つとめてにこやかに、つかず離れずの距離を保ってきた。

「なに?」

 にっこりと、笑顔をうかべる。真紀のことは嫌いじゃないけど、好きでもない。カテゴリーの違う子、という認識。制服の着こなしもあか抜けてるし、髪もさらさらで、たぶんストレートパーマをかけてるんだと思う。うちだったら、「そんなことに使うお金はない」とか言って許してくれない、絶対。

 真紀は、口の端を曲げて意味ありげに笑うと、私の制服のひじのあたりをちょんとつまんだ。立ち上がって、苑子に手を合わせて、「ゴメン」と口パクで伝える。

 真紀は私の袖をつまんだまま、廊下に連れ出した。

 廊下の窓も開かれている。さらりとした風にのって、萌え出たばかりの緑の匂いが運ばれてくる。

「もうすぐ五月だねえ……」

 目を細めて、わざと、おっとりとした口調で言ってみる。真紀はいつもよりぴりぴりした雰囲気で、うかつに触れると感電してしまいそうだ。

「そうだね」

「好きだなあ、五月」

「それより果歩」

 真紀はじれったそうだ。即行で本題に切り込むつもりなんだろう。

「二宮さんから何か聞いてる?」

「何かって?」

 どうやら、苑子の話、らしい。とすると、おそらく。

「何か、って。その、リョウくんのこと」

「杉崎亮司くん?」

 やっぱりそうか。心の中でため息をつく。面倒くさいことになった。

「そう。ぶっちゃけ、つき合ってるの? あのふたり」

 私は首を横に振った。真紀はあからさまにほっとしている。

「真紀ちゃんって、まさか、杉崎くんのこと」

 ちがうちがう、と、真紀は慌てて手をぶんぶんと横に振った。

「いや、あたしじゃなくって瞳がね?」

「森川さん? 一組の」

 しゃべったことはないけど存在は知っている。目立つから。ちっちゃくてよく笑う、くりくりと大きな瞳が印象的な子。仲間に囲まれて、天然キャラだっていじられているのをよく見かける。

「そう。あたしの親友なんだけど。瞳ね、リョウくんとつき合ってるんだよね」

「そうなの?」

 それは知らなかった。

「だけどさ、リョウくん、いきなり、瞳のこと彼女じゃないって言い出したらしくて」

「ふうん……」

 腑抜けたリアクションしかできない。私には無縁の話すぎて。真紀や森川さんは、やっぱり私とはちがう次元に生きている子だ。

「ひどくない?」

「あ。うん。そだね」

 ひどいんだろうか。そもそも、杉崎くんと森川さんに、認識の違いがあったという可能性はないんだろうか。と、思ったけど、とてもじゃないけど言い出せない。

 真紀は私のことを探るような目でねめつけた。

「二宮さんのせいだと思うんだよね。絶対」

「…………」

 まずい流れになってきた。

「あたし。前から思ってたんだけど。二宮さんってさ」

 チャイムが鳴った。昼休みが終わる。真紀は、続きのことばを飲みこんだ。

「行かなくちゃ。私、単語テストやばいんだよね」

 とりあえずそう言って笑みをうかべてみせたけど、頬の筋肉がうまく動いてくれなくて、きっと私の顔は引きつっているんじゃないかと思う。真紀はふうと息をつくと、

「今さら単語帳見ても遅いよ」

 と、少し笑った。


――前から思ってたんだけど。二宮さんってさ。

 ためらいがちに声をひそめた、真紀。

小テストの紙が配られる。まったくもって思い出せない英単語のスペルの代わりに、真紀のせりふが脳内でリフレインしてる。

二宮さんってさ。

つづきのことばがたやすく浮かんでしまう自分を、持て余している。

これなら、真紀が全部言ってくれたほうがよかったと、ずるいことを考えてしまう。

私は苑子が好き。一点のくもりもなく、好き。

だけど、きっとみんなはそう思ってはいない。

要領よく、クラスのどのグループ、どの階層の女子たちとも話を合わせられる私とちがって、苑子は臆病だし、ぽんぽんはずむ会話のテンポにもいまいち乗っていけない。

「果歩のこと誘いたいけど、二宮さんも一緒なら、ちょっと……」

 とか、

「果歩はいいけど、二宮さんは、ちょっと、何話していいかわかんない。気を使っちゃう」

 とか。言われたことは、一度や二度じゃない。

 さっきの真紀は、きっと、もっと鋭いことばを口にしようとしていた。私はそれを、瞬時に察してしまった。

 あと一分ー、と、先生が声を張り上げた。私はどうしても、目の前の問題に、集中することができない。

 結局、小テストは散々な出来で、私は放課後に間違った単語の書き取りをして先生に提出することになってしまった。

黙々と作業をこなす。脳にスペルは刻み込まれない。マシーンと化して、ただ、ひたすらに手を動かすだけ。

 私だけじゃない。ほかにも、ちらほら、居残り命令が出されたクラスメイトはいる。ハルも、だ。ハルは数学や理科は得意だけど英語は苦手。ザ・理系って感じの偏り方。私はというと、全教科まんべんなく苦手だ。

苑子は自分の席で、文庫本を読みながら、私のノルマが終わるのを待っている。

ラストの単語のラストの一文字を書き終えて、ノートを閉じて。のびをしてぐるぐると肩を回す。あとは職員室に行って先生に提出するだけだ。その前に、苑子にひとこと言って行こう。

立ち上がり、苑子の席のほうを見やると、杉崎くんがいた。杉崎くんが、赤い顔して苑子に何か話しかけている。苑子は文庫本を閉じた。きゅっと、口を引き結んでいる。立ち上がり、ふたり連れだって教室を出ていく。

苑子のもとへ行くタイミングを失って、私はただ、その様子を見守っていた。今まで苑子のことを見ているだけだった杉崎くんが、ついに、行動に出たのだ。

苑子のとなりの席の、ハルに視線を移す。ハルは、シャーペンを動かす手を止めていた。

私はなんだか落ち着かなくて、肩にはまだ届かない半端な長さの自分の髪を、ひとたば、人差し指に巻きつけてはほどき、巻きつけてはほどき、していた。立ち上がったままで。職員室に行くこともせずに。

ハルはまだ止まっている。かちりと、一時停止ボタンを押されたみたいに。

たぶん、今、苑子は告白されている。

ハルもそのことに気づいている。自分の友達が、苑子のことを好きで、ついに思いを告げる決心をしたことに。

ハルが、ふいに顔を上げて、苑子の席を見やった。苑子の机に置かれた文庫本を、見つめた。その、表情(かお)が。

知らないひとみたいだった。小さい頃から一緒にいる、私のよく知ってるハルじゃない。寝ぼけてあくびをしたり、寝癖のついた頭を無造作に掻いたり、ガチャガチャに一喜一憂したり、未確認飛行物体をさがして空を見上げたり。そんな、私の、幼なじみじゃない。

どうしてだろう。急にいたたまれなくなって、ハルの席に駆け寄った。後ろから、ぽこんと頭をはたいてやる。

「まじめに書き取りしなよ。ばーか」

 戻ってきてよ、ハル。

「ばかって何だよばかって」

 ハルはむくれた。少しだけ、ほっとする。

 私は、ハルの席の前の席の椅子に座った。 

 しばらくして、苑子がふらふらと戻ってきた。ひとりだ。私は立ち上がる。

「かほちゃん」

 苑子の顔は真っ赤だ。もともと色白だから、花がほころぶみたいに、さあっと色づくのだ。

「わ、私」

 私は苑子の両手をとった。

「見てた。なんとなく察してる。で、その」

 どうするの、と、声をひそめる。苑子は首を横に振った。ぶんぶんと、何かを振り払うように、何度も、首を横に振った。

「こ、ことわった。だって、だって私」

 苑子は目に涙をいっぱいためている。

 杉崎くんじゃ、ないんだ。苑子の好きなひと。

やっぱりな、と思う自分がいた。

 気づかないふりをしていた。苑子の想いの矢印が向かう相手なんて、最初から、限られている。限られているというか、ひとりしかいない。

「一緒に帰ろう」

 ささやくように、告げる。苑子はちいさくうなずいた。

 ハルのほうは、見れなかった。

 

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