5
木々に囲まれた、道なき道を登っていく。ハルが先頭に立って、懐中電灯で帰り道を照らす。ハルの背中が目の前にある。私は、真ん中。苑子の手を引きながら進む。
「会いたかったっていうか。知りたかったの。教えてほしかったんだ」
苑子がおもむろにつぶやく。
「私の弟、今、どこにいるのって。そもそも、どこから来たの、って。ふたごだったってことは、同じ場所からやってきたんだと思うの、私たちは」
「俺も考えるよ。そういうこと。死んだらどうなるんだろうって考えたら怖くなって。絶対終わるし。俺って存在。俺が消えたら世界も消えるのかな、とか。だけど俺が生まれる前にも世界はあって。宇宙はあって。でも、そもそも宇宙のはじまる前は無だっていうじゃん。それって何なんだ、って。どんどん、わかんねーことが、広がってくの」
ハルはいつもより妙におしゃべりだ。後を振り返らず、ずんずんと進みながら、うまくいえねー、わかる? この感じ、と、じれったそうに言う。
わかるよと苑子が答えた。
考えても考えても、こたえの出ないこと。なのに、とらわれてしまう。
神社まで戻ってきた。大きな楠の梢が揺れる。ちっぽけな私たちのことを笑っているみたいだ。三人、立ち止って、夜風に吹かれる。
「ハルくんも、果歩ちゃんも。何も感じなかった?」
ふいに、苑子がつぶやく。
「なに、を?」
「蛍の声。聞こえなかった?」
私とハルは顔を見合わせた。
急に不安になって。心もとなくなって、苑子の腕をつかむ。苑子は笑った。
「ごめん。なんでもない。私も、なにも聞こえなかったよ」
急ごう。明日も学校だしね。と、苑子はことさらに明るい声を出す。それがやけにひっかかった。だけど、私もハルも、それ以上追及することはしなかった。
森を抜けて。公園を横切って。私たちの住む団地へ。日常のある場所へ。
A棟の下で苑子に手を振る。ハルは大きなあくびをした。
「明日起きれるの?」
ただでさえ、朝が苦手なハルだ。家を出るタイミングが私よりずいぶん遅いみたいで、隣同士なのに、中学生になってからは一度も、朝、かち会ったことはない。
「休みたい……」
「休んだら、サボりだって先生に言いつけてやるからね」
ハルがむっとふくれて、私をこづいた。
「晴海」
低い声が響く。びくっとふるえて、声のするほうを見やると、E棟の階段のそばに、千尋さん――ハルのお母さんがいた。私は反射的に、ハルの背中の後ろにかくれた。やばい。
「不良息子。どこ行ってたの? 小川商店のあたり、探してみたけどいないし」
千尋さんはボーダーの長Tシャツにゆるっとしたグレーのズボン。肩まである茶色がかった髪は、おろしている。完全に寝る恰好だけど、それでも綺麗だ。何歳なのかは知らないけど、うちのお母さんよりかなり若いんだと思う。肌のハリがちがう。まったく「おばさん」という感じがしなくて、小さい頃から、私も苑子も、「千尋さん」と、自分の親が呼ぶのと同じ呼び方をしている。千尋さんはそんな私たちをおもしろがっていた。
いつもにこにこ優しいひとだけど、さすがに今は、全身から怒りのオーラが出ている。迫力たっぷり。
ハルが以前、こっそり、「母さん元ヤンなんだよ」と教えてくれたことを思い出した。
「近くにいるってメールしたろ?」
ハルの声にとげが生えている。反抗期ってやつだろうか。バトルの予感しかしない。
千尋さんは大きくため息をついた。
「こんな時間に、女の子を連れ回すなんて、聞いてない。考えられない」
やばい。私は縮こまった。
「隠れないで出ておいで、果歩ちゃん」
おびえている子猫にかけるみたいな、やわらかい声。私は小さく小さく身をすくめて、はい、と返事をした。自分の声が、かすれている。
「あのね、晴海。果歩ちゃん。何も、こんな時間にこそこそ会わなくたって、私も果歩ちゃんのお母さんも反対はしないよ? むしろ応援する」
「えっ……」
ちょっと待って。なにか、勘違いしてる?
「私たち、べつにそんなんじゃ」
「いいから」
千尋さんは私のことばをさえぎった。
「ふたりとも。とくに、晴海。お互い、ほんとうに好きなら、自分にストップをかけなきゃいけない。なんのこと言ってるかわかる? あなたたちは、まだ、中学生。子どもなんだからね。夜中にふたりきりは、だめ」
「ちょっと待って。ちがいます、ほんとにそんなんじゃないですから」
す、好きとか。お互い好き、とか。冗談じゃないし。
千尋さんは、ふっ、と、優しい笑みをうかべて、私の頭に手のひらを置いた。そして、ぽんぽん、と撫でた。
「恋っていうのはね。ゆっくり、じっくりと、あたためていくものよ。急がないで。晴海には、果歩ちゃんを大事にするように、たーっぷり言い聞かせておくから」
「あ、あの」
どうしよう。完全に、誤解されてる。こんな時間にふたりでいるところを見られたら無理もないかもしれないけど、じゃあ何をしてたんだって言われたら説明できないけど。でも。恋だなんて。やめてほしい。顔がかあっと熱くなって、頭がくらくらしてきた。
「自分は失敗したくせに、よく言うよ」
ハルが、吐き捨てるように言って、私はすっと冷めた。水をかけられたみたいに、一気に、冷えた。
「晴海」
「俺と果歩がつき合うわけないじゃん。ありえないから。な?」
ハルが私の目を見る。ありえない。当たり前だ。私だって、いつか誰かに恋をする日が来るかもしれないけど、ハルだけはありえない。
強く。強く、うなずく。
「ずーっとずーっとオトモダチです。私たちは」
ハルから、ふいっと顔をそらす。
「意地っ張り」
千尋さんがつぶやいた。どこか、からかうような、おもしろがるような響きでもって。なんとなく居心地が悪い。だけど、もう、怒ってはいないみたいだ。
ずっとオトモダチ。
私はハルを好きになることはない。
音をたてないように気を遣いながら鍵を開け、忍び込むようにして自分の家へ帰る。部屋では、お姉ちゃんが掛布団を蹴飛ばしてすうすう眠りこけている。着がえて、となりの布団へ滑り込む。
からだは疲れているのに、頭の芯が冴えて、眠れない。目を閉じて寝返りを何度もうつけれど眠れない。いろいろなことがまぶたの裏に浮かんでは消えた。蛍の光のように。
そうしているうちに、やがて、闇が薄くなり、空が白みはじめた。
夜は去り、朝が来たのだ。