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青をあつめる  作者: せせり
13歳
4/35

4

月のない夜。日付の変わる三十分前に、集会所の前に集合。

私の家族は、みんな早く寝てしまう。だから、自分も寝たふりをして、頃合いを見計らって、家族を起こさないようにこっそり抜け出せばよかった。

そっとドアを閉めて鍵をかける。となりのハルの家は、まだ明かりがついている。

階段を降りる自分の足音が、いやに大きく響く。このあたりでも、不審者が出たという話を時折聞くから、うちの親もナーバスになっていて、夜にひとりで出かけるのなんて、たとえ近所であっても許してくれない。

どきどきしていた。

昼間はあんなに暖かかったのに、深夜の空気はひんやりしている。芽吹いた緑のにおいも、花のにおいも。昼間より濃い気がする。夜のあいだに植物も成長するんだろうか。しっとりと濡れたような闇のなか、外灯のひかりが滲んでいるように見える。

集会所のまわりにも、取り囲むように、あじさいが植えられている。

外灯に照らされて光る若いあじさいの葉っぱたちにうずもれるようにして、小さな影がしゃがみこんでいる。

影が立ち上がる。苑子だ。私を見つけて、大きく手を振った。

「びっくりしたー。なんで苑子、座りこんで気配消してんの」

 小さい頃、かくれんぼをした時のことを思い出した。茂みに隠れて息を潜めていた苑子を。

「気配消えてた? ごめん。私ひとりだけ早く来すぎちゃったみたいで、ちょっと心細かったんだ」

「それで隠れてたの?」

 隠れてどうすんの、と思ったけど、言わなかった。ちょっと気持ちがわかる気もしたから。大人に見つかったら叱られて連れ戻されるだろうし、団地に、よからぬことを企むよからぬ輩が忍び込んで狙っていないとも限らない。それに。

 もっと得体のしれない何かが、闇のなかから手を伸ばしているような。その手につかまって、どこか知らない世界へ引き込まれてしまうような。そんな、漠然とした不安。

 苑子のやわらかな手を、ぎゅっと握った。苑子も握り返してくる。

 苑子の弟には会えないだろうという気持ちには、変わりはなかった。だけど。

 弟の代わりに、私がいる。苑子と、ほんとのきょうだいみたいに、寄り添って一緒にいる。ずっとずっと、これまでも、これからも。

 と、E棟のほうから、のっそりのったりと、ハルが歩いてくるのが見えた。羽織ったパーカのポケットに両手を突っ込んで、うすい背中をまるめて。

「遅刻のくせにちっとも急がないとこがむかつく」

 言ってやったら、苑子がくすくすと笑った。


 団地の敷地を出て、息吹が丘公園へ向かう。

 前を行くハルのパーカの裾をちょんと引っ張る。

「なんだよ」

「千尋さん、今日、夜勤だったの?」

 いや、とハルは首を横に振る。ハルのお母さんの千尋さんは看護師をしていて、夜勤に入ることもあるのだ。

「じゃ、なんて言って出てきたの?」

「べつに。ちょっと外で星の観察してくるって言って、普通に出てきた」

「それで、許してくれたの? こんな時間に?」

「あんま遠くに行くなとは言われたけど」

「ふうん」

 やっぱり男子だからなんだろうか。星の観察だから大目に見てくれたんだろうか。ともあれ、うちでは絶対にありえない。

 息吹が丘公園は、遊具のない、ただ広いだけの空間にベンチがぽつぽつあるだけ、という感じの公園だ。だからなのか、小さい子どもはあまり来ない。朝方は、じいちゃんばあちゃんがゲートボールをして、昼間には中高生がサッカーや野球をして、時々、夏祭りなどのイベントに使われることもある、そんな場所。

 三人、言葉少なに公園をつっきって歩いて行く。先頭をすすむハルが懐中電灯を持っていて、そのかぼそい光は右に左にふらふらと揺れる。

 神社のある森と、公園の境目は曖昧だ。フェンス等の仕切りはなにもない。木々の間を縫って進めば、すぐに小さな鳥居があらわれ、その先には古い石段が続いている。

転ばないように、ゆっくりと、一段一段確かめながら登って行く。私と苑子は手をつないでいる。ハルは時々振り返って私たちに声をかける。

 闇は深い。黒のフィルターを、もう一枚重ねたみたいに、森は暗くて、でも、木々たちがひっそりと呼吸をしているような、眠っている生き物たちが潜んでいるような気配が、肌に刺さるような気がして。

 葉擦れの音がする。

ここの空気を、昼間ならむしろ清々しく感じるのに、今は、少し。

「怖い?」

 ふいに、ハルがつぶやいた。立ち止まって、懐中電灯のまるい灯りを、私たちに向ける。

「怖くないし」

 ハルの声が、なんだかおもしろがっているように響いたから。だから私は、つっけんどんに言い返した。いつもみたいに。

「そりゃ果歩は怖くないだろうけど」

「どういうイミ?」

 やいのやいの、言い合っている間に石段を登り切った。しっとり湿った土を踏みしめて歩く。苑子は私の腕に自分の手を添わせた。

「ごめん。果歩ちゃん。私ね、実は、ちょっと、怖い」

「怖いもなにも、弟に会いに来たんだよ? 大丈夫?」

 死んだ人に会えるってことは、つまり、幽霊を呼び出すってことじゃん? と、諭すように続けたら、苑子は、

「それとこれとは話が別だよ。夜の神社だよ? 背すじ、寒くなるじゃん」

 と、頬をふくらませた。私はため息をついた。

 そりゃ、私だってそうだけど。正直、いい気分はしないけど。でも。

 苑子は、ほんとうに、こういうシチュエーションで、「怖い」と言ってすがりつくようなしぐさが似合うコだ。だけど私はそうじゃない。

「怖いなら、帰る?」

 ハルが、いたわるように言った。苑子は私にしがみついたまま、ぶんぶんと首を横に振る。こう見えて、一度決めたことはくつがえさない。苑子は案外頑固なのだ。

「じゃ進むけど。無理すんなよ」

 ハルは優しい。苑子には、優しい。ハルだけじゃない、うちのお母さんも、ハルんちのお母さんも、団地の大人たちも、みんな苑子に優しい。

苑子は、まわりの人に、いじわるをされるか、優しくされるか、そのどっちかで、間がない。

 私は、どうなんだろう。

 こじんまりした社殿をすりぬけて奥へ進むと、大きな大きな楠がある。この先には石段はなく、長年、人に踏み固められてできた、細いけもの道があるだけ。ところどころ張り出した木の根っこにつまずかないように、ゆっくり下っていくと、ふいに木々が途切れて水の音が近づく。

 小さな池だ。

 かすかな星明りの下でも、池の水が澄んでいることはわかる。湧きだした水が土をけずって細い川になり、ちょろちょろと流れ出している。そのそばには、水神さまを祀る小さな社。

 三人並んで、柏手を打ってお参りすると、することがなくなってしまった。午前零時を待つだけ、だ。

 ポシェットから携帯を出して時間を確認する。二十三時五十七分。あと、三分だ。

 液晶画面の放つ青白いひかりが、なんだかこの雰囲気に似つかわしくないような気がして、すぐに仕舞った。

私のとなりには苑子。そのとなりには、ハル。苑子をサンドイッチするようなかたちで、身を寄せ合ってそのときを待っている。

 だれも、何もしゃべらない。もう、薄闇にも目が慣れている。清水の流れる音、泉を抱くような森、かみさまの社。噂なんか信じてなかったはずなのに、いつの間にか、ほんとうに「あっちの世界」から何かがやって来ても不思議じゃないような気がしていた。

雰囲気に、飲まれていたのだ。

 ハルも、苑子も、そうなんだろう。つないだままの苑子の手は、汗でしっとりと湿っている。たがいの息遣いだけが、この、かみさまの泉のほとりで、響いている。

 ぬるい風が吹く ざあっと、神社の森の木々が、一斉に梢を揺らした。

静寂が、破られた。

 きっと、もう、三分経ったのだ。いま、ちょうど、午前零時なのだ。確認したくても、携帯をもう一度取り出す気にはならなかった。ただ、かたずをのんで、さざなみのたつ水面を見つめている。

 あの波紋のまんなかから、きっと。会いたいひとが、あらわれる。私たち三人は、確信していた。もうすっかり、信じ切っていた。

 だけど。すぐに波は消え、もとの、鏡のようなつるりとした水面に戻ってしまった。

「もう一度願ったら、風が吹くかもしれない」

 ハルがつぶやいた。三人、目を閉じて祈る。

 たんなる好奇心でここまで来た。弟に会いたいという、苑子自身の想いでさえも、きっと、もっと、雲のようにふんわりしたものでしかなかったと思う。

 なのに、気づいたら、必死で願っていた。どきどきしていた。

 そっと目を開ける。どれくらい時間が過ぎたのだろう。

 感覚がない。わからない。だけど、何も現れないし、何も聞こえないし、何の気配も感じない。

 となりにいる苑子は、まっすぐに水面を見つめ続けている。ハルに視線をやれば、あきらめたように、首を横に振った。

 目が覚めた。どうかしていた。いくらなんでも、死者を呼び出せるわけがない。

 すうっと、熱が引いていく。ばかばかしい。

「苑子。苑子、帰ろう」

 ささやくと、苑子は、我に返ったように、びくっとからだを震わせた。

「帰ろう。悪いけど、うちの母さん、相当怒ってる」

 ハルが携帯を掲げてみせた。

「めっちゃメール来てる。近くにいるから大丈夫だって返信したんだけどさ」

「電話しなよ」

「ん。おまえらも早く帰らないとやばいな」

「うちはみんな爆睡してるからばれてないと思うけど」

 私とハルがぶつぶつ言い合っているそばで、苑子は、ひとことも発せず、惚けたような顔をしている。

「苑子ー。苑子、帰るよ」

 残念だったけど、と、いたわるように彼女の肩を叩いたら、苑子はゆっくりと首を横に振って、つぶやくように、言った。

「ほたるが、飛んでた」

「え?」

 まさか。いくら初夏のような陽気が続いていたとはいえ、まだ4月だ。いくらなんでも蛍がいるわけがない。

「本当よ。ほら」

 苑子が指差すほう、池の脇の茂みに目を凝らす。

「あっ」

 ハルが声をあげた。あっ、と、私の口からも、まぬけな声が漏れ出る。

 光がある。青白い、かぼそい光が、ゆっくりと瞬いている。

 蛍の光は、点滅しながらふわりと飛びあがった。ゆらゆらと水面のほうへ。

「一匹だけ……?」

 苑子のつぶやきに反応したかのように、池のほとりに、光の粒が現れた。ふたつ、みっつ……、たくさん、いる。無数の蛍が、ふわふわと飛び交いながら水面を照らす。苑子の瞳にもその光は映って、ふっと消えて、また灯る。

 星のように。ゆっくりとまたたく青白い光。

 信じられない。

 言葉も忘れて魅入っていた。美しかった。蛍達も、……苑子も。

 やがて苑子が、「帰ろう」と静かに言って。私とハルは、うなずいた。

 結局。苑子の弟の魂が戻ってきたのかどうかは、あやふやなままだ。

 ただ、飛び交う蛍の光の残像がいつまでも消えない。


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