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青をあつめる  作者: せせり
17歳
30/35

18

どんどん夜は深くなっていく。私たちはただ、隣り合って寝ているだけ。私の、制服のスカートのプリーツは、きっと皺くちゃになっている。とうに電気を消しているのに目は冴えて、まったく眠れそうにない。

母には、亜美の家に泊まるとメールを送っていた。亜美にも。そういうことにしておいて、と。送った。

炬燵布団の中でつないだハルの手は、温かい。大きくて、私の手をすっぽりと包みこんでしまう。ただ、そのぬくもりだけで、私は。

寝返りを打ってハルのほうを向く。曲げた膝の真上にヒーターがあって、熱い。ハルの顔がすぐ近くにある。ハルが私のほうに身を寄せ、つないでいないほうの手を私の髪へ伸ばす。そろそろと撫で、それから、意を決したように、私の頭を引き寄せた。暖まった炬燵布団の中で、私はハルの胸のなかにうずもれて、苦しくて、熱くて。

このまま時が止まってしまえばいいと。思った。

ハルの背中に手を回す。ぎゅっ、と、力をこめる。ハルも。私を、きつく抱きしめる。

「ごめん果歩」

 謝らないで。

「おふくろ、が」

「うん」

「かなり悪くて」

「うん」

「卵巣癌なんだ。試験開腹するって、入院して。切ってみたら、もう、手がつけられないぐらいに広がってた、って」

 癌。手がつけられない。

すうっと、頭が、体が、冷えていく。全身の血が凍っていくみたいだった。ハルの声が震えている。私はハルの背中を撫でた。一生懸命くっついていないとどうにかなってしまいそうだ。

「卵巣の腫瘍って、試験開腹してみないと、悪性かどうか確定しないらしくて。ほぼ悪性で間違いないだろうって言われてたけど、もしかしたらって、望みをつないでた」

 だけど、と。ハルは声を詰まらせる。私は続きの言葉を待った。嫌な動悸がしていた。溺れないように、見失わないように。必死に、ハルにしがみつく。ハルも。私に。

「おふくろが今日話してくれた。手術のあと、おふくろ、ひとりで医師(せんせい)から説明受けてて。それを、俺にも。淡々と。これからの治療についても。それから、」

 私は何の言葉も持たない。震えているハルを、ただ、抱きしめているだけ。

「ごめんね、って」

 ハルは泣いている。私を掻き抱いたまま、ハルは泣いている。痛みに耐えるように、嗚咽をこらえて、それでも涙は溢れて。

「どうして、どうして」

 低いつぶやきは、悲鳴のようで。

「もっと気遣ってやればよかった。ずっと、きついきついって言ってたんだ、歳のせいだっておふくろ、笑ってたけど。俺がもっと、気をつけて見ていれば。こんなになるまで、なんで気づけなかったんだろう」

「ハル」

 手を伸ばして、ハルの髪に触れる。こんなことしかできない無力な自分。それでも。

「自分を責めないで」

「俺のせいだ」

「違う。ハルのせいじゃない」

――果歩ちゃんのせいじゃない。

鼓膜の奥に、千尋さんの声が蘇る。私が。苑子を亡くして、千尋さんの前で泣いた時。ずっと背中を撫でてくれていた手の優しさを忘れない。あの時の私が、一番欲しかった言葉をくれた千尋さん。

 信じたくない。だけど、私たちはもう、既に、知ってしまっている。ある日突然、地面に穴が開いて、底知れない暗闇から手が伸びて、大切な人を引きずりこむ。本当に突然なのだ。当たり前に続くものなんてない。今日と同じ明日は来ない。

今は。今はただ、ハルを守るだけ。ハルが飲みこまれてしまわないように、私が繋ぎ止める。

そばにいる。


――鮮やかな青が揺れる。曇り空に映える真っ青な傘。苑子、と、声をかけると。傘の中の少女は、ゆっくりと、振り向いた。

「苑子!」

 私は駆け寄った。苑子の白い夏服が眩しくて目を細める。やっと会えた。

 どうしても伝えたいことがある。

 あの頃言えなかった私の気持ち。そして、今の私の決意。

 真っ先に、苑子に。

親友の、艶やかな髪に、滑らかな白い頬に、触れようと手を伸ばした。だけど指先は宙を掻いた。苑子の輪郭はおぼろで、微小な雨粒をまとって淡く光っている。

「苑子……」

 苑子のかたちのいい唇が開く。何かを、私に。伝えようとしているみたいだけど、聞こえない。苑子の声は届かない。私は目を凝らした。ゆっくりと唇は動く。

 あ、い、に、き、て。

――会いに来て。

 会いに来て、って。どこに? 尋ねようとした瞬間、目が覚めた。

 苑子のいない世界は、現実は、深い闇に包まれていた。

 ハルは、隣で寝息をたてている。その頬に、そっと触れる。指先で、なぞる。

 私はゆっくりと起きあがった。だんだんと、目が暗闇に慣れてくる。

ひどく寒くて、部屋の隅に畳んで置いていた自分のコートを手にして、羽織った。

窓辺に寄り、カーテンをそっと開ける。雨粒が次々とガラスにぶつかって流れ落ちていく。

かつて、千尋さんが育てていた野菜や花であふれていたベランダには、今は、空のプランターが重ねて置いてあるだけ。

苑子の青い傘の残像は消えない。

苑子。教えて。

もう誰も失いたくないのに、どうしてみんな、いなくなってしまうの。

あなたは今、一体、どこにいるの。

窓を伝う雨の雫を見つめながら、私は考えていた。

つぎの新月はいつだろう、と。


 

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