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青をあつめる  作者: せせり
13歳
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3

 苑子の好きなひとは誰だろう。いっこうに、苑子が私に打ち明けてくれることはなかった。ただ、頬杖をついてぼんやりして、私が話しかけても気づかなかったり、休み時間のたびにトイレに行って髪を整えたり、そんなことが増えた。

「晴海ーっ。まーた寝てんの、おまえ」

 明るくてよく通る声が、まったりとあたたかい昼休みの教室に響く。

 となりのクラスの杉崎亮司くんだ。バスケ部のエースで、次期キャプテンとか言われているひと。すっきり爽やかで、笑うとえくぼができて、常にひかりを浴びている。当然、すごくもてる。私はそういうのに興味はないけど、それでも、杉崎くんの八重歯は、ちょっとかわいいかなって思わなくもない。

 杉崎くんは最近、昼休みのたびにうちのクラスに来て、ハルにちょっかいを出す。

 ハルの席は苑子の席のとなりで、私は休み時間はいつも苑子のそばの椅子に座っておしゃべりしているから、杉崎くんたちのやりとりはばっちり目に入る。

「……んだよ、起こすなよ、りょーじ……」

 寝ぼけまなこをこすりながら、机に突っ伏して眠りこけていたハルが身を起こす。杉崎くんは可笑しそうに笑いながらハルの背中をばんばん叩いて、それから、苑子のことを、ちらりと見た。

 ほんの、一瞬。

 だけど、その「一瞬」が、何度も何度も訪れるのだ。

 恋愛方面に疎い私でも、さすがに気づく。杉崎くんは、苑子に会いたくて、ハルのところに来るのだと。それぐらい、杉崎くんの「視線攻撃」はあからさまで、苑子はどうなんだろうと、こっそり親友を観察してみれば、赤い顔をして、なにかに耐えるように口をぎゅっと引き結んで、杉崎くんの視線を避けている。

 杉崎くんなのかな、と思った。そのときは。苑子の、思いの矢印の、先にあるひと。

 その日の帰り道、聞きだそうと思っていた。だけどきっかけがつかめないまま、いつものようにオガワでお菓子とジュースを買い、嫌味な数学教師の悪口を言いながら、長い坂道を登った。

 団地の敷地内の小道を歩く。道路に面したほうにはけやきの木々が連なり、反対側の道沿いにはあじさいがずらりと植えこまれ、その葉をこんもりと茂らせている。その奥にA棟がある。敷地に勾配があるから、A棟の奥にB棟、C棟、E棟……、と、段々畑のように連なって見える。奥の棟へ行く小道にも、ゆるやかな傾斜がついている。

 案内板の脇にも、あじさい。

 遊具のある小さな公園と集会所の間に、藤棚がある。その下のベンチは、今日は空いている。ラッキー。今、ちょうど花盛りだから、ここは、いつも誰か――お年寄りとか、公園で子供を遊ばせている若いママたちとか――に、占拠されているのだ。

 うすむらさき色の藤の花が、風を受けてはらはら散っている。

 苑子と私は隣り合って座り、さっき買ったジュースのペットボトルを開けた。

 ひと口、飲んでから。私は切り出した。

「ずっと気になってたんだけど、苑子の好きなひとって、す」

 杉崎くん、の、す、まで言ったところで、苑子はふっと立ち上がった。その視線の先をたどれば、うすい背中をまるめて駆けてくるハルがいた。

「なーんだ。ハルか。あいつもヒマだよね」

 ハルは一応生物部に所属してるはずなんだけど、ちっとも活動している気配はない。というか、生物部自体、何をしている部なのか、いまいち謎だ。

 藤棚にたどり着いたハルは息を弾ませて、じゃーん、と、ガチャガチャのカプセルを私たちに見せつけた。

「なになに? ついに出た? 恐竜の歯」

「残念ながら」

 ハルは首を振って、それから、にんまり笑った。

「だけど、いいのが出た。おまえらもテンションあがると思う」

カプセルの中身は、琥珀だった。

「わあっ……」

 これって本物なんだろうか。ハルから受け取った石のかけらを、ためつすがめつする。透明で、黄味がかったうす茶色で、陽に透かすときらきら光った。この前もらった直角石の化石とは大違い。宝石の輝きだ。

「なんかいる。虫?」

 苑子がつぶやく。氷砂糖ほどのかけらの真ん中に、小さな小さな、こげ茶色の粒が見える。

「たぶんね。めちゃくちゃラッキーだよ。虫入りの琥珀なんて」

 ハルが得意げに鼻をふくらませた。本当に? 小さすぎてわかりづらいけど、言われてみれば、羽のようなものがついているような気が、しなくもない。

「ヤダ。虫とか」

「バカだな果歩は。すげーんだぞ? 琥珀っつーのは樹脂の化石なんだけど、その中に生き物が閉じ込められて、当時の姿のまま、綺麗に保存されてんだよ。奇跡だろそれって」

「当時っていつよ」

「さあ……。数百万年とか、数千万年とか、それぐらい前じゃね?」

 すうせん、まん。

 苑子の小さなつぶやきが風に揺れた。藤の花房が、私たちの頭上で、さやさや音をたてる。

 数千万年だなんて途方もなく長い時間、むしろ永遠に等しい。

 私たちは、そっと、琥珀をハルの手のひらのなかへ戻した。大昔、空を飛んでいた小さな虫。なんの因果で、この時代の、日本の冴えない地方都市の、しかも中心部からはずれた山手の町に住む、冴えない男子中学生のもとへたどり着いたんだろう、そう思うとおかしくなって、少し笑った。ハルもつられて、ちょっとだけ笑った。

 苑子は笑わなかった。

「ちょっと、怖くなるときって、ない? そういうの」

 かわりに、そう言った。

「そういうのって?」

「数万年前とか、数億年前とか、地球がはじまる前とか、宇宙がはじまる前とか、そういう話」

「わかる」

 ハルの声は、低くて、普段より、ずっしり重く響いた。ハルが苑子の隣に腰かけると、苑子は一瞬、ぴくっと体を震わせて、そして、すぐに気を取り直したように、続けた。

「あのね。私。本当は、弟がいたんだって」

 あまりに唐突な告白に、面食らってしまう。

「どういうこと?」

「ふたごだったらしいんだ。でも、弟のほうはおなかの中で死んでしまって、私だけがすくすく育って無事に生まれてきたらしいの」

「それじゃあ……」

 苑子のお母さんは、苑子と、すでに死んでしまった赤ちゃんと、両方を産み落としたってこと?

 苑子はうなずく。長い黒髪がさらりと揺れる。

「お母さんのおなかの中で、ずっと一緒にいたはずの弟が死んじゃって、生まれてこなかった弟はどこに行っちゃったんだろうって、ずっと不思議で」

 はじめて聞いた。苑子が生まれたとき。苑子のお母さんは、喜びと、そして、悲しみを、同時に味わったんだ。

 私には、とても想像できない。

「誕生日が来るたびに、弟のことを考えるんだ、私。多分、お母さんも、お父さんも、そうだと思う」

 四月の午後の陽は、やわらかく傾きはじめている。藤の花の匂いが、急に、濃く深くなったように感じて。訪れた沈黙が、怖くなってしまって、

「でも、その話と、宇宙の始まりとか、そういうのが怖いって話。どうつながるの?」

 私はつとめて明るい声を出した。苑子は、少し考えて、首を横に振った。

「うまく説明できない。でも……」

「俺はわかるな」

 言い淀んだ苑子の言葉を継ぐように、ハルが言った。それまでずっと黙って、私たちの会話を聞いていたハル。苑子は顔を上げてハルを見つめた。

「わかる。つながってる」

 妙にきっぱりと言い放つハルに、苑子はほっと表情をゆるめた。

「私は、わかんない。ふたりが何を言ってるのか」

 拗ねているみたいな言い方になる。苑子の一番深いところを理解できるのは、私じゃなくてハルなんだ。とっさに、そう思ってしまったから。

 それよりさ、と、ハルは続ける。私の子どもっぽいやきもちは、「それより」の一言で、簡単に片づけられてしまった。

「明日、新月だろ?」

「だから何? ていうか知らないし」

ばかハル。

「夜。月見神社、行ってみない?」

「はあ?」

 突拍子もない提案に、私は眉をひそめた。

 団地近くの息吹が丘公園の裏手に、鬱蒼とした森があって、木々のあいだを裂くように長い石段が続き、のぼりきったところに社がある。そこが月見神社。社の、さらに奥に進めば、清い水の湧くちいさな泉があって、ほたる池、と呼ばれている。ほたるが飛ぶなんて話は聞いたことないけど、むかしはいたのかもしれない。

「ほたる池が、あっちの世界とつながってるらしいって噂。知らない?」

 ハルが声をひそめた。いつもは眠そうなその目が、好奇心でらんらんと輝いてる。

「あっちの世界って、あの世ってこと?」

 ハルはゆっくりとうなずいた。ばかばかしい。

「ほんと好きだよね、ハルって。うさんくさい都市伝説とか、そのテの話」

 小さい頃は、よくひとりでUFO探してたっけ。

 神社の噂に関しては、私も、ちらっと聞いたことはある。新月の夜。午前零時ちょうどに、「あっちの世界」とのチャンネルがつながって、会いたい死者を呼び出すことができる、とかなんとか。月見神社は、神主さんもいない、参拝する人もほとんどいない、ただ古いだけの小さな神社で、だからこそ、こういう怪しげな噂が、あぶくのように現れるのだと思う。

「まさかとは思うけど、信じてんの?」

 ハルは首を横に振った。

「さすがに、まるきり信じてるわけじゃねーけど」

 それから、苑子のことを、ちらりと見やる。

「……私、行ってみたい」

 かぼそい声で、そうつぶやく。

「え?」

「行きたい。弟に、会いたい」

 今度は、きっぱりと。芯のある声で、苑子はそう言った。

「でも。たんなる噂だし、ぜったい会えるってわけじゃ……」

 というか、会えるわけがない。

 なのに、しぶる私の手を、苑子はつかんだ。その頬が、ばら色に染まっている。

「会えないかもしれないけど。行ってみようよ、三人で。真夜中だよ? こっそり、団地を抜け出して、森のなかに行くんだよ?」

「だろ? 面白そうだよな。そうこなくちゃ」

 言いだしっぺのハルが、待ってましたとばかりに、乗っかった。私はため息をついた。

 しょうがないな、という態度をとってみせたけど。

 ほんとは、私も。少し、胸の奥が騒ぎはじめていた。



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