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青をあつめる  作者: せせり
17歳
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13

 口裂け女のメイクをしてくれたのは、亜美だった。顔をべったりと白く塗り、真っ赤なルージュで思いきり口を大きく描く。肩まである髪はぼさぼさに、真っ赤なコートを羽織って完成だ。

「ねえ亜美、口裂け女ってマスクしてるんじゃなかったっけ。私の顔は綺麗ですか、って言ってマスクをそっとはずす」

「知ってる。で、ポマードって三回唱えると逃げるんだよね」

 そう言う亜美は猫又に扮するとかで、大きな猫耳カチューシャに着物、長い尻尾をふたつ付けている。和洋折衷どころか、怪物から都市伝説から妖怪まで、何でもアリだ。

教室内には暗幕が張られ、蜘蛛の巣や蝙蝠の羽のモチーフで飾り付けている。机を四つずつくっつけてクロスをかけたテーブルに、椅子。グラス代わりに使うのは理科室から借りたフラスコやビーカー。いまいちコンセプトが定まりきれていない気がする。

「ようこそわが(あるじ)の館へ」

 無表情で、ぼそぼそと告げる。お客さんの目を見てはいけない。にこやかに接客するのはNGらしいのだ。というか普通に恥ずかしいし、そもそも主とは誰だろう。

やってきたのは杉崎くんだった。猫耳の亜美に早速声をかけている。亜美が失恋したという情報をハル経由で得たのかもしれない。

 ハルは午前の部の担当で、今はいない。男子のひとりが、もう帰ったと言っていた。ハルらしい。与えられた仕事はこなすけど、基本、イベントは苦手なのだ、昔から。

 つぎつぎに、知り合いが来た。理一先輩も、料理部メンバーも。それなりに忙しく接客をこなしているうちに、陽も傾きはじめ、そろそろ店じまいの時間が近づいてきた。人もまばらとなり、片づけ準備を始めているクラスもある。少し疲れてぼうっとしていると、

「沢口。お客さん」

 グラスと紙皿を片づけていた同級生のゾンビ男子にこづかれて、我に返る。

「千尋さん! 髪!」

「ポマードポマードポマード!」

 千尋さんはおどけて、くすくす笑った。長い髪をばっさり切って、ベリーショートにしている。

「昔、晴海に教えてもらったの。まだうーんと小さい頃だけど」

「あの。すみません、ハルならもう帰ったらしくて」

「いいのいいの、ちょっと時間ができたから寄ってみただけ」

「髪。似合ってます、すごくかっこいい」

「そう? ありがと」

 私は千尋さんを窓際の空いているテーブルに案内した。千尋さんからアイスコーヒーのチケットを受けとる。

「果歩ちゃん。普段の、晴海の席はどのへん?」

「ちょうど、このあたりです。窓側の一番後ろ」

「ふうん……。あの子、真面目に授業受けてる?」

「寝てます」

 すると千尋さんは、ぷっとふき出した。そして、目を細めて教室や立ち回るクラスメイトたちを眺めている。

「千尋、さん?」

 どきりとした。いきなり、千尋さんの頬を涙が伝ったのだ。

「あ。あ、やだ。どうしたんだろう」

 千尋さんはバッグからハンカチを取り出して目を押さえた。

「やだなあ、最近ちょっとしたことで泣いちゃって、歳かなあ」

「大丈夫、ですか……?」

「大丈夫、大丈夫」

 そう言って笑っていたけど。今日の千尋さんは、どこかおかしい。

 結局。初日、モンスター喫茶ラストのお客様は千尋さんだった。珈琲を飲み終えても、ずっと、教室でぼんやりしている。

「千尋さん、すみません。もうお店おしまいなんです」

「あ。ああ……、ごめんね」

 我に返ったように席を立ち、バッグをつかむ。と、果歩ちゃん、と、私を呼ぶ。

「何時ごろ、帰れるの?」

「片づけ終わってメイク落としたら、もう解散です」

「そう。じゃあ、どこかで何か食べない?」

「ハルじゃなくて、私?」

 千尋さんはうなずいた。


 高校から、さらに市の中心部のほうへと千尋さんの車は走り、路面電車の走る通りを抜け、路地にある小さなコインパーキングで止まった。黄昏時も過ぎ、透明な、藍色の空に星が瞬き始めている。夜の始まり、昼間はあんなに暖かかったのに今は冷えて、車から降りた私は思わず身を縮めた。それを見た千尋さんは、自分の大判ストールを私の肩にかけてくれた。

「ありがとうございます」

「いいえ」

 ストールは、ほんのり、「ハルの家の匂い」がする。「ハルの家の匂い」に、化粧品の匂いが混じっている。大人の女性の香り、ハルとは違う。

 雑居ビルの間の狭い道を歩いて行く。飲食店が多くて、いたる所から、暖かい色の照明と揚げ物の匂いが零れている。

「カレーでいい?」

「はい」

「晴海をよく連れて行ってたお店なんだ」

「ハルを呼ばなくていいんですか?」

「バイト仲間と食べてくるからいいって、返信きた」

 相手してくれなくて淋しいよ、と、千尋さんはぼやく。

 そこは看板も小さく、注意して見なければうっかり通り過ぎそうな、小さなお店だった。

ドアを開けた途端、スパイスの香りに包まれた。照明は絞ってあって、ほの暗い。四人用のテーブルがふたつ、二人用のがふたつ、それから、カウンター。その向こうが厨房になっているようだ。奥の小さなテーブルに案内され、私は千尋さんと向かい合わせに座る。店員さんが、すぐにお水とメニュー表を運んできた。

 カウンターにスーツ姿の白髪の男性がひとり、四人用のテーブルに、若い男性が三人。

「ここのね、あんまり辛くないんだ。希望すれば調節はしてくれるけど」

 看板メニューのビーフカレーをひとつと、サラダを、千尋さんは頼んだ。

「ありがとうね、私につき合ってくれて」

 そう言われて、いえ、と首を小さく横に振る。

「うち、息子ひとりでしょ? 私ね、ずっと女の子が欲しくて。娘とデートするの、憧れてた。でも、離婚しちゃったからさ」

 店員さんが、セットのサラダを運んできた。食べて、と千尋さんが促す。

「私ね、果歩ちゃん可愛くて。苑子ちゃんも。娘みたいに思ってる」

 率直な言葉が、嬉しいけれど、少しこそばゆい。

「晴海はひとりっ子だし、親の都合で振り回して、淋しい思いをさせたと思ってる。でもね、あじさい団地に来て、果歩ちゃんや苑子ちゃん達が仲良くしてくれて、本当に良かった」

 ありがとう、と。千尋さんはしんみりと言った。

「苑子ちゃんのことは、残念だったけど」

 沈黙が降りる。BGMのない店内で、食器のぶつかる音や、他のお客さんの会話が、浮き上がっていく。

「祥子さんのことも、もっと支えてあげられればよかった」

 祥子さん。苑子のお母さんの名前だ。中三の初夏、苑子の一周忌に合わせて、遠い海辺の街に、母と千尋さんとハルと一緒に、仏壇とお墓に線香をあげに行った。苑子のお墓は、海を見下ろす丘の斜面にあった。翌年からは、私はひとりで、電車でお墓参りに行っている。お花を供えて線香をあげるのみで、苑子の家族には会っていない。ハルも行っているのかもしれないけど、確かめたことはない。

 サラダを口に運ぶ。ドレッシングはかかっているのに、味が、しない。

「笑わないでね」

 千尋さんはフォークを置いた。

「どっちかがお嫁に来てくれて、本当の娘になってくれたらな、って。夢見てた」

 ふふふっ、と、私に笑うなと言った、当の千尋さんが、可笑しそうに笑っている。そして、ふっ、と、私の目を見た。もう笑みは消えている。

「果歩ちゃん。これからも、晴海のことを好きでいてくれる?」

 射抜かれたみたいに、千尋さんのまなざしから、目を逸らすことができない。

 おまたせしましたビーフカレーです、と。カレーの皿が目の前に置かれて、やっと私は視線をはずした。

「……私、は」

 涙が、勝手に。せり上がってくる。

「私はハルを想ってちゃいけないんです。苑子にひどいことを言って傷つけたんです。自分が醜くて、情けなくて」

 鼻の奥がつんとする。涙なんか、零したくないのに。

「苑子じゃなくて、私が。死ねばよかったのに」

 果歩ちゃん、と。恐ろしく冷たい声で、千尋さんが私の名前を呼ぶ。

「甘えないで」

 さっきまで、優しく、凪いだ水面のようだった千尋さんの瞳は、今、凍りついている。

「二度と口にしないで。死ねばいい、だなんて。自分のことを」

「…………ごめんなさい」

 押さえていた涙が、頬を伝った。千尋さんの顔は、まだ、強張っている。

「苑子ちゃんの気持ちを考えなさい。果歩ちゃん、あなた。後悔ばかりで、ちゃんと、悲しむことができてないんじゃないの?」

 悲しむこと。勿論悲しいに決まってる、でも。

 千尋さんは、ふう、っと、細いため息を漏らした。

「食べよう。冷めちゃう」

 再び笑ってくれたけど、その目には、淋しさの色が浮かんでいて、ひどく疲れているように見えた。もう一度謝ると、「いいから」と、千尋さんは、カレーを食べ始めた。

 私も、涙を拭いた。黙々と、頂く。深いコクがあるけど辛くないカレーライスは、なるほど確かに子どもでも食べられそうだ。子ども時代のハルと、千尋さんの暮らしを想う。

 半分ほど残して、千尋さんはスプーンを置いた。私が食べるのを見つめながら、ゆっくりとグラスのお水を飲んでいる。まだ千尋さんの怒りはほどけていない。自分の浅はかさに、胸が痛んだ。 

 帰りの車の中で、ずっと無言だった千尋さんは、ふと、「ごめんね」と零した。信号が赤に変わり、ゆっくりと車は減速する。前の車のテールランプの赤が夜に滲んでいる。

「言いすぎた。でもね、……わかって」

 千尋さんは、フロントガラスの向こうを見つめたまま。

 私は答えることばを持たず、隣でハンドルを握る千尋さんの、その白い横顔を、ただ、じっと見ていた。

 

 千尋さんが入院したことを知ったのは、その、一週間後だった。


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