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ホルモンバランスの乱れでしょうね、と、医師は言った。
おそらくそうだろうな、と、自分でも思っていた。
色々検査を受けて、とくに異常は見つからなかったのだ。
「悩みの多い年頃だけど、あまり抱え込まないようにね。女性のからだは、そういうのに、凄く影響を受けるんだよ。漢方薬出しておくから、それで様子見ようか」
はい、と答える。
初潮をみたのは中一のときだけど、苑子が亡くなってから、暫く止まっていた。今思えば、食べられなくて体重が落ちたせいもあるのだろうけど、どうでもよかった。生理が戻ったときは、はっきり言って、忌々しかった。
診察室を出てロビーのソファに座る。待合には、おなかの大きな女の人がちらほらいる。高校の制服を着ている患者なんて、私ぐらいだ。
年配の女の人が、自分が付き添っている妊婦さんに、ひそひそ何かを耳打ちしている。自意識過剰だとは思うけど、私のことを変な風に誤解して陰口を叩いているんじゃないか。そう疑ってしまって、ソファの端で背中をまるめて存在感を消すように努めた。
婦人科イコール妊娠と、誰もが思い込んでいるわけではないと、私だってわかっている。でも、もしも近所でよからぬ噂をたてられたら嫌だし、本当は、団地の近くの病院は避けたかった。だけどここは、母のかかりつけの病院らしく、果歩もここに行きなさい、先生腕がいいし説明もわかりやすいからね、あんたも奈津もここで生まれたんだし。と。半ば強引に薦められたのだ。
団地からの細い坂道を下り切って、大きな通りに出て。しばらく進んだ先にある河を渡ってすぐの場所にある。病室から河が見えたそうだ。生まれたての私も、そこにいた。記憶はないけど。
名前を呼ばれ、受付で会計を済ませ処方箋をもらう。と、果歩ちゃん、と、声をかけられた。
振り返ると、千尋さんだった。
「こんにちは。お久しぶりです」
「そうだね、ずいぶん会ってなかった。あ、晴海からもらったよ、シフォンケーキ。美味しかった。ありがとうね」
受付を済ませた千尋さんと、待合で、少し、話をした。
「千尋さん、今日、休みですか」
「うん。果歩ちゃんは学校帰り? どこか具合でも悪いの?」
「ちょっと。でも、そこまで心配はいらないみたいです」
「……そう、それなら良かった」
千尋さんは、少し微笑んで、それからソファにもたれてゆっくりと息をついた。長い髪をひとたば指に巻きつけて弄びながら、ぼんやりと虚空を見つめている。
「少し、顔色が」
「ああ、ごめんね。ゆうべあんまり眠れてなくて……。大丈夫よ」
千尋さんは明るく言ったけど。ひどく疲れているように見える。
千尋さんが診察室に呼ばれて、私は挨拶をし、病院を出て、駐車場を挟んで隣にある調剤薬局に向かった。どこか具合が悪いんですか、とは、聞けなかった。看護師で、親しいお隣さんで、大人の女性である千尋さんが、女子高生の私に聞くようには。
午後五時を過ぎて、川面を渡ってくる風は冷たく、私は身をすくめた。河川敷のすすきの穂は開いて、朱い陽に照らされて揺れている。
ハルはあれから、何も言わない。亜美も。ハルのことには、触れない。
いつも通りだ、すべてが。
中庭の銀杏ははらはらと葉を落としている。降り積もった黄金色の葉っぱたちは、時折吹く風に舞い上がる。
土曜日、文化祭初日。料理部は例年通りアイスボックスクッキーを焼いて売っている。
亜美が事前に宣伝しまくっていたおかげで、今日の分は一時間で完売した。よって空き時間が増えて、私は理一先輩と、中庭の小路を歩いている。受験生である先輩は、さすがにもう部活に顔を出すことはなくなっていた。
十一月も下旬だというのに、暖かな日が続いている。のどかな小春日和、銀杏のそばの芝生には赤い敷物に赤い和傘。茶道部が野点をしていて、生徒がちらほら集まっていた。
今日は一般に開放する日だから、校舎のどこもかしこも人が多くて、皆浮足立っていて、どこかふわふわする。
「果歩のクラスは何をやるんだっけ?」
「モンスター喫茶です。ドラキュラとかゾンビとか、そういう仮装をするんです」
私も午後から参加予定だ。
「ふうん。じゃあ俺も遊びに行く。果歩のコスプレなんて今後絶対に見られないだろうし。何やるの?」
「口裂け女です」
「和洋折衷だな」
腕時計を見ると、十一時半。そろそろお弁当を食べないと。どこで食べようかと、先輩と相談していたら。
「あ、ドラキュラ」
先輩が言った。玄関ホールのあたりから、背の高い、黒ずくめの男子が、黒いマントを翻しながら駆けてくる。
「……ハル」
「知り合い?」
「あ。同じクラスの」
駆けてきたハルは、私と先輩と、すれ違った。一瞬目が合ったけれど、何も言わず、それどころかスピードすらも緩めず、駐輪場のある方向へと走り去っていく。
あんなに、急いで。珍しい。
「……果歩?」
先輩が、眉を寄せて、私の顔をのぞきこんだ。
「どうしたんだ、ボーっとして」
「あ。いえ、あんな恰好で学校の外に出たらやばいんじゃないかって思って」
何か足りなくなって、緊急で買い出しに行く羽目になったに違いない。
馬鹿ですよねと、笑顔を浮かべてみせると、先輩は、おもむろに、私の手をとった。
「先輩。……ここ、学校なんですけど」
「わかっている」
見上げると、耳たぶまで真っ赤になっている。
「わかっている」
と、先輩は、もう一度、つぶやいた。
「ボーッとしてると危ないだろ。何でもないところでもこけるからな、果歩は」
「そんなへま、やらかしたことありませんから」
「しょっちゅうだろう? 分量を間違えたり、焦がしたり」
「やらかすのは料理限定です」
「料理部員としてどうかと思うよ、その発言」
先輩は私の手をぎゅっと握りしめた。つないだまま、校舎へ向かって歩く。
これでいいのだ。




