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青をあつめる  作者: せせり
17歳
22/35

10

「病院に、行こうか」

 母が、出し抜けに、そう言った。土曜日、午前十時になってやっと起きて顔を洗い、珈琲でも飲もうとキッチンに立ったところで、だった。

「病院?」

 うなずいた母は、真剣なおももちだった。

両親とも、今日、明日と休みで、ドライブがてら姉のところへ泊まりに行くと言っていた。私は亜美と約束があったから留守番だ。

「来週のどこかで。お母さん、時間作って、ついていってあげるから」

 婦人科に、と。母が言って、私のからだは強張った。

「あんたずっとおかしいでしょ。一回診てもらったほうがいい」

「気づいてたの」

「まあね。奈津も中学の頃は不規則だったけど、だんだん落ち着いたっていうか、周期が安定してきたんだよね。だからあんたも、姉妹だし、似たような体質なのかと思ってたんだけど、さすがに」

 だらだらと続いていた少量の出血は、カレンダーをめくる頃には止まっていた。

「いろいろ、辛いこともあったし、あんたは」

 薬缶のお湯が沸き始めて、湯気が噴き出している。私は急いで火を消した。

「仕事ばっかりで、そばにいてやれなくてごめんね」

「やめてよ、しんみりしないでよ。お母さんらしくない」

 私は、努めて明るい声を出した。

「ひとりで行くから、病院。大丈夫、子どもじゃないんだし」

 インスタントの粉末を入れたマグにお湯を注ぎ、深皿にシリアルを適当に盛ってミルクをかける。母が、「味噌汁あるから、食べなさい」と言って、シリアルに味噌汁なんて、と思ったけど、素直に頂くことにした。

 昼前には両親は家を出た。私は亜美にメールを送って、身支度をした。携帯が短く鳴る。亜美からの返信。

――果歩の両親いないならさ。泊まりに行ってもいい?

 そう来たか。私は、オッケー、と返した。

 

坂道の途中にあるバス停に、ゆっくりとバスは止まり、亜美を降ろして、鉛色の排ガスをまき散らしながら走り去っていった。亜美は小振りのボストンバッグと、お菓子がぱんぱんに詰まったスーパーの袋を提げている。

「ごめんね、わざわざ迎えにきてもらって」

「いえいえ」

「理一先輩呼ばなくていいの?」

 亜美から袋を受け取って、歩き出す。

「いいんです。受験生なんだし」

「でも。お泊りチャンスだよ? 今日うち親いないんだー、ってやつ。きゃー、破廉恥」

「あのねえ」

 ため息が漏れる。着いて早々この調子じゃ、先が思いやられる。

 団地の敷地に入り、歩道を歩く。けやきの葉は赤茶けて、時折、乾いた風に吹かれてかさかさと音をたてる。あじさいの低木は、たくましく、つややかな葉を茂らせていた。

「へー。ここ、公園あるんだ」

 亜美がいきなり走り出した。慌てて追いかける。

「うわっ、すべり台、ちっちゃー」

 すり鉢を伏せた形のすべり台に、早速登っている。本当に落ち着きがない。

「島本とも、ここで遊んだのー?」

「まあね。でも、このすり鉢、人気でね。いっつも高学年の男子に占拠されてて。六年生になるまで、なかなか登れなかったんだよね」

「ふうーん。ねえ、果歩もおいでよ」

 亜美は、そう言ってすり鉢のてっぺんから手招きしていたけど、いきなり目を丸くして、それから破顔した。

「島本ーっ。今帰りー?」

 フェンスの向こうに、ハルのすがたを見つけたらしい。ハルは敷地の東側――息吹が丘公園側の出入口――から、私たちのいる場所までのっそりと歩いてきた。

「狭山、何してんの。小学生?」

「童心に帰ってただけー。あたしは果歩んとこに泊まりにきたの。今夜ひとりだって言うから」

「お父さんとお母さん、お姉ちゃんとこに泊まりに行くから」

 隣に立っているハルに、補足説明する。亜美が、つうう、と、すり鉢からすべり降りてきた。

「島本もおいでよ」

「ちょっと、何、勝手に。私の家なのに」

「いいじゃん。人数多いほうが楽しいっしょ」

 ハルは、無表情のまま、「じゃ、行く」とだけ、ぼそっと、つぶやいた。


 亜美がはしゃいで私の家のあれこれを見て回っている間に、お湯を沸かして珈琲を淹れた。カップは三つ。

「狭山ってマジ小学生だな」

「だよね」

 ハルはうちのダイニングテーブルの、いつも父が座っている椅子に腰かけていて、亜美は、うわー、とか、へー、とか、これ何ー、とか、いちいちかん高い声をあげている。

「どぞ。インスタントで悪いけど」

「別に何でもいいよ、こだわりとかねーし」

 ハルが苦笑する。私も、いつもの自分の椅子に腰かけた。ハルとは向かい合うかたちになる。マグカップを手のひらで包んで冷えた指先を温めた。空気は冴えて、どんどん冬に近づいていく。

「ほんっと、熟年夫婦の雰囲気だよね、あんたたち」

 亜美が戻ってきて、ハルの隣の椅子に座った。ひと睨みして、亜美の分のカップを置く。

「さんきゅ」

 亜美は珈琲をひと口、飲んだ。

「っていうか言ったっけ? あたし振られたんだよね」

「例の、ピアスの彼?」

 そうそう、と、亜美は頷いて、それから、左の耳たぶを触った。

「彼女いるんだって。あーあ」

 亜美は頬杖をついて、ぶうっと頬を膨らませた。

「果歩はいーなあ。愛されてて」

 上目使いで私を見つめて、それから、ハルに、ちらりと視線を送る。

「べつに愛されてなんか」

「めちゃくちゃ愛されてるよー。っていうかそもそもさあ、先輩が果歩にずっと片思いしてたの、みーんな気づいてたし」

「…………」

 ことん、と、音がする。ハルがカップを置いたのだ。

「……おかわり、もらっていい?」

「あ。うん」

 立ち上がると、亜美が。

「ねーねー、もう、チューした?」

 と。出し抜けに聞いて来て、私は固まってしまった。

「ちょ、亜美」

「まだなんだー。でも、手ぐらいはつないだんでしょ?」

「亜美! 怒るよ!」

「もう怒ってんじゃん」

 からかうような口ぶりなのに、亜美の目は、笑っていない。私はハルのカップを引き寄せると、二杯目を注ぎにキッチンへ立った。



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