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青をあつめる  作者: せせり
13歳
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 つきあうと言っても、苑子とハルは、ただ登下校をともにするだけで、教室で話したりはしないし、放課後も、休日も、どこかへ出かけたりする様子はなかった。だけど。一卵性の姉妹みたいだった私と苑子の関係は、明らかに、変わり始めていた。

 期末考査がはじまり、放課後、私は学校のすぐそばにある真紀の家へ行って勉強していた。新築の一軒家で、真紀は、私が憧れている、自分だけの部屋とベッドを持っていた。

 ガラスのローテーブルにお菓子をひろげて、ジュースを飲みながらのおしゃべり。一応、教科書もノートも広げているけど、勉強になんて集中できるはずもない。

「夏休みまでに告白したいなー」

 真紀が頬杖をついてぼやく。やっぱりみんな恋の話が好きだ。

「塩田先輩、だっけ? テニス部の副部長?」

「うん。めちゃくちゃかっこいいんだから。果歩も練習見においでよ」

「いいのー真紀、そんな気軽に誘ってー。果歩ちんが塩田先輩のこと好きになっちゃったらどうするの?」

 森川さんが横やりを入れて、えーどうしよ、と真紀が本気で困った顔をするから、私は笑ってしまった。

「ないない。私、男子に興味ないし。恋愛にも興味ないし」

「だよねー。果歩ってさばさば系だし、そういうの、縁なさそうっていうか」

「ひどくない?」

 森川さんを小突きながら、ふくれてみせる。そうか。私、さばさば系なんだ。いつの間にかできあがっていた自分のキャラを、そっと心に留め置く。

「二宮さんと正反対っていうか。なんで仲いいのか、不思議だよね」

「男子受けするもん二宮さんって。毎朝、島本の後ろにちょこちょこくっついてくるじゃん? 男子たちがね、最近、二宮ってあんなにかわいかったっけ、とか、うわさしててー。あんなあざといしぐさに騙されるんだね」

 また、苑子の話。杉崎くんの一件以来、苑子は真紀たちグループに敵認定されてしまっていた。というかむしろ、絆を深めるための生贄だった。

 真紀たちと一緒にいれば、かならず誰かが苑子の悪口を言い出すことを、私だってわかっていた。

「果歩もほんとは、嫌いなんでしょ?」

 ずばりと、直球が飛んでくる。

 ハルとふたりで坂道を歩く、苑子の後ろ姿。好きなんでしょ、と聞いたときに、ぎこちなくうなずいたハルの、赤い首すじ。ふいに蘇って、息が、止まりそうになって。

「我慢して、二宮さんと一緒にいたんでしょ?」

 たたみかけられて。気づいたら、私は。こくりと、うなずいた。

「だよねーっ。そうだと思ってたー」

 真紀たちのはしゃぎ声が、どんどん遠くなっていく。

 

 みえない水の粒子が空気中に充満していて。じっとりと蒸し暑くて。息がしづらくて、苦しかった。

 十三歳の、六月。


「今日、新月だね」

 苑子がつぶやいて、我に返る。お昼休みの教室、私たちは、五時間目の社会のテストに備えるべく、教科書やノートをひたすら読み返していた。

「そうなの?」

 ノートを見つめたまま、気のない返事をする。新月だろうが満月だろうが関係ない。毎日空は厚い雲に覆われているから、どうせ月など見えない。

「また、弟に会いたいの?」

「そういうわけじゃないけど」

 ハルと三人でほたる池へ行った夜。考えてみれば、不思議な夜だった。まだ4月だったのに、蛍が無数に飛び交っていた。

結局あのとき、苑子は、何かを見たのだろうか。苑子の様子に、ちょっとひっかかるものを感じていたのを思い出した。確か、「蛍の声がきこえた……」とかなんとか。

蛍の声……?

「どうしたの? 果歩ちゃん」

「え、あ。うん。何でもない」

 今日の苑子は長い髪を耳の下でふたつにくくっている。思わず触れてしまいたくなるほど艶やかで、梅雨時の湿気にもかかわらず、さらりとまとまっている。

 誘導尋問だったとはいえ、苑子のことを嫌いだと認めてしまったというのに。私は、何食わぬ顔をして、「親友」を続けている。

「また、ああいう冒険、したいなって。深夜にこっそり抜け出して。楽しかったよね」

 苑子はどこか夢見心地だ。

「私はもう勘弁。あのあと、千尋さんに見つかって、大変だったんだから」

 つきあってるって誤解されて。

 飲みこんだ言葉が、自分の中に重く沈んでいく。

 もしも。もしも、あじさい団地に、苑子がいなかったら。ハルの幼なじみが、私だけだったら。

 一瞬よぎった考えを、私は、全力で振り払った。ありえない。

 もし苑子がいなくても、きっとハルは、私には目もくれない。

「ハルくんね」

 苑子のつぶやきで、顔を上げる。苑子が口にする「ハルくん」は、昔より、甘さを含んでいる。

「今日、一緒に帰れないみたい。生物部の友達に、一緒に勉強しようって誘われたって」

「苑子も仲間に入れてもらえば?」

 苑子は、とんでもない、と、首を横に振った。

「ハルくんもそう言ってくれたんだけど。男子ばっかりだし、私、打ち解ける自信ないから断ったの」

――だったら、一緒に帰る? ひさしぶりに。

 私がそう言うのを、苑子はきっと、待ってる。だけど私は。

「そっか。でも私、今日も真紀ちゃんたちと約束しちゃって」

 ふたたびノートに目を落とした。

「ふうん……。最近、仲、いいんだね」

「ん。そうでもないけど? でも、期末終わったらテニス部入らないかって、誘われてはいる」

「入るの?」

「わかんない。運動嫌いだし。でも、放課後、何もやることないよりマシかも」

 苑子をちらりと見やると、きゅっと口を引き結んで、固い顔をしていた。あてつけみたいな言い方になってしまったかもしれない。だけど、そんなことをいちいち気にしていたら、なにも話せなくなってしまう気もした。

 苦しかった。

 毎日、毎日。ハルの背中が視界に入る。どうしてこんな席になってしまったんだろう。

 テストにも、まったく集中できなかった。とにかく、ひたすらに空欄を埋めていくのみで。何とかテストをやり過ごし、ホームルームも終わり、帰り支度をしていると。私の席へ苑子が来た。一緒に帰れないって言ったのに。先約があるって言ったのに。なのに苑子は、何か言いたげにしている。遠慮がちに。今まで私には見せたことのない、どこか怯えた目をして。

「なに?」

 いつまでも切り出そうとしない苑子に、つい、苛立った声が出てしまう。言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに。

「果歩ちゃん。もしかして、私のこと……。嫌いに、なった?」

「…………どうして」

「私といるより、真紀ちゃんたちといるほうが楽しいのかな、って」

 私は荷物を詰め込んだスクバをつかむと、立ち上がった。

「苑子以外の友達と仲良くしちゃいけないの?」

「そうじゃない。そうじゃない、けど」

 ぶんぶんと首を横に振る苑子は、今にも泣き出しそうで。ああ、これじゃ。まるで私がいじめてるみたいだ。

――ねえ、苑子。私はそんなに悪いことをしているの?

「はっきり言うけど」

 苑子の目を。綺麗なアーモンド形の、澄んだ、だけど今は不安の色に染まっている、その目を、私はまっすぐに睨みつけた。

「そういうの、もう嫌なんだ。いつまでも、苑子に縛られていたくない」

 言い捨てる。呆然とした苑子の顔は血の気を失って、雪のように白い。

 逃げるように、教室を出る。階段を駆け下りて下駄箱へ行くと、真紀たちが待っていた。


 私に突き放された苑子の、白い、顔。私が傷つけた。

 嫌いになったわけじゃない。嫉妬していただけだ。

 そんなシンプルなことを、どうして認められなかったんだろう。ハルに苑子をとられて拗ねていたわけじゃない。――逆だ。

 夕暮れ近く。真紀の家を出て、傘を広げる。細い雨が降っていた。針のような雨。

 みんなと別れて、団地まで続く細い坂道をのぼる。オガワのベンチが雨に濡れていた。

 どこかで、救急車のサイレンの音が鳴っている。

 

 団地のあじさいが細い雨を浴びて艶めいていた。まっすぐ家に帰らず、私は、しゃがみこんで、ずっとずっと見ていた。はじめての恋は苦くて、親友に嫉妬する自分のことが許せなくて、だけど前みたいに、苑子のとなりで無邪気に笑うことなんてできそうになくて。紫がかった青の、可憐な花たちを、ただ、見ていた。苑子が好きな青。鮮やかな傘が開いて、そして。

 弾き飛ばされて、濡れた路面を、転がっていく。

 一瞬。脳裏に広がったイメージ。ぶるりと、寒気がした。雨のせいでからだが冷えたのだろう。風邪をひきかけているのかもしれない。

 家に帰って着替えて、ホットミルクを飲んで毛布を引っ張り出してくるまり、ソファでまるくなった。家の中は暗かったけど、雨のせいで、時間の感覚がない。私はいつの間にか、うとうとと、眠りかけていた。

 玄関のドアが開く音で目が覚めた。灯りがともされる。近づく足音。

「果歩。果歩、いるの?」

 帰って来たお母さんは、どこかふらふらしていて、零れ落ちた後れ毛のせいか、疲れているように見えた。寝ている私を叱ることもせず、そばにしゃがんだ。

「落ち着いて聞いて」

 ぎゅっ、と。私の手を握る。

「苑子ちゃんが事故に遭った。学校帰りに、車に……。病院に運ばれた、って」

 がつんと、頭を殴られたような感覚。事故。

 跳ね上がる傘、跳ね上がる苑子の、細いからだ。がちがちと歯が鳴る。お母さんは私を抱きしめた。

「苑子、大丈夫なの……?」

 ようやっと、そう聞いたけど。お母さんはなにも答えなかった。

 苑子の容態は何もわからないまま、一睡もできず、長い長い夜が明けて、家の電話が、鳴った。

 苑子が息を引き取ったと。電話を切ったお母さんが、しずかに告げた。お通夜は明日の夜だけど行けるね? 一緒に、ちゃんとお別れをしようね、と。話すお母さんの顔は血の気がなくて。声も、ふるえていた。

――お通夜。お別れ。亡くなった。苑子、が? ほんとうに、苑子が?

 ふらふらと、外へ出る。

 雨はもうあがっていた。花開いたあじさいも。けやきの梢も。たくさんのしずくをまとって、日差しを跳ね返してきらめいていた。

 まったく現実感がなかった。

 学校で。担任の先生が苑子の死を告げて。緊急全校集会が開かれて、いのちの大切さを説かれた。事故現場は私たちがいつも通学に使うルートではない、団地とは違う方向へ登ったところにある、お寺の近くの交差点で。青信号で横断歩道を渡っていた苑子に、スピードを出し過ぎてスリップした乗用車が突っ込んだのだと。知らされた。

 どうしてそんな場所に。

 私のせいだ。私があんなことを言ったから。だから、ひとりで。まっすぐ帰らずに、ふらふらと歩きまわっていたのだ。

 もしも私が一緒にいたら。一緒に帰ってさえいれば。苑子の運命は、違っていた。こんなことにはならなかった。なのに。

 私が最後に、苑子に放った言葉。

消したい。消したい消したい消したい。

だけど。

 どんなに悔やんでも、時は巻き戻らない。苑子はもう、二度と、帰ってこない。


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