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青をあつめる  作者: せせり
13歳
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1

 細い針のような雨が降っていた。

 濡れた路面に、転がっていく青い傘。

 十三歳の、あの日。苑子は死んだ。

 

 スリップした車に撥ねられた、らしい。

 ひとり、学校から帰る途中で。

 私は、その情景を、見たわけじゃない。

 それなのに、小雨の降りしきる空を舞う苑子の細いからだを、置き去りにされて転がる彼女の傘を、その鮮やかな青を、繰り返し夢に見る。

 まぶたの裏に貼りついて、離れない。




     1・十三歳


       1



 小川商店、通称・オガワ――そのまんまだけど――は、あじさい団地に続く細い上り坂の途中にある。駄菓子やカップ麺やちょっとした生活雑貨が置いてある、こじんまりしたお店で、団地に住む小・中学生がしょっちゅうたむろしている。

 始業式を終えて、学校帰り、私と苑子はオガワの店先の色あせたベンチに座ってアイスを食べていた。まだ四月だというのに、歩いていると背中が汗ばんでしまうほどの陽気だった。

「あー。またハズレだー」

 半分ほど食べ進めたところで、ミルクバーの棒に「ハ」の赤文字が現れて、私はぶうたれて両足をじたばたさせた。苑子はくすりと笑うと、

「私もハズレ。クラス編成で、一日分の幸運を使っちゃったみたい」

 と言って、ミルクバーをかじった。

 苑子の「ひとくち」は、私のちょうど半分ぐらいだ。食べるときもしゃべるときも、目いっぱい大きく口を開いているのを、見たことがない。

 小リスみたいにちまちまと、アイスをかじる苑子。

「ひとりの人間の一生において与えられる、幸運の数と不運の数は、ひとしい」というのが苑子の持論だ。 つまり。ラッキーなことのあとには、アンラッキーなことがある。アンラッキーなことのあとには、ラッキーなことがある。ラッキーラッキーラッキーと、ラッキーが続いたら、そのあとにはアンラッキーが続く。そんなふうにしてバランスが保たれている、らしい。だから、

「二年生になっても果歩ちゃんと同じクラスだったのが、すごいラッキーだったから。だから、今日は、アイスがはずれるぐらいのちっちゃい不運がたくさん起こんなきゃ、釣り合わない」

 なんて言って、苑子は笑う。

 やわらかい風が吹いた。萌え出た緑と、ひらいた花のにおいが混じったような、くすぐったい風。苑子の艶やかな黒髪を揺らす。

「果歩ちゃん! 溶けてる、溶けてる!」

 苑子が、アーモンド型の綺麗な目を見開いた。我に返った私の手は、溶けたアイスのしずくで、べたべただ。慌ててハンカチでぬぐって、残りのアイスのかけらを口に放り込んだ。舌のうえがきんと痺れる。

「あ」

「あ」

 坂道をのぼってオガワに近づいてくる猫背の男子のすがたが目に入って、私と苑子は揃ってまぬけな声を漏らした。ハルだ。晴海。島本、晴海。

 ハルがまとっている学生服は、真っ黒で生地もしっかりしていて、女子のセーラー服よりも暑苦しい。脱げばいいのにと思うけど、それすら「めんどくさい」のひとことで済ますんだろう、きっとあいつは。

「おまえらアイス食ってたの? うまそう」

 ぬらりと、ハルは、ベンチにいる私たちの真ん前に突っ立った。斜め掛けのスクバの内ポケットをごそごそして、じゃら、と、小銭を何枚か取り出す。ぱっと見、十円の比率が高い。

「あー。足りね。化石ガチャガチャやったらアイス買えねーや」

「ていうか、じかに小銭持ち歩いてんの? 財布ぐらい買いなよ」

「めんどい」

「いちいち小銭探すほうがよっぽど手間じゃん」

 うっせーな果歩は、と、ハルは寝癖のついた後頭部をぼりぼり掻いた。私は顔をしかめる。

「もーっ。二年生になったんだし、髪、どうにかしなよっ」

 ハルの後頭部の髪は、いつも一部がアンテナみたく跳ねているのだ。

「だからうるせーって。毎朝水で撫でつけてっけど直んねーんだよ」

 ため息をつくハル。一応、気にはしていたらしい。固くてごわごわしてそうな髪質だし、素直に言うことは聞かないのかもしれない。触ったことなんてないから、わからないけど。

 それより。ハルが現れてから、苑子がいきなり黙り込んでしまったことのほうが、気になる。

「苑子? 苑子ー」

 隣にいる親友は、その白い肌をぽうっと桃色に染めた。ふるふるとやわらかそうなくちびるはわずかに開いている。

 男子と話すのが苦手(というか、女子と話すのもそんなに得意じゃない)な苑子だけど、ハルだけは例外だったんだけど。どうしたんだろう。

 店の薄汚れたガラス窓の前、ベンチの真横に置かれたガチャガチャの前にハルはしゃがみこんでいる。いつからあるのか知らないけど、年季の入ったガチャガチャ。化石シリーズ。

「あーっ! また直角石だ! 三個目だし! うー、出ないなあ、スピノサウルスの歯」

 ハルが大きな声をあげた。その、なんとかサウルスの歯は、どうやらレアアイテムらしい。

「そんなに欲しいなら、ネットか何かで買ったら?」

「わかってねーなあ。ガチャガチャでコンプリートすることに意味があんだよ」

 立ち上がったハルは、私に、直角石とやらの入ったカプセルを投げた。

「いる? 果歩」

「いらない」

 即答。

「まあ、そう言わずに」

「もーっ……」

 こんなもの、私が持ってたってどうしようもない。何時代の何の化石だか知らないけど、ぱっと見は黒っぽい石ころだし、何の興味もない私に、ダブったからやるよだなんて、迷惑でしかない。

「苑子、いる?」

 カプセルを振ってみせた。苑子は、じっとそれを見て、なにも答えない。

「いるわけないか。ごめんごめん」

 しょうがないから私が引き取ってやろう、捨てるのは忍びないし。と、自分のスクバに押し込むと、

「あっ」

 苑子が小さく声をあげた。

「なに?」

 まさか、欲しいの? と眉を寄せたら、苑子は、

「ううん。……なんでもない」

 もそもそとつぶやいて、うつむいてしまったのだった。

 へんな苑子。私は首をかしげた。

 

――果歩ちゃんと一緒のクラスで、ほんとに幸せ! ずっと、ずーっと、よろしくね!

 みずいろの便箋にしたためられた、丸っこい字がはずんでいる。

 ホームルームの途中、苑子がこっそり回してきた手紙。

 帰宅して、荷物を片づける手をとめて。ひとり、読み返していた。自然と頬がゆるむ。

「私も幸せだよ、苑子」

 つぶやいて、綺麗にたたんで、クッキーの缶に仕舞った。苑子がことあるごとに寄越してくれる小さなメモや、手紙や、ふたりで撮った写真をためている。

 もう、あふれそうだ。

 私と苑子、そしてハルの三人は、坂道をのぼりきったところにある、あじさい団地に住んでいる。本当の名前は、市営団地息吹が丘住宅というのだけど、みんな、あじさい団地、あじさい団地と呼んでいる。由来はシンプルで、敷地にたくさんあじさいが植えられていることによる。もっとも、梅雨の時期以外は、あじさいの存在なんてすっかり忘れ去られてしまっているのだけど。

 私と苑子は、生まれたときからこの団地にいるけど、ハルは五歳のときに越してきた。お父さんとお母さんが離婚して、運よく抽選に当たったとかで、ハルはお母さんとふたりで、ここであたらしい生活を始めたのだ。

 以来、ずっと私たち三人は一緒だ。

 ほかの同級生や仲間たちは、家を建てたり家族の仕事の都合だったり、そんな理由で団地を出て行ったけど、私たち三人はどこへも引っ越すことなく、ここに住み続けている。

 団地は高台の中腹にあるから見晴らしはいいけど、毎日坂道を登っていくのがしんどい。自転車で下っていくのは爽快だけど。

 敷地には、五階建ての棟が五つ。

 苑子はA棟の308、私はE棟の501。ハルは502、私の隣だ。エレベーターなんてついていないから、やっと坂道をのぼりきったと思ったら、今度は最上階まで階段をのぼっていかなきゃならないのがつらい。

 そのかわり、眺めはいい。

 小さいころから。放課後さんざん遊んで、苑子に手を振ったあと、私とハルはいつも、オレンジ色の西日に照らされながら、コンクリの階段を競いあうようにして一気に駆けあがった。そして。ふたりで、夕陽を見た。

 五階の通路から、沈んでいく丸い陽が、透明なオレンジ色に染め上げられていくジオラマのような街並が、見えるのだ。

 しばし魅入って、そして、じゃね、またな、と、みじかい挨拶だけを交わして、それぞれの家へと帰っていく。

 明日も、会える。そのことに、何の疑いもなかった。

 太陽は沈むけど、またすぐに昇る。今日と変わらぬ明日は、必ず来る。私に、ハルに、苑子に、この世に存在する、すべての子どもたちに。

 私たちは、ずっと、ずーっと、一緒にいられる。

 まっすぐに、純粋に、そう、信じていた。


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