第十六話 ヤベーよこの女
その女子はアナスタシア・キーリッシュと名乗った。一つ上の学年の女子生徒で、整った顔立ちに手入れされたセミロングのキラキラっとした髪を持っているが目つきが鋭く堅気には見えない雰囲気を纏っている。
俺が学園で孤立気味で他の生徒達の空気を悪くしてはいけないと誰よりも早く寮に帰るかウロチョロしてから生徒達が疎らになったタイミングを見計らって帰るのを知っているかのように、遠回りで運動場の傍を通った所を待ち伏せされた。
「返事はどうしたの?」
「悪い。もう一回言ってくんない?」
先輩で貴族だけどタメ口でいいわこんな奴。俺が聞き返すと女子は露骨にデカイ溜息を吐いて戯言をリピート。
「貴方の持つコンサートのプレミアムチケットとアーロン王国貴族の情報とを交換よ」
おいコラ王国貴族。正気を疑うわ。
何を代償としてもチケットを譲らないと聞いて金以外の物と取引しようとする着眼点は決して、俺が風聞を気にして譲らないという点を除けば悪くない。
だけどオイ、他国の人間にそんな情報を売ろうとするな。しかもチケット目当てで。いや、具体的な内容どころか何を教えてくれるのかもまだ開示されてないが、この女の雰囲気から飛びっきりのネタを出しそうではあった。
「それ、内部情報じゃ……」
「お姉様のチケットを手に入れるならその程度!」
ガチでヤベェぞこいつ! 正気じゃねえ! しかもお姉様って!
王女襲撃事件が表向きは解決して俺への疑いが晴れたかと思ったら危ない人が危ないネタ背負ってやって来た。この国に来てからの俺って呪われてるんじゃねえか!? おのれクソエルフが!
「いらないです」
「なんですって?」
何でそこで想定外ですって感じになるんだよ。というか声に凄みが有り過ぎる。どんだけチケット欲しいんだよ。
「そもそもどうしてそんな情報を俺に? チケットが欲しいからってやり過ぎだろ」
ちゃんと相手の欲しい物をリサーチしろよ。
「だって貴方、フージレングのスパイなんでしょう?」
「……何だって?」
おっかしいなぁ。恋愛モノの鈍感難聴主人公と違って俺の耳は五十キロ離れた硬貨が落ちる音も聞こえる耳なんだが、聞き間違えたかな?
「貴族の間ではスパイって話よ」
「違ぇよ! 誰がそんな事言ってんだ!」
「ゴーデン派」
「あンのクソ眼鏡がァ! 今度あったら叩き割ってやる!」
「何だやっぱりこっちの内情にはある程度詳しいじゃない。なら買うわよね? 買いなさい。今ならチケット一枚で派閥間の内情を暴露するわ」
「だから要らねえよ!」
「――はぁ?」
ドギツイ視線と殺気を向けられた。悪いアクセル。殺気って本当にあるんだな。
「私の情報網舐めてるの? 有力貴族夫妻の愛人から後継者の艶本の隠し場所まで知ってるわよ!」
「何で知ってんだよ。というか本当に要らねえから。というかそこまで情報に自信があるのに何で俺をスパイだって誤認してるんだよ!」
「――チッ」
そこで何で舌打ち? 意思疎通が噛み合ってなくない? ガチでヤベェよ。
「なら何が欲しいと言うの!?」
「だから何も! 王族から貰った物をそう簡単に渡せるか馬鹿!」
「……身体が目当て?」
「俺達未成年だから! それにちゃんと会話しようぜ? な? ボールをミットに向けて投げ合うように、相手がちゃんと取れて投げ返せるようにキャッチボールしようぜ?」
「まさか……お姉様の身体が目当て?」
誰か助けて。本当に、切実に、誰か俺をこの女から助けてくれ。歌手のヴァレリアをお姉様とか言ってる時点で行き過ぎたファンの感じがプンプンしてたけどこれはヤバイ。マジでヤバイ。ヤンデレ臭がする。
この際デネディアでもいいからヘルプ! ヘールプ!
「お姉様の魅力の前では羽虫どもが群がるのは仕方ないことだけど、指一本触れようとする輩は始末する」
「そのレイピアどこから出した」
いつの間にか目の前のキチガイはレイピアを持って剣先をこっちに向けていた。しかも刃には奴のドス黒い感情を表すかのように黒い炎が纏わりついている。
何これ? バトル展開? こんな一方的に? いやいやいや待て待て待て!
「死ねぇ!」
「ふっざけんなよお前! ガチでホラーじゃねえか!」
やたら堂の入った構えで突進して来る女は黒い炎もあってまるでモンスターのようであった。
「そこまでだアナスタシア・キーリッシュ」
本気で抵抗しなきゃ殺されると思った時、第三差の声が聞こえてキチ女の動きが止まる。振り返れば、走って来たのかブーメルが少し息を乱して立っていた。
「これ以上は家の方に報告させてもらうぞ。この事がお前が大好きな歌姫の耳に届けばどうなるか、散々警告された身で試してみるか?」
「………………」
アナスタシアは動きを止めたまま視線だけ動かしてブーメルを見続けている。同時に俺に対して動けば刺すという気迫を発し続けていた。
「それにそいつが持っているチケットは王女の伝手によるものだ。情報と引き換えに手に入れたとなれば、お前も今後動きづらくなるぞ」
「……もういいわ」
ブーメルの説得を聞き入れたらしいアナスタシアは構えを解いてレイピアを横に振る。すると黒い炎が散ると共に武器も消えた。
そして完全に興味を失くしたように背中を向けて去って行った。
「チッ、イカレ女が」
ブーメルはアナスタシアの姿が完全に見えなくなると地面に唾を吐きかけた。汚いなぁ、と思いつつ気持ちは良く分かる。フージレングでもあそこまでなのはいなかった。その分理性的で厄介だけど。
「今回ばかりは助かった。で、何なんだあの女は?」
「奴はヴァレリア狂いだ」
「凄い単語が飛び出してきたな」
どんな人間か知らないが歌姫に深く同情した。歌姫としての地位を持って周囲からチヤホヤされてんだろうなー、と軽く考えていたが有名人は有名人なりに大変なようだ。
「アナスタシアはキーリッシュ伯爵家の娘でな。キーリッシュは法衣貴族で政に深く関わっている家で情報収集や操作がお手のものだ。それでもアナスタシアには手を焼いているらしい。あの女はヴァレリアのデビュー当時からの熱心なファンで、彼女との出会いは運命だとか口走った事もある」
「普通に怖い」
「対してヴァレリアの方はアナスタシアを嫌っている。見ての通り過激過ぎるから当然だな。コンサートを始めヴァレリアに関係する事全てに首を突っ込む癖があり、その為には手段を選ばん。貴様に情報を売ろうとしたのもそうだが、何よりも最終的な手段として暴力も辞さない点だ。最後には力が物を言うのは同意できるが、奴のやり方は後先を考えない」
「何で捕まってないの?」
「何度かぶち込まれてる」
「マジか。ぶち込んだままにしておけよ」
「キーリッシュ家は情報に特化した家だ。ムカつく事に奴単独での情報網も凄まじい」
より一層閉じ込めておくか殺してしまえ。
「そもそもあんなのに脅されるアーロン王国の貴族達が悪いのでは?」
「オルテイン家をそこらの木っ端貴族と一緒にするな。それに、あの黒い炎を見ただろ」
「ああ、あれ。すっげぇ不気味だったんだけど」
「あれは奴の感情をそのまま炎にするギフトだ。詳しい事は知らないが、呪いに近いらしい。奴を殺せば怨念となって炎が襲いかかって来るんじゃないかと周囲は恐れているんだよ」
「うっわ…………」
そんな言葉しか出なかった。というかこの学園、ギフト持ち多くね? 多いよな。同世代に一人でもいれば十分だぞ。フージレングでもギフト持ちはいるが、年齢の幅が広いの珍しい程度になっているが本来はそうそういないものだ。
分かっているだけでもアクセルに王女、そしてアナスタシア。三人もいる。
「ここの生徒ってギフト持ちばっかだよな」
「正確には転生者が多い」
マジかよクソ。これってもしかして星詠みの予言と関わりあったりするのだろうか。嫌だわー。ギフト持った転生者がわんさかいるとか妬ましさで内蔵悪くなりそう。なっても治せるんだけどな!
「ん? まさか王女もそうなのか?」
「そうだ。公にしていないが、隠してもいない。ヴァレリアもそうだし、アナスタシアもな」
「えー……」
あのキチ女もかよ。生まれ変わって変質したのかそれとも最初からああだったのか。
人生もう一度、それも魔法有りの異世界という違い過ぎる環境となれば人格に影響はあるだろうが後者だった場合前世でも絶対ヤバい奴だって。ニュースとかにも載っちゃってるタイプだよ。
…………寒気がしてきた。話題を変えよう。
「そういや何でいんの? 助かったけどお前ってそんなお助けキャラだっけ?」
「口を縫ってやろうか貴様。そこの獣人に言われたからだ」
俺の背後を指差すブーメル。そこにはいつの間にかベルが立っていた。
「俺としてもあの女の行動は目に余る。釘を刺して置くには丁度良かったし、貴様はまだ利用価値がある。最後には地に沈めてやるが」
「そうかい。お前もありがとな」
最後の部分は聞き流し、ベルに礼を言う。まだ監視してたのかと思ったが、未だにアクセルの奴隷である以上命令には逆らえないか。
「一応。主人には嘘を報告してる」
「そっか。悪いな」
「ううん。テリオンに何かあったらフージレングに行けなくなる」
ははは、こいつめ。
「どうやって手懐けたかと思ったらそういう事か。貴様も存外にあくどいな。そうでないとつまらん」
「止めろ。マジで止めろ。あと面白くないから。つまらなくていいから」
こいつ実年齢一桁なんだぞ。そんな言い方されたら俺が光源氏計画してるみたいじゃないか。風評被害は洒落にならん!
<転生者の判別>
より詳しく視る事の出来る高位のステータス魔法の使い手ならば一発で判明する。ステータス魔法以外でも相手の魂や運命、存在感を察知する独自の感覚を持つ者なら判別可能(例:ハイエルフの長、天眼族)