4
鳥威しの指示通り、地下通路を歩く。幾度目かの橋を渡ると、人々の賑わいが聞こえてきた。
「そうだ、大通り出なきゃいけないんだ」
橋の欄干に腰掛け、鳥威しは唸る。ハジメのためにわかり易い道を考えてくれているようだ。
「人混みでわかりにくいかもしれないけど、まずはガラクタ屋を目指してね。大通りに出て、右に向かうとあるから」
少しの思案の末に、ガラクタ屋なる不思議な場所を指定して鳥威しはひらひらと手を振った。
そこで待っている、という事なのだろう。 手を振り返そうとして、頭を下げる礼に変える。何が面白いのか、鳥威しは笑い声を漏らした。
喧騒の方へ進むと、白色灯が頰を照らした。路地から異形でごった返した大通りを覗く。異形達は小さなハジメの存在など気付いていないように、思い思いの方向へ過ぎ去っていく。
案内人の言った通り、鉛筆を持つ手の方へ進む。出来るだけ道の端を歩いていると、前方から歩いてきたパンプスの女性がハジメの前で立ち止まった。
「あら、迷子?」
スカートの裾を丁寧に揃えながら、女性はしゃがむ。長い黒髪に、ぽっかりと空いた乱杭歯の口腔。息を飲むハジメの足元に、女性の涎が一滴垂れた。
すう、と口腔が息を吸い込む。途端、収縮してごほごほと咳き込んだ。
「煙草臭い」
よろめきながら女性は立ち去っていく。ほんの少しショックを受けて、ハジメは再び服の匂いを嗅いだ。
我に返って、ガラクタ屋を探す。ガラクタ屋と言うからには、使い道のわからない機械や廃材を置いているのだろう。
そしてまさに、その通りの店があった。
ぴかぴか光るイルミネーションが巻きつけられたピエロの人形、錆びた看板、お金を入れたら動く象の乗り物……そんな品々が軒先に並ぶ。それらの間から、開け放された店の入口を見つける。
ここにさっきの鳥威しがいるのだろうか。
ピエロの生気の無い瞳に見つめられながら、ハジメは意を決して店に入る。
雑然とした軒先の店は、中もまた雑然としていた。使えるかもわからない冷蔵庫に電子レンジ、小上がりには本と工具が散乱している。まるで廃屋か夜逃げ跡のようだが、引き戸が開け放されていたのだから人は多分、いるのだろう。ハジメは出来るだけ大きな声を出す。
「あの……」
「いらっしゃいませ!ご用件をどうぞ」
天井から、さらに大きな声が降ってきた。お母さんが怒った時の光景が脳裏を過って、思わずハジメは頭を抱えてしゃがみ込む。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「あっ、大丈夫?びっくりしちゃった?」
いくらか声量を落として、姿の見えない誰かはハジメに話しかける。抑揚の無い電子音じみた声音だった。
「ごめんね、突然声出して。お腹痛いの?」
誰かはハジメの尋常ではない様子に戸惑っているようだ。もがくような声で逡巡した後に、「いっちゃーん」と誰かを呼んだ。
ぱたぱたと音がして、作業服の女性が店の奥から現れた。ひっつめた髪型の女性はハジメを見下ろし、怪訝な顔をする。
「ちょっと……大丈夫?すごい怪我だけど」
「手当はされてるよ。ねえ、迷子かな」
案じるような声をかけて女性はハジメに手を差し伸べる。その手をおずおずと取って立ち上がると、ハジメは謝罪した。
「あの、かってにお店に入ってごめんなさい」
「え?いや、開店中だから入るのは別に構わないんだけど」
女性は困ったような顔で頰を掻く。
「こちらこそ、店番が驚かしちゃったみたいでごめんね。あ、ジュース飲む?」
シールで埋め尽くされた冷蔵庫を開き、紙パックを取り出してハジメに差し出す。途端、朝から忘れていた猛烈な喉の乾きをハジメは思い出した。女性にお礼を言って、紙パックを受け取る。甘酸っぱい乳酸菌飲料だった。
立ったままではなんだからと、女性はハジメに小上がりに腰掛けるように促す。その言葉に甘える。
「ところで、何を修理しにきたのかなああああっ!?」
ハジメの隣に腰掛けた女性が奇声をあげる。またもやハジメは萎縮する。
「……そのカメラ!」
女性の熱い視線が注がれる先に気付き、思わず背後に隠す。
「み、見せて見せて!」
「あの、これ、たいせつなもの」
「だぁいじょうぶ!ちょっとだけ!変な事はしないから」
「いっちゃん、困ってるよ」
再び天井から声が降ってきた。頭上を見回すと、店の隅にスピーカーが一つ設置されていた。声はそこから響いているようだった。
「だって、銀塩だよ!そこら辺のデジタルとは違うの!それにこの形、このレンズは」
「なんかヒートアップしてるね」
背後に何か質量が現れた気がして、ハジメは咄嗟に振り向く。果たしてそこには、あの鳥威しが胡座をかいていた。
声を掛けられ、女性も振り向く。「おおう」と小さく叫んで、小上がりの縁から腰を上げた。
「どうしたんすか突然。何か修理か売りたいものでも」
「いや、悪いけど今日は待ち合わせで来たんだ」
鳥威しは立ち上がる。器用に畳の縁に立つ姿を見て、ハジメは少し驚いた。
「そこも辻にカウントされるんですか」
女性の言葉に、鳥威しははぐらかすような返事をする。
「まあ、畳と畳の境界みたいなものだし」
軍手の指で出口を指し示す。
「ちょっと休憩したら行こうか。すぐ着くからね」
鳥威しの言葉に、ちるちるとストローを吸いながらハジメは頷く。
「そういえば、ショウケンには何も言わずに出てきたみたいだけど……大丈夫?」
畳の縁で左右に揺れ動きながら、鳥威しが問う。
「アレは怒ると怖いよ」
思わず、ハジメはジュースを飲むのを止める。
「……たたいたり、する?」
「手出すかもねえ」
「なんか訳ありなの?ひゃー怖い」
「もしもの時は助けてあげてね」
周りの反応に、ハジメは一層震え上がってしまう。もし見つかってしまったら、母さんの比じゃないほど怒られてしまうのだろう。
早く地下から出よう。
ごちそうさま、と呟いて空の紙パックを女性に渡す。小上がりの縁から立ち上がって鳥威しを見上げた。
「あの、つぎはどこに向かえばいいですか」
「あ、もう休憩終わり?そうだねえ、次は店を出て、更に西へ進もう。えっと、西っていうのは店を出て右側ね」
次の辻で待ち合わせね。
そう言って、鳥威しは女性に向かって物欲しそうな手つきをした。
「僕も飲みたい」
「どっから飲むんですか」
訝しげに呟きながら冷蔵庫に向かう女性と小上がりでふらふらと揺れる鳥威しに軽く頭を下げて、ハジメはガラクタ屋を出る。もう一度箸を持つ手を確認して、右に進む。数軒先の店の角に、紙パックを持ったよく目立つ姿が佇んでいた。
「それじゃ行こうか」
すでに空になっているのか、紙パックを捻り潰して鳥威しは通路の先を指差した。
再び鳥威しの指示の通りに道を行く。何度目かの辻の後に、ハジメは見覚えのある改札口に出た。
気になって窓口の方を見ると、シャッターが降りていた。今日は、あの憲兵は非番のようだった。
「着いたよ」
階段の下から三段目に腰掛けた鳥威しは、隣を通って地上に上がるように促す。
「ここから、上に出られる」
「ありがとうございます!」
ぺこぺこと何度も頭を下げる。鳥威しはどこかにあるのかもしれない口から、忍び笑いを漏らした。
「それじゃあね。ショウケンに見つ……」
振っていた手を異形は止める。そのままハジメの右手を掴み、引き寄せる。
その手の力が思いの外強くて、ハジメは体を強張らせた。
「ちょっと待って。どうしようかな。うーん」
上も駄目。右も駄目。
そう呟きながら、鳥威しは考え込むように頭を垂れる。しかしすぐに顔を上げ、混乱しているハジメの肩を叩いた。
「大丈夫。うん、一緒に怒られてあげるから」
そのまま立ち上がり、ハジメの肩を抱いてぴたりと寄り添った。訳もわからず、成されるがままになる。
通路に誰かの足音が響く。
足音はどんどんハジメ達の方に近づいてきて、ある地点で走り寄る音に変わった。
「おまえっ」
猛然と近寄ってきた人影に気付いて、ハジメは思わず鳥威しの影に隠れる。しかし即座に襟首を掴まれて、引きずり出された。
編笠の男が怒号を飛ばす。
「あれだけ言って、なんで逃げ出すんだ!妹のことはどうでもいいのか?ああ!?」
「ちょっとショウケン」
がなりたてる男を宥めるように、鳥威しはハジメの肩を引き戻した。
編笠の下から、呼気に混じって紫煙が溢れる。
「お前が手引きしたのか」
「道案内を頼まれたからで、別に君の邪魔をしようとしたわけじゃあないよ」
「邪魔も何もこいつの事を知らないわけ……」
荒ぶる声が急に途切れた。少し間を置いて、か細く「そうか知らないか」と編笠の男は呟く。しかし即座に苛立ちがぶり返したようで、ハジメの手を再び荒っぽく捕まえた。
「黙って出て行く奴がいるか?それもご丁寧に家の錠を閉めて行きやがって。あれ鍵は中にあるんだぞ」
「それは君の管理不手際だよ」
言い争う二人の声が、心音と呼吸でかき消されて行く。男に握られた腕がじっとりと汗ばんだ。
ハジメの様子に気付いたのか、編笠の男は鳥威しと言い争うのをやめる。ひゅうひゅうと喉を鳴らしているハジメを見下ろして、小さく舌打ちをした。
「腹が立つ奴だ。そんな顔をして突っ立っていれば、俺がそのうち静かになると思ってんのか」
こんな時……母さんが怒っている時は、どうしていたのだろう。気を付けをして、叩かれて、謝って、それを繰り返していればいつかはおさまる。
ごめんなさい、と繰り返し呟いていると、男は冷たい右手でハジメの両頬をぐいと掴み上げた。唇を突き出すような顔になったハジメを見て、男は尚も怒りが収まらない様子で呟いた。
「謝ればいいと思ってるのが尚更腹立つ」
「無茶言わないで」
再びハジメを庇うように伸ばされた鳥威しの手を躱し、男はハジメを引っ立てる。腕が抜けそうな勢いで引っ張られて、二、三歩進む。途端、つま先から力が抜けていった。
「あ……」
ぺたりと座り込む。この感じは良く知っている。お腹が空いてる時は、こんな風に動けなくなることがある。そういえば昨日のお粥以来、何も食べていない。憲兵からもらった飴玉を探そうとして、ポケットに手を入れる。
体が宙に浮く。男の小脇に抱えられて、ハジメはタイルの床を見下ろした。
「また腹減ってんのか」
「昨日蕎麦屋行ってたけど、それ以降何かあげた?ご飯は普通一日三食だよ?」
「どれか一食くらい抜いてもいいだろ」
男が乱雑にハジメを抱え直した。上下に揺すられて、ハジメの視界がぼやけてくる。
「腹減ってるか?」
返答の代わりに、ハジメの腹が音を立てた。男が小言を言う前に、鳥威しが笑い声をあげた。
男に抱えられてやってきた先は、昨日と同じ蕎麦の屋台だった。
既に明かりが灯っている屋台に近付くと、暖簾の下から見覚えのある顔が覗いた。
「あ、ハジメちゃんだ!」
今日は真っ赤な唇をしている女学生が、にんまりと笑った。男が暖簾を潜ると、女学生は席を一つずれた。
「ここ座る?」
「うん、座れ」
代わりに返事をした男が、小脇に抱えたハジメを席に下ろす。
「もり蕎麦二つ」
「僕はきつね蕎麦」
女学生の隣の席に、鳥威しが腰掛けた。女学生は横を向き、身動ぎする。
「うわ、びっくりした」
「あら珍しい。お二方が揃ってくるなんて」
屈んでいた店主が、ひょっこりと顔を覗かせる。続いて、切れ長の目がハジメを見つめた。
「今日もお粥の方が……」
「じゃあそれで良い」
ぶっきらぼうに言い捨てて、男は傘の下から煙草を取り出した。すっかり短くなっている。
「言いたい事はいっぱいあるが」
男はカウンターの灰皿に煙草を擦り付ける。
「これっきりだからな。次は許さん」
釘を刺され、ハジメは小さくなった。締め出してしまったのがよっぽど頭にきているのだろうか。
「蕎麦湯」
「はい」
男とハジメの前に湯呑みが出される。ハジメの湯呑みには、ぬるめの緑茶が入っていた。
「ハジメちゃん」
ずい、と女学生が顔を寄せた。
「大丈夫?顔青いよ。ご飯ちゃんと食べてる?」
ハジメは俯く。しかし素直なお腹が音を立てた。女学生が眉を吊り上げ、編笠の男に噛み付く。
「ショウケンさん、もしかしてご飯あげてないの!」
「一食抜かしただけだ」
「ありえない……やっぱりオヤジに言っとくべきだった」
そう言って、女学生は猛然と麺をすする。底に沈んでいた具を取り上げ、ハジメの目の前に差し出す。
「ハジメちゃん、お肉あげる。にしん」
ハジメは目の前の「にしん」を見つめる。びっしりと黒い鱗が付いていて、身はよく煮込まれているのか茶色く染まっている。
「お魚……?」
「そうそう。お魚」
蕎麦を盛り付けながら店主は頷く。カウンターの縁から覗いた目が弧を描いていた。
「山で取れる魚だ」
ふー、と編笠の下から紫煙が溢れる。
「下水道でも取れる」
荒っぽく、もり蕎麦が男の前に出される。
「なんだよ」
「今のは営業妨害だね」
「みんな知ってる事を教えて何が悪い」
そう言い捨てて、男は箸を取り蕎麦を食べ始めた。その様子を見て、ハジメは我慢ができなくなった。
「あの、にしん……いただきます」
「どうぞー。はい、あーん」
女学生が近付けるにしんにかぶりつく。じゅわっと少し生臭い旨味が溢れ出した。
「小骨あるから、気ぃつけてな」
注告と共に、店主は粥をカウンターに置く。口を動かしながら、ハジメは頷いた。
「これから毎日飯を食わせないといけないのか」
粥に取り掛かるハジメを見ながら、面倒臭そうに男は呟いた。編笠の向こうから視線を感じて、ハジメは居心地悪そうに「いただきます」と呟く。
「それならやっぱり、ウエズくんに預ければいいじゃない」
きつね蕎麦から立ち上る湯気の向こうで鳥威しがこぼす。その隣で女学生が頷く。
「絶対そっちの方がいい。こんなのにちっちゃい子の面倒見させたらダメだよ」
「ウエズは上と繋がりがあるから無理だ。いざアレがやって来た時に対処出来るとも思えない」
そーだなー、と鷹揚に男はカウンターに肘をつく。
「心配なら金をくれ。それが一番こいつのためになる」
三者の溜息が満ちた。なんとも居心地の悪い空気の中、ハジメは黙々と粥を食べる。
椀を空にして、温かくなったお腹をさする。お腹いっぱいだ。ごちそうさまでした、と呟くと店主がこちらを覗き込み、微笑んだ。
「ひもじくなったら、駆け込んで来てもええよ。利子付きでツケとくさかい」
「誰に」
苛ついたような声音の男を一瞥して、店主は小さく鼻を鳴らす。
しばらく、ハジメは男が蕎麦湯を飲むのを眺める。湯呑みが編笠の下に消えていくのを見つめていると、瞼が重くなって来た。
ぼーっとしているハジメに気付いた男は、指先で軽くカウンターを叩く。
「眠かったら突っ伏して寝てろ」
周りの様子を伺うと、特に男の発言を咎める者もいない。腕を組み、カウンターに顔を伏す。
……昨日今日と、満腹のまま眠りについている。遠い昔の生活を思い出しながら、ハジメは眠りに落ちていった。
小さく寝息を立て始めた子供を見て、ソレは新しい煙草に火をつける。
「腹一杯になったら昼寝か。暢気な」
「おとなしく寝かせてあげて」
小言を言いそうな気配を感じたのか、店主は男をたしなめる。
その様子を見て、鳥威しは忍笑いをもらした。
「ショウケンが子守なんて、どっちが先に音を上げるかな……ところで」
鳥威しは空の椀に箸を渡した。
「その子誰」
店主と女学生の視線が、鳥威しに向かう。鍋をかき混ぜていた手を止め、店主は小首を傾げた。
「……あんたはんにも知らんこと、あったんね」
「え、道案内の人何でも知ってるんじゃなかったの」
鳥威しと子供の顔を交互に見ながら、女学生は疑問を述べる。
「個人についてはわからないとか?」
「未来の事以外は大体わかるんだけど。ショウケンはどうだったの」
黙り込んだままの編笠に、鳥威しは問う。
「一昨日拾ってきたんでしょ。予見した後に」
「……こいつの事は何も観えなかった」
紫煙が漂う。
「何者なのかは俺にもわからん。足留めは効かないし、相も見えない」
ふっ、と短く男は息を吹きかける。煙が顔にまとわりつき、少女は眉をしかめた。
「畜生が化けてるわけでもない」
「待って。相が見えないって、そんな事あるの?縁も見えないとかは無いよね」
「不良少女、お前も見てみろ」
「え?」
突如指名され、女学生は狼狽える。しかしすぐに目を細めて傍らで眠る少女を注視した。
「……一本だけ、あ、いや……やっぱわかんない」
「今度蟹にあった時にでも聞いてみる」
女学生の言葉を聞いて早々に興味を失ったのか、男は蕎麦湯をあおった。
「ごちそうさん」
旧紙幣を懐から取り出し、カウンターに置く。店主はそれをまじまじと見つめる。
「本物?」
「そういう事やるのは四つ脚共だけだ。あいつらと一緒にするな」
男が明らかに気を悪くしたのを見て、店主は袂で口元を隠しほくそ笑む。
「堪忍してな」
男は席を立ち、隣の少女に声をかける。
「ほら起きろ」
少女は寝息を立てるばかりだ。男は手の甲で少女の頬をごく軽くはたく。
「置いてくぞ」
「抱っこして連れて行けばいいじゃん」
「おんぶはおんぶ」
口出しの多い外野を無視して、男は来た時と同じ様に少女を小脇に抱える。少女が小さく呻き声を上げた。
「雑」
「犬猫みたいに」
「多分同列なんだよ」
散々な言葉を背に受けて、男は屋台を立ち去る。
長屋の通りに続く通路に入った所で、小脇の少女が居心地悪そうに身動ぎをするので地に下ろした。
「自分で歩け」
「……はい……」
そう言いながらも、半分眠っているのか少女はその場から動こうとしない。ふらふらと頭を揺らす少女を見つめて、男は大きな溜息をつく。
眠気覚ましに猫騙しでもしてやろうか。一瞬そう考えたが、少女を拾った時の様子を思い出してやめた。おそらく手を打ち付ける音や破裂音を聞いたら、恐慌状態に陥るだろう。
少し考えて、少女の前でしゃがみ込む。
「ほら、つかまる」
「……」
男がそう言うと、少女は無言で背中にのし掛かってきた。少女を背負い上げて体勢を整える。
軽い。
誰に言うでもなく呟き、男は薄暗い地下通路を進む。
点滅していた照明がぷつりと消えて、二人の後ろ姿をかき消した。




