4.
「あら、だれかこちらにいらっしゃるわ」
うわさをすれば影。
ふりかえると話題のエドゥアールが歩いてくるところだった。さすがに今日は薔薇を背負ってはいない。従者もアルフォンスひとりだけだ。長旅の後だというのに光を紡いだような金髪はくたびれもせずさらさらで、暑苦しいほどさわやかな笑みには殺意すらわいてきそうだった。
「ヴィクトワール、こんなところにいたんだね。心配したんだよ。どこかで迷子になってるんじゃないかって。きみときたらいつもひとりでいなくなってしまうんだから。ところで、そちらのかわいらしいお嬢さんはお友達?」
「クロエです。クロエ・ルメール」
わたしが紹介する前にクロエは身を乗り出すようにして答えた。エドゥアールは大輪の花が咲き開くようなうさんくさい笑顔で「すてきな名前だね」と述べた。わたしは少しだけ眉をよせた。てっきりペロー子爵の娘だと思っていたがちがうらしい。
「お会いできて光栄です、殿下。よろしければ薔薇園をご案内いたしますわ」
無邪気にはしゃぐクロエに悪い気がするわけもない。エドゥアールはふたつ返事でうなずいた。クリーム色のドレスをゆらし夕日色の髪をたなびかせて薔薇園を歩いていく。声を出して笑うたび、頭にのせた花冠からはなびらがはらはらと風に舞った。傾きはじめた西日に照らされたクロエは、神秘的でどこか浮き世離れしていた。
「いいんですか」
セヴランが棘のある口調で訊ねた。
「殿下はあれで一応お嬢さまの婚約者ですよ」
「放っとけばいいのよ。わたしは助かってるわけだし」
率直に述べて助かっていた。エドゥアールにエスコートされながら薔薇園を散策するなんて冗談じゃない。あまったるさで窒息して死ねる。
しかしクロエならまったく別の感想を抱くのだろう。灰紫色の瞳をのぞきこんでほおを薔薇色に染めている。16歳という年齢のわりに顔立ちも言動もあどけなく、実際にデビューもまだらしい。これは社交界に出せば子爵令嬢としては破格の好条件で買い手がつくにちがいない。冷静に観察するわたしの後ろで、セヴランは不服そうだった。
「おれもお嬢さまの平穏こそを至上命題としておりますが。それにしても目に余ります。クロエさまがデビューされてから恥をかかないためにも、ここは忠告して差し上げるべきところではないかと」
「するだけ無意味でしょ」
お花畑になにを忠告したところで糠に釘である。クロエは地に足の着かないはずむ足取りで歩いていた。髪を蔓薔薇にひっかけたり、足元を踏み外したりとみていて心配になる。案の定、エドゥアールの目の前で転倒した。
「きゃっ」
「だいじょうぶですか?」
エドゥアールは実に紳士らしく膝をついて手を差し伸べた。芝生にぺたりと座りこんだ妖精とその前にひざまずく王子さまの図はまるで絵画のようだった。王子さまの顔が自分そっくりでさえなければ廊下に飾っておきたいくらいだ。クロエの瞳は熱に浮かされたように潤んでいた。目の前にはやさしく騎士道精神にあふれた王子さまが手を差し伸べていて、その後ろには王子さまの婚約者が無表情のまま立っている。
この後の展開はみないほうがいい。胸焼けで晩餐が喉を通らなくなるに決まっている。
わたしは即決してきびすを返した。
「帰りましょ、セヴラン」
「お、お嬢さまっ」
抗議の声が聞こえた気もしたが、忠実な従者はすぐにあきらめておとなしく付いてきた。
ふと、視線を感じて顔を上げる。2階の廊下から、男が妖精と王子さまのやりとりをじっとみつめていた。