3.
ホールを出てすぐのところに聖母像が立ち、その背後には植木で迷路が作ってある。
すぐに追いついてきたセヴランを連れて、わたしは迷路のなかへ入った。歩いて行くと薔薇園に出た。表情がひきつった。行きの列車のなか、わたしたち一行はむせかえるような薔薇の香りにさらされつづけたのだ。エドゥアールはみずからのアイデアにご満悦だったし、慣れているのか彼の従者たちはなにも言わなかったが、わたしははなはだ不愉快だった。
薔薇のアーチの下で少女が本を読んでいた。赤みがかった金髪はやわらかく燃える夕日のようなめずらしい色合いだ。大きくてまるい鳶色の双眸とかわいらしい童顔とがあいまって妖精のような愛くるしさがあった。足音に気づいた少女が顔を上げた。
「あら、こんにちは」
これは優秀な御令嬢の本領を発揮すべきときらしい。わたしは意識を切り替えてできるだけ優雅にみえるように微笑んだ。
「ごきげんよう」
「はじめましてね。お父さまのお客さまかしら。わたし、クロエというの。あなたは?」
「ヴィクトワール・ド・ドルーと申します。子爵には殿下がたいへんお世話になっております」
「まあ。じゃあ、あなたなのね。王子さまの婚約者って」
自分で名乗っておいてなんだが、わたしはいたく気分を害した。表情はまったく動かさなかったはずだが、気配だけでセヴランは察知したらしい。なにしろこのようなやりとりはどこへ行ってもつきまとうのである。王家よりも古い血統とヴィスクドールのように完成された美貌、おまけに王族の近親者で婚約者となれば注目されないわけがない。
「第2王子のエドゥアール殿下といえば容姿端麗頭脳明晰、おまけに剣術と乗馬もお上手って評判でしょう。わたしの友達もみんな殿下にあこがれているの。殿下が金髪の女性と婚約されたって聞いたときはみんなして金髪に染めたものよ」
エドゥアールはわたしが金髪だから婚約したわけではない。従妹で公爵令嬢だから婚約したのである。それに彼がわたしと婚約したのは彼の意思ではないし、当然のことながらわたしの意思でもない。高貴なるものの責務、ノブレスオブリージュというやつだ。良く言えばかわいらしく悪く言えばお花畑な子爵令嬢に、わたしはどう言葉を返すべきかしばらく迷った。そして無難に、「おほめにあずかり光栄ですわ」と返した。
わたしのこういう言動が傲慢だの高飛車だのと陰口をたたかれていることは知っていた。でも、他に返しようが思いつかないのだ。想いあう恋人同士のふりでもしておけばまだかわいげがあるのかもしれないが、空気の読めないエドゥアールを相手にそれをやると社交界じゅうの御令嬢たちを敵にまわすはめになる。
クロエは膝の上にのせていた花冠をそっと持ち上げ、太陽にかざした。
「きっとすてきな方なんでしょうね。わたしは新聞でしかお姿を拝見したことはないのだけれど、絶対にすてきな方だと思うわ」
現実を知らないというのはしあわせなことである。そして厄介なことに、現実を知っているはずの社交界の御令嬢たちまで口をそろえてエドゥアールをほめたたえるである。やつが婚約者をもつ身でありながら高級娼婦や未亡人を渡り歩くろくでなしなのは暗黙の了解だというのに。