29.
23時45分。
わたしとセヴランは部屋を出た。足音を忍ばせ階段を降りる。1階まで降りて薔薇園を目指すつもりだったのだが、途中でセヴランが物音に気づいた。無言で手を引かれ壁際に身を寄せる。
「……2階ですね。階段を右に曲がってすぐ。フランソワーズさまの部屋です」
「フランソワーズ? 待って、彼女は昨夜亡くなったのよ」
「存じております」
「そんな……余程無念だったのね」
「なにがですか」
「だって、殺された翌日から早速化けて出るなんて」
「おっしゃっている意味を図りかねます」
困惑した声に思い出す。この世界には成仏とか化けて出るとかいう概念がないのだった。マイアの話を聞く限りだと幽霊だのポルターガイストだのという概念はあるようだが。しかし、超常現象を考えるより先にもっと現実的な理由を探したほうが無難だろう。例えば空き巣とか。
セヴランは上着の隠しに手を入れた。利き手で暗器を握りしめ反対の手でわたしの手首をつかむ。
「お部屋に戻っていてください、と申し上げてもむだなのでしょうね」
「当然よ」
わたしはセヴランの手をふりほどき抜き足差し足で2階に降り立った。壁伝いにそろそろとフランソワーズの部屋の前へと移動する。さすがにここまで来ると話し声をさせるわけにはいかなかった。ドアに耳をあてて内部から聞こえる物音を拾おうとする。セヴランはあきらめたらしくかばうようにわたしとドアの間に身体を割りこませた。
廊下は真っ暗だった。時間が時間だから無理もない。貴族の夜とは得てして遅いものだが、子爵が臥せっている楡屋敷では比較的早いほうだった。加えて昨夜の殺人事件である。明かりはすべて完全に消されていた。今夜ばかりは月も雲に隠され、あたりは正真正銘の真っ暗闇だった。すぐそばにいるはずのセヴランの輪郭がかろうじてとらえられる程度である。
「……全然聞こえないわ」
沈黙に飽きてぼやくとセヴランがため息を吐いた。この展開を薄々予測していたらしい。手首をつかむ手に力がこもる。
絨毯が災いしてか、いつまで待っても足音は一向に聞こえてこない。ほんとうに、セヴランはどういう耳をしているのだか。常人ではとても聞き分けられないと思う。
そういえば、この屋敷はもともと防音がかなりしっかりしているのだった。思い出してがっくりきた。
わたしたちが気づかれずぎりぎりまで近づけたのもそれが原因だろう。廊下のほうは絨毯が薄いのでふつうに歩いていればそれなりに音がするのだが、それでも注意していればほとんど音をさせずに移動することもできる。しかし、様子を探る側に回った現在、はなはだ不都合な設定だった。
「踏み込みましょう」
「莫迦なことを言わないでください」
「大丈夫、こっちはふたりよ。話し声もしないってことは、あっちはひとりなんでしょう?」
「まあ、足音はひとつのようですが。ふつうの空き巣は仮に複数だったとしても聞こえるようなおしゃべりはしませんよ」
「それもそうね」
冷静沈着な意見に感心したが、セヴランのため息は深くなるばかりだった。