28.
図書室は静寂に包まれていた。
古代史を専門とするだけあって、ペロー子爵の蔵書は豊富だった。足元から天井まで壁一面が書架に覆われ、細い通路を抜けていくとその先にもまた書架が続いている。等間隔に並ぶ書架の間を進んで、医学書の棚をみつけだす。法医学や外科学の書籍はなかったので、しかたなく内科学の書籍を何冊か引っ張り出した。
セヴランは目次から見当をつけて深刻な表情でページをめくっている。
こういうことはお嬢さま教育に含まれていなかったので、戦力外のわたしは索引で死亡時刻推定とか腹腔内出血とかを引こうと躍起になって挫折した。医学用語というのは独特なのだ。しばらくして、セヴランが得心したように大きくうなずいた。
「みつかったの?」
「手がかりだけですが、一応は。確信がもてましたらお嬢さまにもお知らせしますから」
「そうやって警察が事件を解決してしまうまで秘密にしておくんでしょう」
「……そんな表情をしないでください。後ろ暗いことはなにもしていないはずなのに心が痛みます」
「そのためにやっているんだもの」
ひとつ奥の棚で本を閉じる音がした。閲覧室ではお静かに。司書の恐怖を思い出し、あわてて口を噤んだ。
医学書を棚に戻して恐る恐る奥の棚をのぞきこむと、顧問弁護士が調べ物に勤しんでいた。
「おや。こんにちは、ドルー嬢」
「ごきげんよう、ユボー先生。その……昨夜はたいへんでしたわね」
疲労の滲む横顔にかける言葉を探したけれど、結局ありきたりなものしか出てこなかった。ユボー先生は柳眉を寄せ、縁なし眼鏡の奥で榛色の目を伏せた。
「痛ましいことです」
くちびるを噛むさまはまるで先生自身がガラスの破片を突き刺されているかのように痛ましげだった。
「わたしも娘がおりますから。子爵の胸中を慮ると、どういう表情をしたらいいものやら」
言葉に詰まり、視線を泳がせる。先生は職業柄、いろいろな人間関係をみてきているのだろう。わたしのような小娘には、先生にかけられる言葉などみつけられそうもなかった。しかたなくたまたま視界に入ってきたものを俎上にのせる。
「調べ物ですか?」
「ええ、まあ」
ユボー先生の手には分厚い法学関係の書籍があった。そういえば、念のために法律関係も、とセヴランは言っていたのだった。わたしはページをめくる顧問弁護士の手元をのぞきこんだ。絹の手袋と黄ばんだ羊皮紙との対比がいかにもそれらしい雰囲気を漂わせている。
「相続問題ですか?」
不躾な質問にもユボー先生は苦笑しただけだった。きっとみんながおなじことを口にしているのだろう。屋敷の滞在客たちも、警察も。
「縁起でもありませんがね」
「まあ。そんなことありませんわ。わたくしの父は生来健康ですが、成人するころには既に遺言状を用意していたと聞いておりますもの」
「公爵家に連なる方々ともなると、そうなのでしょうね」
「でも、子爵だって爵位も財産もおもちです。遺言状は早くから準備していらっしゃるでしょうに……あら。わたくしったらはしたないことを申し上げましたわ」
わざとなのはばれているだろう。くすくすと笑いながら、ユボー先生はうなずいた。
「実際のところ、みなさまがご心配されるようなことはなにもないのですよ。子爵は法律に基づいて順当に御高配なさるでしょう」
「そうですわね。子爵の御令嬢は、フランソワーズさまおひとりではありませんし」
「法律上はおひとりですよ。そのように取り扱われるのが適切かと……失礼。少しおしゃべりが過ぎたようですね」
つまり、子爵の弟、モーリスの父親にほとんどすべてが回るということか。モーリスは知っているのだろうか。知っているはずだ。そのために、昨夜呼ばれたのだろうから。
わたしはユボー先生に非礼を詫びて図書室を後にした。セヴランはずっとなにか考えこんでいる様子だった。