27.
完璧な御令嬢として結婚の義務を負うフランソワーズよりも、よくみればかなり似通った容貌とおなじ色の瞳をした町娘クロエのほうが扱いやすいと踏んだのだろう。そしてフランソワーズを殺害しその罪をわたしになすりつければ婚約は破断になる。障害がまとめて片付いて一石二鳥だ。
アルフォンスはエドゥアールの秘書だ。アリバイ工作どころか殺人の片棒を担げと指示されても従う。実際に逮捕されて限りなく黒に近いグレーで釈放されたこともあると聞く。犯人がエドゥアールということになれば警察は手を出せない。
「かなり無理がありますが、まあ、完全にありえないとも言い切れないのが微妙なところですね」
エドゥアールがクズだという点に関しては、セヴランも同意しているらしかった。
「でも、アルフォンスさまが噛んでいるということになるとなおさら手を引くべきですよ。おれたちで敵う相手じゃありません」
セヴランは立ち上がり、窓辺に歩みよって楡の木立を見下ろした。わたしの位置からは顔がみえない。表情がわからない。沈んだ声が胸をざわめかせた。
楡の木立を見下ろしたまま、セヴランはなにかをしばらく考えていた。
退屈したわたしは焼き菓子を出してきてつまんだ。ドライフルーツがたっぷり入ったパウンドケーキはユーグからの差し入れだ。殿下の従者たちは厨房や洗濯部屋に出入りし、警察とは独立して情報収集をはじめているらしかった。事件を解明するためなのか、証拠を隠滅しミスリードするためなのかはわからない。
夫人ご自慢の料理人の力作はなかなかの味だった。ウエストを気にしなくてはと思いながらも手が止まらない。結局半分以上食べてしまった。セヴランの分と思って残していたケーキに手をつけていいものか迷いはじめたあたりで、ようやく彼が口を開いた。
「万が一殿下とアルフォンスさまが噛んでいたとして、密室についてはどう説明するのですか」
わたしはうっと詰まった。結局そこに戻ってくるのだった。
「図書室に行きましょう」
「なにか考えがあるの?」
「ええ、まあ」
あいまいにうなずいて、セヴランは皿に残っていたケーキを取り上げわたしの口元に近づけた。思わず口を開けるとそのまま放り込まれる。指先に残った菓子くずを赤い舌が舐めとった。
クロエのピアノを弾く白くて細い指とはちがう。暗器を繰るまめだらけの硬くなった指なのに。吸い寄せられるように目が離せなくなってしまう。どうしてだろう。さっき食べた一切れよりもずっとずっとあまい。噛みしめたレーズンの酸味が口のなかいっぱいにひろがった。
「医学書があればいいのですが。死亡時刻について書かれているとなおよいです。あと、念のため法律関係も」
「死亡時刻って。晩餐が終わってから2時間後でしょう。わたしたちが部屋の前に着いたとき、フランソワーズは確かに生きていた。声が聞こえたじゃない」
「そうですね」
「あれは絶対にフランソワーズだったわ。さすがにトリックではごまかせない」
この世界にヴォイスレコーダーは存在しない。わたしたちはフランソワーズが生きているところを目撃したわけではないが、部屋の前に到着したときにフランソワーズが生きていたのは確実だった。わたしたちが部屋の前に到着してからマイアが執事を連れてくるまでの間にフランソワーズは死亡した。
「もう少し早く到着していれば助けられたのかしら」
「大差ありませんよ。カミュ先生もそう仰ったでしょう」
何度目かになる回答をセヴランはくりかえした。言い含める口調だったが辟易したところはなく、沈鬱な心情が滲み出していた。皿を片付けて部屋を出た。
廊下の窓からみえる空は鉛色をしていた。薔薇園にだれかいないかと目を凝らしたが、夕日色の髪はみあたらない。廊下を進んで階段の前まで来た。吹き抜けになっているホールを見下ろすと、みつかった。すぐ下の2階で夕日色の髪の少女が金髪の王子様となにか話していた。足音に気づいたのだろう。エドゥアールがクロエの耳元でなにかささやいて去っていく。
セヴランがくちびるの動きを読んだ。
「ねえ、いまなんて言ったの」
「お嬢さまは知らなくていいことです」
「つまり、わたしは一晩中クロエの部屋の前で張っていればいいのね」
セヴランは嘆息した。
「今夜0時、薔薇園で」
クロエが階段を上がってくる。わたしたちは何食わぬ顔ですれちがった。鳶色の瞳がわたしをとらえる。フランソワーズとおなじ色の瞳だ。目があった。かすかに上気した薔薇色のほおに苦々しい感情を噛み潰す。
フランソワーズが亡くなったのは、ほんの昨日のことなのに。