19.
最初にマイアが踏みこんでしまったため、クロエも後を追い、執事があわてて付いて入った。
エドゥアールの従者ふたりが、アルフォンスの指揮で内側のドアを通ってフランソワーズを運び出し、ふたつとなりの応接室へと連れていった。ユーグは一目で無駄とわかる蘇生処置を開始し、ニコラはカミュ先生を呼びに走った。
「もう少し早ければ助けられたのかしら」
「大差ないと思いますよ」
だれにともなくかけた問いに淡々とした回答が返される。
わたしの従者はいつだってわたしの安全を最優先する。他の人間の生命よりも。それが彼の仕事だとわかっている。でも、わたしたちが駆けつけたとき、フランソワーズは確かに生きていた。彼女の声を、助けてという言葉をわたしは聞いた。もう少し早くドアを破っていれば。もう少し早く鍵を借りに走っていれば。足元から力が抜けていく。涙は出てこなかった。わたしには彼女の死を嘆く権利がなかった。
セヴランはマイアとクロエ、それにわたしを移動させるべきだと主張した。マイアを移動させるべきという意見にはわたしも賛成だった。
取り乱したマイアはセヴランによって部屋から引きずり出され、クロエにしがみついてぼろぼろ泣いてなにをわめいているのかもわからない有様だった。たぶんあれが凄惨な殺人事件に出くわした御令嬢の正しい反応なのだろう。もしくは卒倒するか。フランソワーズは後者だろうなと考え、すでに死んでいることを思い出して気が滅入った。
アルフォンスは犯人がどこに逃げたかわからない以上ばらばらになるべきではないと主張した。これはこれでもっともだった。
「それじゃ、申し訳ないけれど安全が確保されるまでここにいることにしてもらえないかな。だいじょうぶ。すぐにニコラがだれか連れてきてくれるよ」
エドゥアールの鶴の一声で決着した。クロエが大きくうなずいた。アルフォンスの手柄をすべて持って行った感があった。結局、マイアは使用人用の控え室、つまり寝室と応接室の真ん中にある部屋で休ませることになり、クロエが付き添った。
フランソワーズを動かさざるをえない以上厳密な現場保存はどのみち不可能だった。アルフォンスの指揮のもと手袋をはめた執事が部屋中のクローゼットを点検した。部屋のなかに人間が隠れられる場所はなかった。
ドアにも窓にも、すべて内側から鍵がかかっていた。
窓のほうはきっちりねじでまわすタイプだった。これを開けて出た後外側からかけなおすトリックは存在しないか、存在したところで実用的ではないと思われた。
割られた形跡もどこにもなかった。というか、鉄枠に囲まれたひとつひとつが割ったところでおとなが通るのは不可能な大きさだった。
バルコニーに続くドアと使用人用の控え室に続くドアは、廊下に続くドアとおなじ仕組みだった。かなり重厚で壊すには骨の折れそうなドアで、ちゃんとした鍵がついている。
つまり、飛び移ったところで無駄骨だったわけだ。わたしはセヴランの判断力に感謝した。これで骨折でもしていようものなら目も当てられない。
混乱に乗じて逃げ出した人間もいないはずだった。
廊下側のドアはわたしとセヴランが見張っていた。わたしはともかくセヴランは信頼できた。
控え室側のドアは、エドゥアールとクロエ、マイアが見張っていた。クロエは颯爽と指揮をとるアルフォンスにひとしきり感動した後はエドゥアールの顔を見張っているだけだったが。マイアに至ってはひとしきり泣きわめいたあとはすすり泣きながら幽霊のように虚ろなまなざしで座りこみ、動かなくなってしまっていた。おとなしくしていただけクロエはマイアよりましだった。ある意味落ち着いていたともいえる。それでもエドゥアールは一応一通りの訓練を受けているはずだし、応接室にはユーグもいた。
あふれんばかりの薔薇の芳香を閉じこめて、部屋は完全な密室となっていた。




