16.
晩餐が終わり、フランソワーズは部屋に戻ると言って早々に席を立った。
ベルナー氏は部屋まで送ろうかと申し出たが断られた。青白い顔をして、それでも痛ましいほどにまっすぐと背筋を伸ばし去っていく臙脂色のドレスの背中を、全員がかける言葉もなく見送った。夫人ですら心配そうな表情でくちびるを空回らせただけだった。微妙な空気のなか、食後のデザートが供された。
エドゥアールは夫人に非礼を詫び、フランソワーズの後を追いかけた。めずらしく真剣な目をしていた。わたしもなんだか落ち着かなくて席を立ってしまった。セヴランを連れて部屋に戻ろうと歩いていると、図らずもふたりの会話を遠目にすることになってしまった。
「フランソワーズ」
エドゥアールがホールで追いついて呼び止める。その呼び方に違和感を覚えた。昨日、エドゥアールは夫人に「たしかお嬢さんがひとりいらっしゃいましたね」と言った。ベルナー氏には「ペロー子爵の御令嬢は完璧だと評判だったんだ」とまるで伝聞のように言っていた。以前から知り合いならそういう表現はしないだろう。けれど、「フランソワーズは完璧な女性だよ」という台詞は本人を知らなければ出てこないはずだ。
エドゥアールはフランソワーズになにか訴えていたが、フランソワーズはじっと目を伏せてときおり二、三言口を開くだけだった。抑えた口調で言い募るエドゥアールとそれに耐えるフランソワーズ。親密とは言い難い雰囲気だったが、かといって昨日が初対面のようにもみえなかった。
まもなくフランソワーズは2階へと去っていき、エドゥアールはひとりホールに残された。距離のせいで表情はわからないが、いまは顔を合わせないほうがいいような気がした。わたしは廊下の角に立ち尽くした。ホールを通らなければ部屋に戻れないのだ。
進むべきか戻るべきか迷っていると、夕日色の髪が階段を降りてくるのがみえた。クロエはエドゥアールになにか話しかけていた。
「ねえ、なにを話していると思う?」
「お嬢さま。立ち聞きは淑女の作法に反しますよ」
「いいじゃない。だれにも迷惑かけてないんだから」
「ジレ夫人の名誉が傷つきます」
「うっ」
教育係である大叔母の名前にわたしは言葉を詰まらせた。
背中から話し声が聞こえてくる。どうやらみんなデザートまで食べ終わってしまったらしい。おなじく話し声に気づいたのだろう。エドゥアールがクロエの手を引いて中庭へと出るのがみえた。そのまま迷路のなかへと消えていく。
「おもしろくなってきたわ。ねえねえ、追いかけたらまずいかしら」
「当然です」
「だって、気にならない?」
「優秀な御令嬢は詮索などするものではありません。マイアさまに影響されるのはやめてください」
「あんた、クロエだけじゃなくマイアにも辛辣よね。あの子は悪い子じゃないと思うわよ」
「そのように聞こえましたならわたしの不徳の致すところでございます」
慇懃無礼な台詞に閉口する。
「ヴィクトワールさま」
無邪気な声にふりかえる。モーリスとマイアの兄妹が立っていた。
「よかったら、みんなでカードをしませんこと?」
わたしは薄青色の瞳をみて肩をすくめた。
「ええ、ぜひごいっしょさせていただきたいですわ」
くちびるの端にうっすらと上品な微笑をのせる。
窓の向こうには月明かり。迷路に隠されてみえないけれど、エドゥアールとクロエはきっと薔薇園にいる。月明かりの下、薔薇園を歩くふたりの姿を想像する。それはうるわしい光景だった。まるで絵画のなかの妖精の王と女王のように。
だれかの足音が近づいてくる。軽く頭を下げて追い越していったのはベルナー氏だった。わたしはベルナー氏のクロエをみる目を思い出した。なぜか、胸騒ぎがした。