12.
「あのころ、わたしは夢見がちだったわ。おもちゃの指輪をもらって、いつかベルナーさんのお嫁さんになれるんだって信じてた。身分のちがいというものをわかっていなかったの」
いまだって十分夢見がちだろう。エドゥアールへの態度を思い出して盛大に突っこみたかったががまんした。たぶん、クロエは父親が爵位もちの貴族だと判明したうえに、この楡屋敷に引き取られて贅沢な暮らしを与えられ、恐いものなんてなにもない状態なのだ。貴族のなかでの序列など思いもつかないのだろう。
「わたし、お姉さまがうらやましいわ。ずっとお父さまのお側にいられて、あんなすてきな婚約者がいらっしゃって」
フランソワーズも、恐いものなんてなにもないクロエが心底うらやましいにちがいなかった。
もう何曲か歌ったところでモーリスがマイアを迎えに来た。
モーリスはマイアと話しながらもしきりにクロエを気にしていた。15歳にもなる妹を迎えに来たというより、妹を口実にしてクロエに会いに来たというのが真実だろう。マイアも心得ているらしく、兄とクロエを見比べてにやにや笑いを噛み殺している。
「ねえ、クロエ。午後はピクニックに行かない? お兄さまが馬車を出してくださるわ。ねっ、お兄さま」
「あ、ああ。宿題は終わってるんだろうな」
「当然じゃない」
「よいだろう。クロエ嬢、申し訳ありませんが、妹に付き合ってやっていただけませんか」
モーリスの声はわずかにうわずっていた。かすれた低音は艶めいた響きを孕んでいて、潤んだ瞳はクロエの髪飾りのあたりを凝視している。男ばかりの士官学校で浮いた話ひとつなく鍛錬に明け暮れているのだろう。女性慣れしていないのは容易に見て取れた。
「もちろんですわ」
クロエは鷹揚にうなずいた。モーリスはあからさまにほっとした表情を浮かべた。マイアはわたしに共犯者の笑みを浮かべてみせたが、優秀な御令嬢であるわたしは、午後には重要な課題があるのだった。
「ヴィクトワール……さまは、どうなさいますか」
「フランソワーズさまとベルナーさまが教会を案内してくださるそうです」
「あら、残念」
まったくだ。しかし優秀な御令嬢であるヴィクトワール・ド・ドルーに社交をすっぽかすという選択肢は存在しない。エドゥアールはともかく両親や兄たちに迷惑がかかるから。それにジレ夫人のお説教は一度はじまると際限なく長かった。
気楽なマイアをうらやましく思わないといえば嘘になるが、しかたのないことだ。わたしに友達がいないこともエドゥアールが婚約者であることも、たくさんあるしかたのないことの一部なのだった。
「でも、フランソワーズは建築にはちょっと詳しいからたのしめると思うわ。博識なのよ、彼女。自分から表に出すことはないけれど。聞いたらいろいろと教えてくれるわよ」
「それはたのしみです」
「お上品だから誤解されがちだけど、話せばわかる人よ。気が利くし。口が堅いし。なかよくなれたら、あれほど頼もしいお姉さまは、そうはいないんだから」
マイアの熱弁にわたしも午後がたのしみになってきた。