10.
翌日の朝食の後、エドゥアールはわたしをペロー卿に紹介してくれた。
ペロー卿は40代後半の男性で、腎臓が悪いのだろう、不健康に黒い皮膚をしていた。まぶたはむくみ隙間からのぞく瞳はフランソワーズやクロエとおなじ色だったと思われた。40代とは思えないくらい濁っていて、はっきりとはわからなかったが。長くはないのは一目でわかった。夫人が憔悴するわけだった。
「殿下がたいへんお世話になったそうで。殿下は行きの列車でもしきりに貴卿を気にかけていらっしゃいましたわ」
これはほんとうだった。エドゥアールは情には篤いのだ。
「殿下のように情に篤いお方とご縁があってあなたのご両親もさぞご安心でしょう。わたしも嫁き遅れの娘がおりまして、ずっと心配しておりましたが、先日とうとう良縁にめぐまれましてね。ほんとうに、最期に娘の晴れ姿をみるのだけがたのしみなのです」
「あなた……」
「心残りといえば下の娘のことだけ」
「だいじょうぶですわ、あなた。わたくしがおりますもの」
夫人が目元をうるませた。卿と手を取り合って涙ぐむ。
こんなに円満そうな夫婦でもクロエみたいな子ができたりするものなんだなとわたしは内心感心した。卿がこの調子では夫人もフランソワーズもとてもクロエを追い出せないだろう。
ノックの音がしてフランソワーズが入ってきた。
「お母さま、ユボー先生がおみえだそうですわ」
「ごめんなさい、フランソワーズ。あなたが応対してくれないかしら。先生にこんな顔をおみせするわけには……」
「でも、わたくしでは書類のことはわかりかねます」
フランソワーズはぴしゃりと言った。言ってしまった後すぐに、いまにも泣き出しそうなくらい顔をゆがませ、気丈にも表情を取り繕おうとする。気が立っているのはみてわかった。父親がこの状態では無理もない。
夫人はエドゥアールとわたしに重ね重ね感謝の言葉を述べ、部屋を出て行った。流れでわたしとエドゥアールも辞すことになった。フランソワーズは座りこんで父親の手を握っている。
ドアの前で主治医のカミュ先生にもう一度お礼を言われた。50代の痩せ型で人好きのする医者だった。ふだんは陽気で気さくな人なのだろうと思われたが、表情をみるに、やはり卿は長くないらしかった。
部屋の前で待っていたセヴランとアルフォンスを連れてどちらともなく歩き出す。しばらくなにも話したくない気分だった。めずらしいことにエドゥアールもおなじらしい。わたしたちは黙々と歩いた。
階段の側、ホールの真上を通りがかると、階下では夫人が30代くらいの身長の高い男性と話しているところだった。銀縁眼鏡をかけてお堅い身形をした理知的な男性だ。おそらくは彼が顧問弁護士のユボー先生だろう。昨夜のクロエの話を思い出した。相続の問題で呼ばれたのは容易に察せられた。ますます気が重くなった。
クロエの結婚が決まらないことには夫人もフランソワーズも安心できないだろう。なにしろ、卿はフランソワーズと資産家のパトリックとの結婚が決まったことにすっかり安心しきっている。爵位はフランソワーズの夫が継ぐほかないだろうが、これではクロエに爵位以外の全財産を残すと言いだしてもおかしくない。
エドゥアールが足を止めた。3階の客室に戻るつもりらしい。
「午後はフランソワーズ嬢とベルナー氏が教会を案内してくれることになっている」
「うかがっております」
「それじゃ、昼食の後で迎えに行くよ」
「かしこまりました」
外はいい天気だった。わたしはセヴランを連れて中庭に散策に出ることにした。薔薇は当分みたくなかったが、楡の木立をみにいこうと思ったのだ。けっして薔薇が嫌いなわけではない。ただ、向こう1週間分は十分堪能したと思う。