ハムカツの歌(マグロアッパー)
友人の結婚式に出席したら「カタログギフト」を貰った。そのカタログに載ってるモノならどれでも一つ差し上げますよっていう、引き出物の一種だ。
どうせロクなもんなんてね~だろ。そう思ってページを捲ってたんだが、いつの間にか見入ってた。食器に食べ物、温泉の入浴券なんてのもある。
その指が、不意に止まる。
そこで見つけたんだ、ハムを。極上ハムの詰め合わせってやつをさ。
『ねぇ、カタログギフト貰ったんだけど、何がいいかな?』
囁かれるように、懐かしい、誰かの言葉を思い出した。
思わず苦笑しちまう。あの頃、俺は借り物の光で輝く月みたいな存在だった。アイツという太陽の光を借りて、ようやく輝くような。
大学一年の冬。独り暮らしでどうにも金がなかった俺は、キャバクラの裏方で働き始めた。キッチンの他、呼び込みの手伝いも兼任するそこそこ高額なバイトだ。
そこでアイツに、平野由美に出会った。
繁華街にある、ボロいビルに入った店のバックヤードで。
「わっ、揚げたてポテトだぁ。も~~っらい!」
「は? だ、駄目ですよ。勝手に食べちゃ」
初対面の頃から、アイツは変な女だった。
店のキャバ嬢とは話しちゃいけない決まりになっている。それでもアイツが普通に話しかけてくるもんで、こっそり応じていたら、いつしか仲良くなった。
何か、気が合ったんだよな。
「あの、よかったら今度、映画でも行きませんか?」
「え? 私と? あ~~あはは、いいよ」
そっから先は自分でも呆れるが、若さに任せ、夏休み中に同棲まで始める仲に。
店では「ハツネ」と呼ばれてたアイツ。実は俺と同い年で、年齢を偽って十八の頃からキャバ嬢として働き、その金で短大に通っていた。
そう説明すると苦学生のように思われるが、その実、自堕落で、でもその短所も底抜けに明るい長所で補われるような、そんな女だ。
俺は随分と由美の明るさに救われた。
兄貴みたいに優秀じゃない三流私大に通う俺は、昔から両親に何の期待もされずに育った。仕送りが少なくて貧乏してるのも、そのせいだ。まさしく滓だった。何をやっても兄貴以下で、それでも頑張って、でも駄目なことも多くてさ。
そんな俺が由美とハムの話をしたのは、同棲半年後の、真冬のことだ。
「ねぇ、カタログギフト貰ったんだけど、何がいいかな?」
「はぁ? カタログギフト?」
バイトのない日曜の夕方。出かけていたアイツが戻ってくるなり、ほくほく顔で言う。鞄からカタログのようなものを取り出した。
「やっぱり食べ物の方がいいよね? お肉? あ、ボイルの蟹もあるみたいだよ」
「ちょ、待て待て。誰に貰ったんだよ? んなもん」
「え? ヤヨイさん。友達の結婚式で貰ったらしいんだけど、見てると腹が立つから捨てようと思ってたら、私の顔が浮かんでくれたんだって」
そこで得心する。ヤヨイさんは古参のキャバ嬢で面倒見がよく、由美は妹のように可愛がられていた。
「それで、どうする? お肉? 蟹? 久々の御馳走だよ!」
「ちょ、落ち着けって。まぁ、まずはじっくり見てみようや」
それから俺たちは、うひょ~~とか、肉~~とか、バームクーヘ~~ンとか、あぁ食器ね、とか言いながら、カタログギフトを眺めていた。
「あ、ハム!」
そこでハムに目を留めたのは由美だ。
「ハムか。うまそうだな」
「詰め合わせ……ヤヴァイ、これ、量的にもよくない?」
「確かにな。なんか他のに比べてお得感出てるよな」
「うんうん! それにハムさえあれば、どんなお酒でもいけるし」
「おぉ、言われてみるとそうだな! 無敵じゃねぇか。なら決定か?」
「そうしよっかぁ。楽しみだなぁ。ねぇ、ハムが来たらどうやって食べる?」
「ん? そうだなぁ」
それから俺たちはハムの食べ方について議論した。やれ生がいいだ、ちょっと焼くのがいいだ、女子高生の恋バナくらい、理路も整然もなかったように思う。
「あ~~でも、揚げるのもいいよねぇ」
「ハムカツか。あのチープさがいいよな。骨に油をいれてる感じがして」
「衣がギトギトっとして、サクッと噛んだらハムの甘みがじわ~~って広がって」
「その甘みをビールの苦さで後追いして、くぅぅぅ! ってなもんで」
「たまりませんな、アンタ」
「たまりんませんね、キミ」
そこで酒好きの俺たちは笑顔を交換すると共に、黙ってしまった。
お互いの単純な考えは、その沈黙に漂う気配で痛い位に分かった。
「ねぇ、ちょっとヤバイね」
「あぁ、ヤバいな」
いつもはカップ麺で簡単に済ませる俺たちの夕食。
時刻を確認すると十九時半という、なんとも微妙な時刻だった。
「ねぇ、食べにいかない? ハムカツ?」
「はぁ? 今からか?」
「うん、もう胃がハムカツモードになってるの」
「このくっそ寒い中を? っていうか、ハムカツ出してる店知ってんのか?」
「探せばありそうじゃない? ほら、学生の街だし、色んな店があるじゃん」
「まぁ確かにな……ん~~でもな」
「ねぇねぇ、いこうよ! ハムカツ!! 骨に油をいれようよ!」
「あ~~はは、分かった分かった、しゃ~~ね~~な、んじゃ、いきますか」
「やったぁ!」
そうして俺たちはクソ寒い部屋を抜け出し、これまた信じられない位に寒い路上に飛び出した。
「ぴきぃ、寒いよぉ」
「おま、ズライムみたいな声をあげるな」
「ぷるぷる、僕、いいズライムだよ。仲間にしてよぉ」
「はは、微妙に色々と間違ってるのがお前らしい」
ダウンジャケットなんて洒落たもんは持ってない。ジャージを二枚重ねにし、マフラーぐるぐる巻きで、体を震わせながら食いもん屋方面に歩き始める。
アイツが「寒、しぬ」とか言って絡めてくる腕を、くすぐったく思いながら。
「ねぇ、寒いからなんか歌おうか」
「はぁ? 何でそうなんだよ」
その最中、突然提案してきたのはやっぱりアイツだ。
「いいじゃん、歌おうよ。さぁ、向かうぞ、台所~! 目標は、ハムカツ~って、あれ?」
「歌詞変わってんぞ。そこはカツレツだろ? どんだけハムカツ食いたいんだよ」
「あはは、じゃあ、ハムカツの歌だ。いくよぉ! さぁ、向かうぞ、定食屋~! 目標は、ハムカツ~!」
「語呂わるっ、向かうぞ定食屋って、語呂わるっ!」
今思えば、二十歳の頃の俺たちは、思ったことを平気で口に出し、時に興奮して叫んだり、意味もなく歌ったりしていた。
不自由も不都合もあったけど、よりよい世界の到来を、頑なに信じていた。
結局、何件か回ってもハムカツは見つからなかった。だけど無ければ無いほど、探してる宝の価値が高まったような気がして、笑って歌いながら探し続けた。
「うはは、ばっかみてぇ。雪降って来たぞ、ハムカツ探してて」
「こうなったら、意地でもハムカツを見つけなくちゃ!」
そして二十一時を回った頃にようやく見つけ、期待して待ってたらペラッペラのハムカツが出てきて爆笑し、それでもウマイウマイ言いながら食ってた。
「あっ、おじさん、ハムカツ、一枚テイクアウトできますか?」
「テイクアウト? いいけどお嬢ちゃん、一枚でいいの?」
「はい!」
それからコンビニで発泡酒を買い、帰ったんだ。ハムカツを齧り、発泡酒を回し飲みながら、馬鹿みたいに笑って、馬鹿みたいに寒い中を、二人で。
「ハムカツ……か」
今、その由美は、いない。死別したとか、そういう訳じゃない。理由も覚えていないような些細なことで喧嘩し、それで、別れて、それっきりだ。
俺は由美がいなくなったアパートでそれからも暮らし続け、何とか就職し、今は別の場所で生きてる。カタログギフトを眺め、昔のことを思い出したりしながら。
思えば十年前のあの頃、幸福は、こんなちっぽけなカタログギフトに宿ってた。
コタツしか暖房器具の無い、化粧品の臭いが漂う狭いアパート。由美は稼いだ金を酒と学費につぎ込んでて、俺も情けない位に貧乏だった。
そんな中、カタログに目を輝かせ、二人で一番幸福になれそうなものを探した。それが、ハムだった。そして、ハムカツの話をしてたらたまらなくなって、二人で歌いながら探しにいったんだ。まるで幸せを探すみたいな、そんな足取りで。
この話は、別に何でもない、そんなハムから連想した話だ。
特に俺という主人公が何かを解決する訳でも、克服する訳でも、ましてや別れてしまった恋人と再会する訳でもない。
過ぎた日々を徒に想い、無限に寂しくも嬉しくも思ってる。そんな……。
「今頃アイツ、何してんだろうな?」
てん、てん、てん、とボールが転がる。回顧は無駄だ。現在に何の影響も及ぼさない。悲しさや侘しさに作用するだけだ。そんなことは、よく、分かってる。
ただ、ふと思う。由美と付き合っていたのなんて、実質、二年に満たない。だけどそれ以上の時間が、そこから思いがけない形で繋がって行くこともある。
例えば今日、カタログギフトのハムを見て、アイツのことを思い出したように。
「まっ、今もどっかで、楽しそうに笑ってんだろうな」
そう。アイツにしけた面なんて、似合わない。
俺とは違う。由美がいなくなった後の俺は、なんかもう、てんで駄目で、あの日々が幻だったんじゃないかってくらい、冴えない毎日を送ってる。
いずれにせよ、由美はもう俺のことなんて思い出しもしないだろう。それでもいい。知らず微笑みが溢れ、気付くと俺は付属の葉書にハムの番号を記していた。
「ば~~か、元気でいろよ」
呟くと、あの日、二人で馬鹿みたいに楽しく歌ったハムカツの歌が、記憶の池から聞こえてきた。嫌になるくらいに不自由で不都合で、でも自由だったあの頃。
『さぁ、向かうぞ、定食屋~! 目標は、ハムカツ~!』
アイツと歌った、調子っぱずれな、あの歌が。