第一話
僕は今、中東のSという国に来ている。
トルコを経て入国するルートはとっくに閉鎖されていたから、ニュースで話題になっている東欧を経由するルートを選んだ。
つまり、難民たちの逆コースを進んだ訳だ。
途中、難民の子供たちの写真を撮影して通信社や新聞に買い取りをもちかけたが、無視され続けた。
戦争の一番の被害者は子供や女性です
そういうフレーズが大好きなはずの日本のマスコミが引っかかってくれるかもしれない、という期待は見事に外れた。
その手の写真はもう溢れかえっていたし、そもそもS国の難民問題はセンセーショナルな話題ではないのだ。
別に僕はそのことに対し義憤を感じたりはしなかった。
その時の気分は、ブックオフに持って行った本が半ば予想したとおりの安値しかつかなかった時の感情に似ているかもしれない。
ギリシアを出国して密漁船に乗って地中海をわたりダマスカスに着いたのが今月の初め。
かつて栄えたその土地はすでに都市の死骸だ。
それでも、人々は行きかっているし、生活をしていた。
そのことに感動しなかったかと言えば嘘になる。
僕は、ニコンのD330で魚屋の店主が大声で売り口上している姿やタクシーの運転手、路地で優雅に水タバコを吹かす老人などを撮影して淡い期待をもってオファーをだしたが、食いついてくる会社はどこにもなかった。
そして、1年が過ぎようとしていた。
戦闘は街中のいたるところで続いている。
しかし、ソレを捕らえることは出来ずにいた。
決定的瞬間というやつだ。
戦闘は本当にいきなり始まる。
映画のように観客を不安にさせるような不気味な演出はない。
さっきまで人々でにぎわっていたマーケット、子供が遊んでいる路地、広場。
爆発、銃撃、悲鳴。
後に残るのは何かが燃える臭いと火薬の残り香、そしてかつて人間だった物とその部品。
血のにおいを意識したのは初めてだった。
最初にその現場に居合わせた時はさすがに興奮した。
日本では味わえない、生と死が同時に存在する、ビリビリとした空気。
高揚感を覚え、D330のシャッターを切りまくった。
AK47を乱射する兵士、RPG7を構える兵士あれやこれや。
戦闘が終わったあとも僕はその興奮に酔っていた。
泣きながら小学校低学年くらいの男の子を抱きかかえている父親、その腕の中の子供の頭は半分吹き飛ばされている。
崩れた瓦礫を必死になって掻き分けている中年女の姿。
アラビア語はほとんど理解できないが、誰か大事な人が生き埋めになっているんだろう。
すごい、すごいこれが戦場だ。
僕は、そういう現場で不幸のどん底にある人たちに嬉々としてレンズを向けた。
ファインダー越しならば、どんなに憎悪の視線を向けられても怖くない。
石を投げられたこともあるが、街中で10ドルで買ったヘルメットと15ドルで買った変な臭いの染み付いたボディアーマーを着ているから痛くはない。
もちろん、それらの写真に買い手はつかなかった。
結局のところ、僕も含めてそういう映像に皆が慣れすぎてしまっているのだろう。
皆に注目されるようなネタはないだろうか。
数年前まで、僕はパッとしない地方都市のパッとしない高校を真ん中くらいの成績で卒業し、スーパーや街のイベントのチラシを作る平凡な会社に就職した。
小さな会社だったから、趣味で写真撮影という面接の時の一言でカメラマンを任されたことも何度かあった。
そして、ある日こんなことが頭をよぎった。
僕は一生、一束199円のほうれん草の写真や、誰が読んでいるのかさっぱりわからない市役所のパンフレットを作って一生終わるのか?
それが若者特有の思い上がりであることは否定しない。
けれど、その時はそれではいけない気がしたのだ。
写真家になりたい。
それは子供の頃から漠然と抱いていた夢だった。
もちろん、他の子供がサッカー選手になりたい、お菓子屋さんになりたいというのと大して変わらないものだった。
中学時代ロバート・キャパや一之瀬泰三の物語に痺れた。
写真家になるにはどうすればいいか、色々と調べる。
大手のマスコミや通信社の社員になる、無理だ。
有名な写真家の弟子になる、今時徒弟制度?勘弁してよ
写真の専門学校に入りそのツテを使って・・・おいおい何年後になるんだよ
僕は悶々とした日々を送りながら、生理用品のパッケージや地区センターの紹介用写真を撮影していた。
ある日の昼、会社でコンビニ弁当をペットボトルのお茶で流し込んでいると、テレビからニュースが流れていた。
それはS国のもので、政府軍と反政府軍とイスラム原理主義集団の三つ巴の戦いを繰り広げていると僕には一生縁がなさそうなキレイなニュースキャスターが喋っていた。
普段ならばそのまま流してしまうようなありきたりなニュースだったが、現地の映像にチラリと映ったカメラマンの姿が僕の脳裏に強烈に焼きついた。
海外旅行の経験もなく、英語もロクに理解できない、僕の英語の偏差値は40を上回ることはなかった、僕がダマスカスまで殺されずに来たことはそれなりに幸運だったからだろう。
僕は、昼間からダマスカスの潰れかけたホテルでぬるいビールを飲んでいる。
ツマミは赤十字の刻印つきのマメの缶詰。
イスラム圏なのにアルコールが手に入るのは不思議だが、目の前にいる中年男はどこともなくそれを手に入れていくる。
彼は阿諏訪という戦場カメラマンで、この道20年のヴェテランだ。
S国くんだりまで来る日本人カメラマンは珍しいのですぐに打ち解けた。
「結局さ」
彼はアルコールとそれ以外のものによって澱んだ目つきを僕に向けながらいった。
「ニュースっていうのはアダルトヴィデオなんだよ」
この話は何回目だろう?
「へえ、そうなんですか」
僕は彼の機嫌を損ねないように相槌を打つ。
先輩にはそれなりに敬意を持つべきだし、彼の紹介でいくつか仕事を貰うこともできるようになっていた。
「もっと刺激的にもっと過激に。画面の前にいる連中が求めてるのはそれだけだ」
「じゃあ、女子アナはAV女優ですか」
阿諏訪さんが下品な笑い声を上げる。
「そうだな、観てる奴の望みどおり演技してるんだから立派なAV女優だ」
一緒になって笑いながら僕は生ぬるいビールを飲み下す。
遠くで砲声が聞こえる。
部屋のエアコンはいつも機嫌が悪い。
額にうっすらと汗。
僕は何本目かわからない缶ビールのプルトップを引く。
最近は大きなドンパチも発生しないし、人目を惹くような先進国の人間が誘拐されるようなホットな事件も起きていない。
つまり、商売あがったり、ということだ。
阿諏訪さんは缶ビールの飲み口に自分で作ったジャガイモの密造酒を器用に注いでいる。
「なあ、ちょっと小耳に挟んだ話しなんだがな」
視線は缶ビールの飲み口を注目したまま、彼は言った。
「近々過激派の外国人捕虜がダマスカスに移送されてくるらしいんだ」
僕はプラスチック製のイスにだらしなく背をあずけたまま天井を見つめていた。
「それがどうしたんですか?」
「その中に日本人が居るらしいんだよな」
アルコールで鈍った頭でその言葉の意味を処理するのに少し時間が必要だった。
「え、本当ですか?」
僕は思わず立ち上がりテーブルを叩いた。
ビールの空き缶が床に落ちる。
「わからん。中国人かもしれなし、インドネシア人かもしれない」
阿諏訪さんはビールの密造酒割を旨そうに飲む。
「奴らにしてみればアジア人は皆同じ顔に見えるからな」
奴ら、というのは情報元の人間だろう。
それにしても日本人捕虜とは。
乗客に日本人はいませんでした。
よく聞くフレーズだ。
それだけでどんなに悲惨な事故も一瞬で忘却される。
だが、逆に言えば日本人が関係していれば結構なインパクトになる。
何年か前にイスラム過激派組織に志願しようとした日本人が警察に拘束されたことがあったが、それなりに大きなニュースになった。
それが実際に戦闘に参加していたとなればスクープだ。
僕は興奮したが、同時に阿諏訪さんは何でそんな話をするのか疑問を感じる。
「そんな大事な話、僕にしていいんですか?」
阿諏訪さんは豆の缶詰を手に取るが、ニオイを嗅いだだけでテーブルに戻した。
「このネタ、お前にやるよ」
彼はアルコールで濁った目を床に落とすとポツリと呟いた。