白雪姫の鏡の転職先は
「鏡よ鏡、この世でいちばん美しいのはだあれ?」
いつもの問いかけに、私は正しく答えをかえす。
「それは、隣国の第三王女で」
「ちがうっ!!」
問いかけた人物は私を壁から力任せにひっぺがすと、床に叩きつけ、さらにはげしげしと遠慮なく踏んできた。前回も思ったのだが、どうしてこう、私は主に恵まれないのだろうか。
私を踏みにじりつつ、質問してきた人物は鼻息荒く叫んだ。
「この世でいちばん美しいのは、俺のユリアだろうがっ!!」
「いやそんな、主の主観で決めるわけではないからな」
「ああ?」
凄みつつ踏みつける主の足に更に体重がのった。ミシミシと鏡の嵌め込まれた額縁が嫌な音をたてる。私本体である魔法の鏡こそ魔法によってちょっとやそっとでは壊れない仕様になっているが、額縁は違う。ただでさえ前回の主が不慮の事故で亡くなり、長い間放置されたため劣化が激しいというのに。別に額縁壊れたからといって私の力に変化はないが、何となく座りが悪いのだ。……こう、人間で例えると、下着を着ずに服を着るような、微妙な感じである。
「おい鏡、今度こそ廃棄されたいのか?」
「主、知っての通り私は嘘はつけない」
現実逃避をしていた私の上でダンダンと足を踏み鳴らす主の姿についため息が漏れそうになるのをこらえる。
「だから、質問を変えるといい」
「はあ?どう変えろっていうんだ?」
不機嫌に鼻を鳴らしている主に、私は至極全うに提案した。
「主の愛する者は誰かと」
直後に蹴られ、私は床と接吻したまま部屋のすみまでとばされた。まことに理不尽である。本当に私は主運がないようだ。
私は魔法の鏡。たずねられたことならば、この世の森羅万象全ての真実を正しく告げる、強力な魔法道具だ。かつては人間だったが、自分でもおぼろ気になるほど昔のことなので、割愛する。
私は今の主に仕える前、とある国の女王に仕えていた。女王は確かに美しかったが、自分より美しい者がいることが許せない狭量な女であった。女王の世界でいちばん美しいのは誰かと言う問いに私が彼女の娘と答えると嫉妬し、暗殺を企てた。はじめは臣下をけしかけていたが、ことごとく失敗に終わると、今度は自ら手を下さんと出ていった。私が最後に見た女王は、嫉妬のあまり寝不足でお肌も髪もボロボロ、目は血走った化け物のごとき面構えで、そりゃ娘に負けるわけである。
女王を失い、それから国がどうなったかはわからない。
城の地下室に置かれていた私は、誰にも発見されることなく、長い時間を過ごしていた。
慣れた時間潰しのネタで次はどんな一人称にするか真剣に脳内会議をしていた私は、ある日唐突に呼び出された。
「お前が“魔法の鏡”だな?」
問うたのは、黒髪に黒い目、痩身で目の下に隈をこしらえた、存外整った顔立ちの、不健康そうな若者だった。しかし彼から感じとれる魔力は、優れた魔女であった女王に勝るとも劣らない、濃密で強大なものだった。
「いかにも、私が“魔法の鏡”」
それが私と今の主の出会いだ。ああ、主の魔力にうっかり気をとられ、面白味のない一人称になってしまった。我輩か小生かで悩んでいたのに。
どうやら女王が亡くなってからかなり経っていたらしく、私の情報はやや歪んで伝わっていた。問えば世界一の美貌を持つ者を答えるのだろう?とたずねる主に私は鏡の中で首をふった。そんな美容限定の便利道具に成り下がった覚えはない。そして私の能力を正しく伝えたあと、主が問うたのはこれである。
「鏡よ鏡、この世でいちばん美しいのはだあれ?」
私は内心うんざりした。この男も、女王と同じで自分が美しくないと癇癪を起こす性格なのか。魔力の籠った杖でぶっ叩かれるのは勘弁願いたい、あれは主や女王ほどの魔力の持ち主ならば、私にいくら防御魔法をかけられているとはいえ危うい、というか女王の時は一度ヒビが入った。後にも先にも、私が絶叫したのはその時だけである。流石に女王も愁傷に謝罪し、直ぐに修復してくれたが、あれ以来私は杖がトラウマになりかけた。
「鏡?」
主の怪訝な声にとりとめない懸念をふりはらい、私は真実を述べた。
「それは、大陸向こうの国の宰相の娘です」
ちなみに時代の流れだろうか、女王の時代にくらべ順位の上がり下がりが熾烈だ。
「は?」
予想通り低くなった主の声に、杖は来るなと念を送りながら私は正直に答えた。
「ですから、この世でいちばん美しいのは、大陸向こうの国の宰相の娘です」
「ちがうだろう」
来た、美しいのは自分宣言!そういうことは隈を消してから言え!と言いたいのをこらえ、私は主の出方を固唾を飲んで待った。切実に破損は嫌だ!
私の覚悟を余所に、主の言動は斜め上をいった。
「いちばん美しいのは、ユリアだ!」
「…………誰ですか?」
一瞬自分のアイデンティティーを放り投げて、私は疑問を口にした。
そこからの主は凄かった。
もとい、気持ち悪かった。
ユリアとは、主の幼馴染みの女性であり、栗毛に榛色の目、主よりも頭二つ分ほど背が低く、華奢だが出ているところは出てひっこむところはひっこんだ体型、性格は明るく優しい最高の女性と、滔々と途切れることなく語る主から聞き出した内容を端的に述べると、以上のようになる。ちなみに、上記の要点の軽く倍以上の修飾語(または賛美語)を省いてある。
「という訳で、俺のユリアは世界一の美人だ」
何故か誇らしげに、主はそう締めくくった。さりげなく“俺の”とついているが明らかに面倒な匂いがぷんぷんするので、私は別のことを聞いた。
「そこまで分かっていらっしゃるなら、どうして私にお聞きになったのです?」
私が言い終えるや否や、さっきまでいきいきとしていた主の動きがピタリと止まった。主の顔をまじまじと見ると、その視線がさっとそらされる。代わって此方に見えるようになった主の耳が赤くなっていた。
嫌な予感、というのはどうしてこう、当たるのだろうか。
「もしかして、ユリア殿が答えになる問いをして、ユリア殿の姿をこっそり見ようと」
最後まで言う前に裏返されて壁に叩きつけられた。今代の主による初暴力がこれである。
それから主は性懲りもなく、何度も同じ質問を繰り返した。
その度に私は正直に答えたが、私の答えに彼女の名前が出たことはなく、徐々に折檻は激しくなっていった。
ある時、主に伺ったことがある。
「ユリア殿と主は直接お会いできないので、このような手段をとっておられるのですか?」
例えばユリア殿がもうすでに主ではない男に嫁いでいるため、主は行き場のない思いを抱えてこんな暴挙に、なら話はわかる。――気持ち悪いことに変わりはないが。
「いや、そうでは、ないが」
首を横にふった主は、目を泳がせ、口元をもごもごと動かした。私は無い耳を皿のようにして、何とか聞き取る。
聞き取らなきゃよかった。
「……直視、できない……眩しすぎて」
言い様のない虚脱感に襲われた。私が人間なら、脱力してはいつくばっているに違いない。このヘタレ!など諸々の罵倒を飲み込んだ自分を誉めてやりたい。
何だろう、ろくな主人に仕えられないという呪いでもかかっているんだろうか、私は。
「主、かなり危ない壊れます!やめて!」
「お前がとんちんかんなことをぬかすからだろうが!」
「あら、何だか騒がしいわね?」
今日も今日とて、私が正直に答えたばかりに主の理不尽な暴力を受けていると、はじめて聞く女性の声がわって入った。
「……ユリア」
ちょうど私を床に叩きつけるために大きく振りかぶっていた主の腕から力が抜ける。あ、やばいと私は衝撃を覚悟したが、意外なことにそうはならなかった。ふわりと何か柔らかいものに受け止められたからだ。
私を受け止めた女性は、好奇心の強そうな榛色の瞳で私を見下ろした。
艶のある栗毛の髪に、色白の頬。驚きでか僅かに開いた唇は綺麗な薔薇色で、そこそこ整った顔立ちをしている。背丈はちょうど主より頭二つほど低く、体は細めながら女性らしい丸みを帯びていた。
先ほどの主の発言と事前に聞き知った情報を照らし合わせれば、なるほど、この女性があの主が恋い焦がれて止まないユリア殿らしい。
ユリア殿は、私を物珍しげに眺めた。
「あら、鏡かと思ったら、顔がついているのね?不思議、魔法道具なのかしら?」
「いかにも。私は、“魔法の鏡”」
「まあ、しゃべるの?」
「ああ、話せる。そして、質問には何でも答えよう」
「何でも?へええ、あなたすごいのね!」
私の常套句に目を丸くして驚くユリア殿は、なるほど愛らしい。主もなかなか目の付け所が良いではないか、と鼻の下を伸ばしていた私の額縁に、ガシリと手がかかった。
「それを返せ、ユリア」
口では非常に横柄な言い方で、今にもユリア殿から私を引ったくらんばかりだが、主の視線はどこか宙を泳いでいる。主は痩せているとはいえ男性と女性、何なら力ずくで取り返せるだろうに、それをしないのは性格に似合わず紳士だからか、単純にヘタレだからか。確実に後者だろうな、と私は断定した。
「わかったわ、でも危うく落としてしまうところだったわね。こんな大切なもの、割れたら困るのはセルジュでしょ?」
ユリア殿は素直に私を主に渡しながらも、優しく諭す。それに主はフン、と鼻を鳴らしただけだった。恐らく眩しいが故の照れ隠しなのだろうが、傍目から見ても控え目に言って感じの悪い男である。ユリア殿はそんな主にはあと大きくため息をついて、肩をすくめた。
「相変わらず無愛想ねえ……そんなんじゃ、モテないわよ?」
「……」
全くもって、その通り。
私が主に抱えられながら内心深く頷いていると、ビクッと主の腕が震えた。
ユリア殿がずずいと主に近寄ったからだ。主は後退りかけたのを何とかこらえたが、微妙に上半身が反っている。
そんな主を知ってか知らずか、ユリア殿は大きな瞳で主を見据えている。
「おかしいわ」
「……何がだ」
主の声はユリア殿に接近しているからか、微かに震えている。しかしユリア殿は気付いていないようで、さらに追及した。
「だってセルジュ、いつもなら“結構だ”なんてキッパリ否定するのに、無言だなんて」
まさしくモテたい人が目の前にいるからだろう。いや、ユリア殿の口ぶりからして、以前は変な見栄を張ってユリア殿の目の前ですら、そんな心許ないことを言っていたのか。少しは主が成長しているのを喜ぶべきか、悩み所である。
「別に、……ただ言うのが面倒だっただけだ」
主、目をそらして言っては嘘をついていますと白状しているようなものだ。ユリア殿にもそれは当然わかったようで、より疑わしげに主を見ている。ユリア殿はしばらく主に詰めよっていたが、主は頑として口を割らない。しばらくしてユリア殿は主から体を引いた。ようやく追及が緩んで安堵したのか、主の体から緊張が抜けて弛緩する。
「良いわ、そこの鏡さんに聞くから」
「はあ!?」
ユリア殿の唐突な宣言に、主と私の声が重なる。その一瞬の隙をついて、ユリア殿は主から私をさらった。
「鏡さん、セルジュが変わったのはどうして?」
「それはんぶっ!?」
開きかけた私の口が尖ったものでつかれた。ユリア殿の肩ごしに伸ばされているそれは、主の持つ杖だ。私は口を開こうとするも、のりでピッタリ張り付けたがごとく、くっついている。私の口を魔法で封じるとは……忘れていたが、今の主も前の主に負けず劣らず魔法に長けているのだ。
「ちょっと、セルジュ!」
「……」
ユリア殿と私の(無言の)抗議にも、主は冷たい視線を返しただけだった。
「人のことを、無理矢理暴こうとするからだ」
いや、それは主には言われたくないな。
と、私は半眼で突っ込むが、ユリア殿には分かる筈もない。
びくりと身をすくませ、ユリア殿は下を向いた。確かに、主の裏事情を知らなければ、ユリア殿の行動は少し主に対してデリカシーがないかもしれない。
しかし、重ねて言うが、隠れてユリア殿の様子を窺おうとした主には言われる筋合いはない。断じてない。
「……ごめんなさい」
やがて、ユリア殿は謝罪した。その語調の弱々しさに、関係ない私まで何やら悪いことをしたような気分になる。私ですらこうなのだから、主といえば、況んやである。
「分かればいい」
相変わらずぶっきらぼうだが、やや声を固くして早口で言うと、主はユリア殿に手をさしのべた。私を返せ、ということらしい。ユリア殿は愁傷に私を主の手に乗せながら、またもや爆弾を投じた。
「でも鏡さんが答えそうになったのだから、あなたは“変わった”し、“変わったことに理由がある”のよね」
ユリア殿の鋭い指摘に、主はぐっと詰まった。だがユリア殿は図星をついたことを誇るどころか、目を伏せたまま、ぽつりと呟く。
「でも、あなたはそれを私に教えたくないのね……」
寂しいと、言外に告げているような声だった。先ほどのやや強引な態度にせよ、ユリア殿はひょっとして……。
私が邪推しかけたとき、バチンと魔法が解かれた。ユリア殿の言葉には触れず、主は話題を変える。
「そういえば、お前は何しに来たんだ?」
「……最近、セルジュがどこかに出掛けたかと思ったら、帰ってきてから家に引きこもっているって聞いて、気になって、様子を見に来たの」
私が主の元に来てから数週間。その間、主は日がな一日私に同じ質問をぶつけ続け、なおかつしばき倒し、外に出た様子はなかった。ユリア殿はそんな主を、心配しているらしい。主は見てくれの通り、他人に横暴で非友好的だ。それなのに、こうも気にかけるとは……やはり。
「余計なお世話だ」
主の平坦な言葉が響く。ユリア殿が息を飲んだ音が、はっきり聞こえた。
「お前には関係ない」
「主!」
主のあんまりな物言いに、私はつい口を出してしまった。だが主もユリア殿も、全く私の方を見ていない。
「でも、……セルジュがすごい魔法使いなのは知っているけど、うっかり魔法道具に魅入られてしまってないかとか、思って」
「だとしても、素人のお前に何ができる」
正論にしては、言い方がきつすぎる。再び主を制すため私が声をあげる前に、強い視線を感じた。はて、とそちらを見ると、ユリア殿と目があった。睨まれている、と思ったのは一瞬で、縋るような眼差しを送られている、と悟る。彼女も、必死なのだ。その瞳に、私は決心した。全てぶちまけてやろう、と。
「娘、気になるなら私に聞けばよい」
「……え?」
「おい!」
主の焦った声と魔法が動く感覚があったが、私も何気に由緒ある魔法道具。優秀だとはいえ、二度も若造に出し抜かれてたまるかと、涼しい顔で主の魔法を跳ね返した。なぜかからない、と慌てふためく主をよそに、ユリア殿はふらりと私の側による。主が気づいた時には、ユリア殿は私と接吻せんばかりに距離が近い。無理にユリア殿から私を引き離そうとすれば、私がユリア殿の顔に当たってユリア殿を傷付けてしまうかもしれない。または、私と距離が近いということは、必然的に主とユリア殿も急接近している訳である。どちらにせよ、主が固まっているのは好都合だ。
私は声にたっぷり威厳を含ませて、尊大に言い放つ。
「娘、問うてみよ。私は全てを知る、魔法の鏡だ」
ユリア殿は唇を戦慄かせ、うわ言のように私にたずねた。
「セルジュは、最近家に引きこもって、何をしていたの?」
「私に問いかけていた」
「一体何を問いかけていたの?」
「鏡!」
主が焦って叫ぶが、私は素知らぬ顔で真実を告げる。
「“この世でいちばん美しいのは、誰か”と問うていた」
私の答えに、ユリア殿の目が見開かれる。真っ直ぐ私を見ていた視線が、主に向かう。主はそっぽを向いて忌々しげに舌打ちしたが、内心気が気ではないだろう。
「どうして、そんなことを……?」
私に問いかけた、と言うよりは思わずといった感じで呟かれたその言葉にも、私は律儀に反応した。
しかし、私は失念していた。
あまりにも長い時を生き、情けないことに自分の能力を忘れていたのだ。
私は、魔法の鏡。
問われれば、真実を告げる。
すなわち、意志はあるので推測はするが、それはあくまでもただの予想であり、聞かれなければ私も真実を知り得はしない。
「セルジュを惚れさせたユリアは、世界一美しいに違いない、だからこそセルジュが惚れたのだと、セルジュがかたく信じているからだへぶっ」
私は主によって遠慮なく床に叩きつけられた。
しばらくして、ユリア殿の執りなしで破壊を免れた私は、いつの間にか主と共に暮らすようになったユリア殿にたずねたことがある(ちなみに、主に関する問いに私はあの問い以来いっさいがっさい答えられない強力な魔法、というより呪いをかけられている)。
なぜ主はああも、他人に対して無愛想なのか、と。
聞かれたユリア殿は、困ったように眉を下げてから、こっそりと答えてくれた。
「セルジュは何でも、あの有名な白雪姫の継母の兄の末裔らしいの。だからちょっと昔、それでいじめられて」
さもありなん。私は、激しく納得した。そして己の主運の悪さを再び呪った。
「セルジュはセルジュで、必ず悪い魔法使いになるわけじゃないのにね」
そう苦笑してから、ふいにユリア殿はお腹をさすった。心なしか、嬉しそうな微笑みを浮かべている。
「ねえ鏡さん、私も継母の末裔に加わるかもしれないって言ったら、セルジュどう思うかしら?」
私は、賢明にも沈黙を保った。
――いや、はじめて主の魔法もとい呪いに感謝した。




