神社の悪霊2
町で生活する傍ら、習慣のように神社の掃除をしていた。
木々に囲まれた森の中にひっそりとたたずむ神社は、夏場は一月で草が生え、秋になると一週間で落ち葉が積もる。
冬は手がかじかむし、春は春で華やぐ桜や目覚めた虫が暴れている。
『まったく、しょうがないなぁ……』
男はそういって、神社の周りをおよそ毎週、どこと無く喜ばしそうに掃除していた。
――まるで、手のかかるいとし子の世話をするような表情が浮かんでいた。
『きみ、ここの管理者をやらないか?』
それだけの間毎回きていれば噂にもなるのか、それとも何度も言葉を交わした神主から話がいっていたのか、突然男は市の職員らしい人物からそう誘われる。
『いくらかの給与も出そう。今のまま善意でやるよりは、ずいぶんといいだろう』
その話を、男は迷った末に受けた。
実際問題、彼がこの神社を掃除していたのは、ひとえに『恩』の賜物だ。
――ありがとうな。
かつて、男の子が重病を患った際、男は何もできなかった。
医者も、何も保障してはくれない。
『できる限りのことはやります……』
悲壮ささえ漂わせる顔からは、その跡に隠れた言葉が透けて見えた。
『……ですが、治るとは限りません』
――むしろ、治らない確率のほうが高いのだろう。
男はそれを悟った。妻を早くに亡くし、その忘れ形見を大事に厳しく育てて、ようやくわが子に『おとな』の影を見始めた頃合いになってのことだった。
『……っ。お願い、します……っ!』
男にはそういうしかできず、一晩中病院で祈るように泣いた。
そして、夜も更けてきたころに、男は病院を出て近くを歩き、偶然にこの神社を見つけた。
『神頼み……か』
――そんなことはしたことがなかった。本気で神様が願いをかなえてくれると思ったことは無かった。あったとしても、湧き出たばかりの水のように純粋な頃の話だろう。
それでも、今はどんな細い糸でも……たとえ幻想の白い糸でも、縋りたい思いだった。
『神様……っ』
――頼みます! どうかあいつを連れて行かないでください!
わが子はまだ何もしらない。
――この世界には、一人の人間がどんなにがんばっても楽しみ切れないほどのたくさんの素敵なことと、一人では味わえない奇跡のような出会いがあることを。
――楽しいことばかりではないけれど。面白くないことや辛いことは、自分が面白いことや楽しいことを知っているから感じられるという、何気ない発見さえ。
わが子はまだ、この世界のことをほとんど知らない!
『――どうかあいつを、助けてください……っ!』
何に向けているのかさえわからない涙を流しながら懇願し、ただただわが子の無事を不確かなものに祈り続けた。
――そして、子供は助かった。
『――ありがとう……っ』
願いがかなったのか、あるいはただの偶然か――きっとただの偶然と奇跡なのだろうけど、それでも子供は助かった。
恩義を感じる義理は無い。
それはあくまでも不確かなものだ。
――それでも、嬉しかったから。
――不確かだとか確かだとか、そんな瑣末ごとがどうでもよくなるくらいに、わが子の命が助かったことに男は感謝していたから。
男はその神社の掃除を始めた。その後、子供との仲は円満で良好とはいえないけれど、それでも子供は立派に成長した。
感謝のこもった掃除は、子供が親元を離れても続き、管理者になってからは一層力が入って続いた。
――いわく、『お金という「不純」な動機が混じった分、もっと態度で示さなければ』らしい。
その掃除は、結局男が病に伏せるまで続き、途絶えたのは男が鬼籍に入ってからだ。
『……ずっと、おぼえているよ』
――男の『恩』は、死後も続いた。
恩は情を残し、情は穢された。情を穢された怒りが、この神社には漂っている。
それが今、『天罰』としてささやかれている。