探偵役と助手さん4
ずいぶんとながくなり、またつまらなさそうな説明っぽい部分が盛りだくさんですが、読んでいただけると幸いです
途中で飽きないで~~~!
時間が止まったような時間が過ぎていく。
依頼主である圭さんが何事もなかったように去っていく後姿をぼくは見送っていた。直接見たわけではないけど、紫苑さんも後ろ姿を事務所の窓から目で追っているだろう。そういう気配がする。
「……行った、かな」
車がかろうじて二台通る程度の狭い街角から彼女が消える姿を確認して、ぼくは事務所へと戻ることにした。
その間に圭さんは一度も振り返らなかった――当然だ。圭さんはここに何をしに来たわけでもないのだから。
今日ここに彼女がいるのは、偶然ケージを持ち出して遠出の散歩をしていたら、理由もなく何もないこんな路地に入って、家出中の飼い猫のイータとを見つけ、ケージに入れて今から帰るところ……そんなところだろう。
「ただいまです、紫苑さん」
「おかえり。それと、お茶」
はぁーい、と声を上げながら、ぼくは慣れた足取りでもはや習慣化されたお茶汲みに従事する。その間に考えることといえば、やはり圭さんのことだ。正確には、彼女に起きた現象のこと。
「…………」
記憶をなくしたわけではなく、運命という名の因果をなくした圭さんは――なくした因果に合わせるために記憶が捻じ曲がったのだ。
それは彼女だけでなく、この世界に関しても同じこと。彼女がこの探偵事務所と接点を持っていたという事実は、もはやなかったことになっている。
奪ったのは当然紫苑さんだ。彼女は運命を集めるために、この事務所を興している――のは、もっぱらぼくな気もするけど。
ともかく! この事務所の主目的は『運命』を集めることなのだ。
「今回はどのくらい集まったのかな?」
そして――どれくらいの『運命』を消耗したのだろう?
「多くないといいなぁ」
……紫苑さんが疲れないくらいの量だといいなぁ、と思う。
運命を奪うのと、事実が捻じ曲がるのとは、表裏一体に見えてまるで違う。
奪うことは蓄えること、捻じ曲げることは動かすこと。言うならば、補給と消耗だ。消耗は少ない方がいい。
だから、余計な消耗を防ぐためにイータの運命は奪っていない――そんなことをしたら、ここ数日の彼女の感情のすべてを捻じ曲げなければいけないからだ――ので、イータの方は記憶があるはずだが、所詮は猫だ。捻じ曲がった運命を正せるほどの影響を与えられるとは思えないし、与えるだけの動機もない。
そうやって、『運命』を直接的に扱えるのは、ひとえに紫苑さんが特別なひと――霊能師という枠にも収まらないほど特異な存在――であるからだ。
百年に一度現れる――運命に愛され、運命を司る――ただの人間。この国での呼称でいう『運命の巫女』だからだ。
だけど、ここで話は戻る。
そもそも、『普通』では記憶は変化しない。本来であれば、『運命』を奪ってしまえばあった筈のことがなかったことになるだけで、つじつま合わせは発生しない。
それが自分の精神安定の為であったり、他人による人為的介入だったり、衝撃による物理的なものであったり……なんにしても、記憶はそのままだ。
だが、それでは記憶の齟齬による精神異常が発生しかねない――そのために、お客様とその周囲は『思い違い』をした方が安全だ。
ならば誰が事実――記憶を捻じ曲げたのかというと、紫苑さんが奪った運命の一部でもって、そうなるような『運命』を作ったのだ。
それは紫苑さんの優しさなどではなく、その方が本来の『運命』に近くなるからだ。
本来のお客様は、ただ『普通の』探偵事務所に相談に来て、無難に依頼を完了して、何事もなく家路につく――紫苑さんはこの過程に『運命』の強奪をいれている。
本来の形を捻じ曲げてしまうと、それで安定させるためにまた『運命』の力が必要になる――だからボクはやさしくなんてない――というのは紫苑さんの言葉。
……別にぼくは、そんなところで紫苑さんの優しさを見ているわけではないのに。
「いつ考えても、普通じゃないよね」
そうひとりごちたのにはわけはない……と思う。けれど、すぐ近くまで来ていた紫苑さんは耳聡くぼくの言葉を聞きつけて、首をかしげた。
昨日みたいに殊更に注意を払って移動していたわけでないので、紫苑さんが近づく足音は普通に聞こえていたため不意ではない。
「なにがだい?」
その表情に浮かないものを見たのはぼくの気のせいだろうか? 多分、気のせいじゃないと思う。
依頼者がまっすぐな方の場合は、結構な確率でこんな表情をするからだ。あるいは、ぼく自身の願望の表れなのかもしれないけれど、ぼくは自分がそこまで自己判断できないとは思えない。
だからきっと、紫苑さんの表情は実際に少し沈んでいるし、だからこそ僕は彼女が優しいと思うのだ。
紫苑さんを見つめるぼくの無言をどう思ったのか、紫苑さんは居心地悪そうに頬を掻いた。
「いや……やることもないんで、手伝おうかと思ってね」
「珍しい……!」
照れた表情で目をそらしながらつぶやいた紫苑さんをかわい――ごほんごほん。かわ――うそ、を町中で見るくらい珍しいと感じて、ぼくは知らずに感嘆の声を漏らしていた。
……ごまかせていますよね?
「明日はお茶の雨が降りますね!」
「ほほう?」
――しまったっ! と思った時にはもう遅い。
逃げようとしたぼくの襟元をぐいっと掴んだ紫苑さんが、胸の前までぼくを引きずりだす。
「うわっ」
「ボクがきみのお茶汲みを手伝うのは、そんなに珍しいことなのかい? 神話の黙示録にものらないような、くだらない天変地異が起こるくらいにさ?」
「いえいえ、滅相もござ……ひゃっ!」
息が……っ! 紫苑さんの息がぼくの首元にふぅーって! ふぅーって!
「ひゃぅ! ……ひゃっ、くし……くすぐ、った……んっ!」
「きみは首元が弱いねえ……っと。お湯が沸いたみたいだよ。さっさと急須にお湯とおちゃっぱを入れて……」
「だめですっ!」
「っ?」
いきなり荒げたぼくの声に紫苑さんは驚いたようだったけれど、ぼくは構わずにつづけた。
「適温までお湯を冷まさないと! せっかく紫苑さんにお出しするのに、手抜きなんてできませんっ!」
「いや……まぁ、なんというか……ありがとう?」
感謝された! あの紫苑さんに!
「いえいえ、ではもう少し時間がかかりますので、休んで待っていてください。……あ、何か飲みたいお茶とかがあったら、今のうちですよ? 一応、玉露で考えていますが」
「いや、それでいいよ。……それにしても、きみのお茶がおいしいのわけだね。一応、手間をかけていることは知っていたけれど……」
二句目と三句目の言葉は小さくなっていて聞こえにくかったけれど、ぼくの耳ならば十分に拾えて、少し照れくさくなって――けれどそれ以上にうれしくて、笑顔を押し殺すのに苦心した。
「まったく……ああ、それと、普通じゃないのは今さらだろう? 何を言っているんだ、きみは」
はい? と首をかしげ、すぐにさっきのぼくの独り言だと思いだす。
そういえば、そんなことを言っていた。紫苑さんは席に戻る気配を見せずに、炊事場と応対室の境界で、コンクリートの壁に背を持たれてぼくを見ている。
「一部の人間に『運命の巫女』とよばれるボクがいて、そして……犬神とよばれるきみがいる。普通なわけないじゃないか」
「それは……そうですけどね。特に紫苑さんの力は、ぼくから見ても『普通』の範囲外ですよ」
それは光栄だね、とまったく嬉しさを見せずに呟いた紫苑さんは、そのまま事務所へと引っ込んだ。
「……本当、普通じゃないですよ」
ぼくはつぶやくほどの声も出さずに、そうつぶやいた。
犬神――年を経て神格を得るほどの因果や信仰を集めたわけでなく、ぼくは単純に多くの死を見続けた犬として、本来の因果が狂い『犬神』となった。
人を呪ったことは何度もある。殺したことも。
そのたびにぼくはまた本来からずれていき、そして寿命をも超える程の存在となった。
その運命――因果を彼女に正してもらった結果が、今のぼくだ。ぼくの中に溜まっていた『澱み』は、紫苑さんが身を切るような努力の末に流してくれた。
本当ならば、死んでも残り続けたほどのぼくの抱えた問題を、すべて洗い流してくれたのだ。普通なわけはない。
「……っ。うわっと!」
そうこう考えているうちに適温にまで落ち着いたお湯をあわてて急須に入れて、お茶を淹れる。
――彼女が『運命の巫女』だと知ったのは、その後だったが、今はさほど重要ではないので考えを放棄して湯呑をお盆に乗せて事務所の方へと歩いていく。
「お待たせしましたー!」
「五分だね。一からお湯を沸かしていたからかな? ……遅いっ!」
「ひうっ」
ぼくは首をすくめて、そそくさと湯呑を紫苑さんの目の前へと置いた。
「うぅ……ひどいですよぅ」
「ひどくないさ。ごく自然なことだよ」
「人を恐喝するのは自然なことではありません! ぱわはらっていうんですよ? 意味はよく知りませんし、なんかふんわりした言葉ですけど」
「ああ、その言葉は『上司が部下をいびるのは当然だ』という意味さ。だから、ボクがきみにきつく当たるのもごく自然なことなのさ」
えー……ニュースで聞いた使い方とはずいぶん違うような……。
けれど、紫苑さんが言うのならそれでいいか。彼女がそういうのならば、黒い犬だって白いのだ。
「ところで、今回はどのくらい集まりましたか?」
運命という言葉を除いて問いかける。
『運命とは――想いの多寡と、思いの強さと、そして偶然……その合計値だ』
それを願う人が多ければ、それを貫く人の思いが強ければ、そんな人間の事情などすべて薙ぎ払うような理不尽が――それらが合わさると、運命というものを形作り、決定する。
――これは紫苑さんの言葉だ。だからきっと、そうなのだろう。だから、人の抱える運命の量には個人差がある。
ぼくは二度ほど会った圭さんのことを一方的に思い出し、勝手に期待する――そして、紫苑さんの言葉は期待を裏切らなかった。
「うん、なかなかに集まったよ」
「そうですか! よかったです」
「まぁ、二割ほど使っちゃったけどね……彼女、結構な人数に『探偵事務所』に依頼したことを言っていたようだね」
「そうですか……お疲れ様です」
くすりと笑う紫苑さんに、ぼくも笑いかけると、不意に紫苑さんが「稲上」と声をかけた。
「はい?」
「ん……いつもわるいね。きみみたいなすごいやつを、こんなつまらない場所に閉じ込めて――誰にでもできそうな仕事させてさ」
これは、紫苑さんの本音なのか?
あまりにも唐突で、珍しくしゅんとした様子を漂わせる紫苑さんにぼくは首をひねり、そして首を左右に振った。
「ぼくはあなたの役に立ちたいんです。ですから、どんな場所であったとしても、あなたがいるここが苦であることなんてありませんよ」
――こんなこと、疾うの昔から知っているはずだ。何をいまさら、と思いつつ答えると、紫苑さんは「そうだよね」と笑った。
「きみは、そうだよね」
「? はい」
よくわからないが、これがぼくの在り方であることに変わりはない。
ぼくの在り方を変えてくれた彼女のために在る――それが、今のぼくだ。
「……ところで、次の仕事って神社に住み着いた悪霊退治じゃありませんでしたっけ?」
「お、よく覚えているね?」
そうだよねー……と、駿と肩を落とした紫苑さんに思わず笑いがこぼれかけた。それを見咎められはしたけども、こぼさなかったことが功を奏してお目こぼしをいただいた。
(こういう、自分が動かなきゃいけない、その割に面白くもない仕事嫌いだからなあ)
先ほどまでの様子よりも幾分以上にわかりやすく、ぼくは安堵し、紫苑さんをなだめにかかる。
――なんでもと称しているのに、依頼の選り好みをする『なんでも相談事務所』。
――その場所では、変わり種の人間と、普通でない助手が、普通の人のために働いている。
――そのうえで、そこでは運命を集めている。
ここで言ったんの完結にしてもいいんだけどね・・・・・・
続けられるものを続けないというのも・・・・・・
けど、そんなこと言っていたら終わる物語がなくなっちゃうか?
意見ある人、どしどしコメントください!