探偵役と助手さん3
今回で第一篇を終わりにするつもりが、予想外に筆が伸びてしまいまして・・・・・・
多分あと一個だと思います
翌日、依頼主が事務所にやってくるまで今日は暇を持て余すこととなった。猫を見つけた直後に依頼主には連絡と、写真による確認を済ませてもらっているので、あとは最終確認と、それが済んだら依頼料の受け渡しだ。
「稲上、お茶ー」
「はぁーいっ」
紫苑さんはいつも通りに事務机に座り、ぼくは帳簿などの仕事の合間にその給仕をしている。
やることはたいてい済ましてしまい、約束の時間まであと十分というところで、つい先週に事務所に依頼したトラ猫の飼い主が、息を切らせて姿を見せた。
「……ん?」
「す、すみません……っ! 遅れましたか?」
「いえ、遅れていません。というよりも、十分前行動ですよ? 感心ですね」
「……来たか」
淡いピンク色のワンピースをひるがえして、二階にある事務所に駆け込んできた二十代と思しき女性は、まぎれもなく先週であった依頼主の圭さんだ。
あわてる必要もないのに……と思いつつ、僕はすぐさま席を立ち、無感動につぶやいただけの紫苑さんに代わって応対用のソファに席を勧めた。
「どうぞ」
「あ、どうもご丁寧に……。……っ! ではなくてですねっ!」
「写真で送ったトラ猫さんはこちらになります。右足に赤のリボンもついていましたし、間違いないかと……。ご確認ください」
「あ、どうもご丁寧に……。……っ! イー君っ? イー君よねっ?」
ぼくが部屋の隅のケージから昨日見つけたトラ猫を取り出して、彼女へと手渡した。
トラ猫の毛並みは数日の野宿で随分と荒れていて――それでも十分に立派なのだけど――ごわごわしている。にもかかわらず、ぎゅうっと柔らかく抱きしめる圭さんはやさしくて、愛情の深い方なのだろう。
トラ猫さんに話を聞いた時には、圭さんの過剰なスキンシップが嫌で離れた――とか言っていたけど、数日足らずでホームシックになったらしいし、二人の親密さがうかがえる。
「こちらのトラ猫さんで間違いありませんね?」
確信をもって尋ねたぼくに、圭さんはトラ猫――イータを、名残惜しそうにケージに戻してこちらに向き直って深々と頭を下げた。
「この子で間違いありません! どうもありがとうございます……っ」
「では、依頼料の話をしようか」
その言葉は、所員であるぼくではなく、所長である紫苑さんから発せられた。
ぼくは当然のようにそれを受け、あとは紫苑さんに任せることにする。
「では、お茶を淹れてきますね」
「まったく、お客様がいたのに今まで入れてなかったきみの気がしれないよ……」
猫がいたからですよ――という軽口は言わずに、ぼくはさっさと席を立った。
今までまったく会話に参加していなかったのに、紫苑さんが急に参加してきたことに圭さんは戸惑った表情を浮かべたが、ぼくが座るように手で示して立ち去ると、素直にそれに従った。
ぼくが歩きながら二人と一匹の方を気にしていると、紫苑さんはしっしと追い払うようにしてぼくにお茶を汲みに行かせた。
「あ、……え、と?」
「大丈夫だよ。話といっても、最初に話した通りさ。大した金額じゃない。ただ――」
追い払われたのに留まるのもおかしいし、紫苑さんに言われたなら従わないわけにはいかない。
いつものことだし、依頼料のことも知っている。ただ――人がぐらぐらと揺れるさまを、あまりぼくに見せたくないのだ、紫苑さんは。
「お茶淹れてきましたー」
ぼくがお茶を汲んで席に戻ると、丁度紫苑さんが説明を終えて、圭さんが呆然自失と疑心暗鬼の狭間の表情を浮かべていた。
先ほどまでの浮かれた表情とのギャップに驚くかといえば、そうでもない。たいていの人はこういう表情を浮かべるからだ。
ぼくはそのことに触れるでもなく、圭さんの目の前にお茶を置き、紫苑さんにもお茶を手渡した。
「……あの」
ぼくがお茶に口をつけると、圭さんがぼくに視線を投げかける。
戸惑いを色濃く含んだ、すがるような瞳に見詰められながら、ぼくは自然な動きで首をかしげた。
「どうしました?」
「先ほど……彼女――所長さんが、依頼料は私の『運命』だといったのですが……。どういう意味ですか?」
その言葉にぼくは手を止めて、圭さんを見つめ返し、そして紫苑さんに視線を投げ、再び計算を見つめた。
「紫苑さんが言いませんでしたか?」
「ええと……はい。言いましたけど」
わからないんです――と言外に伝えられたことはわかるが、わからないことをわかるようにできるかと言われたらそうでもない。
だからぼくはただ、肩をすくめて正直に答えるしかできない。
「言葉のとおりですよ。依頼料として、所定の金額と――あなたがここに来たという『運命』をいただきます」
「運命って……なんですか?」
「それは……」
ぼくは紫苑さんに助けを求めたが、紫苑さんは首を横に振った。すでに説明をしたという意味だろう。
ならば、ぼくはぼくの認識としての『運命』を彼女に伝え、共感を得る努力をするしかない。
「運命というのは、その人の辿った――あるいは辿る――生の一部そのものです。それがなくても生きられますが、それがなければ存在できません」
「存在できない……?」
さぁっと、圭さんの顔色が青ざめるのを見て、説明の仕方を間違えたかなとドキドキする。そんなぼくの心情を察する余裕もなく、そのまま圭さんは震える唇で、言葉を紡いだ。
「では……。それは……。私を、ころす……ということですか?」
その言葉にぼくは「とんでもないっ!」と、首をぶんぶん横に振る。
そこに紫苑さんが「やれやれ……」と、肩をすくめそうな声で訂正を促した。
「ころすわけないだろ? 生きられるといったはずだ。にしても……うん。説明が悪かったね。こういう言い方は不安を招くだろうから言いたくなかったのだけど、もっと直接的な効果で言うとだ……きみの記憶に欠落が生じるのさ。この依頼に関する記憶が、ね」
「記憶を……?」
「そうさ、記憶だ。きみの、この依頼に関係する『運命』をいただくというのは、きみのこの依頼に関係する記憶をいただくことに他ならない。……正確には、きみがこの依頼をするにあたって抱えた問題――この場合、トラ猫の失踪だね――から始まって、解決する今このときまでに抱えた情動の数々をいただく。それに当たって、記憶に欠落が生じるんだけどね」
情動というのは、記憶と密接につながっている。大切なものをなくしそうな状態では、正常な人は焦燥や不安という感情を抱く。その記憶は後まで残る。
だが、この記憶から焦燥や不安――大切なものをなくしそうな状態によって発生した情動の一切を除けば、どうなるか? 圭さんは信じられないという思いでつぶやきを漏らした。
「忘れる……?」
答えは――忘却だ。正確には、欠落。
問題があったことを思い出せば、その時の情動を思い出す。だから、思い出せない情動は、そこにあったはずの記憶を欠落させる。
「そういうことです」
ぼくはうなずいた。少しだけ、さみしさを込めて……けれど、心理的パニックに陥っている圭さんにはそのさみしさは伝わらないだろう。
伝わったとしても、すぐに忘れる。だから、少しだけど、さみしい。
「……よろしいか?」
紫苑さんが、再度圭さんに尋ねかける。
圭さんは首を縦に振らず、横に振った。
その様子を見つめて、紫苑さんは少しさみしさを浮かべて首を同じく左右に振った。
「これは、決まっていたことなんだ」
「決まって、いた……?」
「そうさ。決まっていた。……きみがここに依頼に来て、稲上がその依頼をこなした瞬間に、きみはボクに『運命』を支払うことが義務付けられているんだから」
――そして、『運命』からは逃れられないのだから……。そう、つぶやいた気がした。
紫苑さんはそっと圭さんの顎に手を添え、上を向かせて向かい合う。圭さんはそれにされるがままだ。
「きみが受け入れてくれたなら、ここまですることはなかったのだけどね……」
そういうと、音もなく、優雅に、頭を滑らせた――唇をつなげるために。
「んん……っ!?」
「……っ」
そこに至って圭さんはようやく現状に気が付いたようだけど、もう遅い。すでに『受け渡し』は始まって、もうすぐ終わろうとしている。
そうなるのが当たり前であったかのように、依頼料――運命の受け渡しは完了した。
この前書きの「あと一個」は、ふらぐ・・・なんでしょうかね?
自分ではその意識はないのですけど・・・
ああ! こわいっ!!