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ルベライト  作者: Paracoccidioidomicosisproctitiss
一章

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烏賊の遊戲


 高度情報化社会の極致たる現代において、通貨という概念は物理的実体を喪失し、〇と一の情報の羅列へと昇華された。

 通常、金銭の授受や決済は、個々人が所有する携帯端末『思念端末(デバイズ)』を介し、巨大な電子サーバーと生体認証をリンクさせることで完結する。だが、人類の総数が爆発的に増加し、数百億の意識が常時ネットワークの海を漂う今、如何にAIによる最適化が進もうとも、物理的な遅延(ラグ)やサーバーダウンといったシステム障害を根絶することは不可能に近い。

 皮肉なことに、デジタルが神格化された世界で最も信頼に足る決済手段とは、旧時代と何ら変わらぬ、人と人との対面による直接取引であった。

 ダウンタウンの一等地に鎮座する、巨像銀行(ゴライアス・バンク)

 威圧的な大理石の柱、重厚な警備網、そしてフロアの四隅に設置された最新鋭の異能探査装置(スキャナー)

 館内禁煙の表示と並び、「異能力使用禁止」のピクトグラムが厳格に掲げられている。

 この神聖なる金融の聖域においては、いかなる超能力、魔術、呪術の行使も許されない。発動した時点で重罪に処されるのが鉄の掟だ。ここに限らず、こういった公共の施設においては、このような措置が取られていることが多い。

 ただし、例外はある。自身の意思に関わらず異能が肉体に発現し続ける『常時発動型』の変異者配慮がなされ、その状態での入場が許可される。だが、彼らとて、無害性と善意を証明する煩雑な手続きを経て、政府発行の免罪符たる証明書を提示せねば、その敷居を跨ぐことすら叶わない。


 無機質な電子音声が、無作為に割り振られた番号を呼び上げる。

 個人情報保護の観点から、固有名詞が空間に響くことはない。

 待合席から、一人の女が気だるげに立ち上がった。

 手入れのされていない、ボサボサの金髪。サイズの合わないジャケット。

 彼女は指定されたポータル────旧来の窓口業務を代替する、空間転移ゲートへと足を踏み入れた。

 空間が歪み、視界が反転する。

 次の瞬間、彼女は外部から隔離された商談スペースに座していた。

「本日は、どのようなご用件でしょうか」

 銀行員が、営業スマイルを貼り付けたまま問いかける。

 彼の視線は、女の瞳を捉えていた。

 その虹彩は人間のものではない。タコやイカのそれを思わせる、横一文字に切れた不気味な瞳孔。

 だが、この魔都において異形の相貌など珍しくもない。銀行員は眉一つ動かさず、事務的な対応を貫く。彼女は暫くの沈黙のあと、口を開く。

「ああ、すィません。ありますよ、証明書」

 女は礼儀など欠片もない所作でポケットをまさぐり、一枚のカードと、USBメモリに似たスティック状の物体を取り出した。

 『生体認証鍵(バイオ・キー)』。

 これこそが、現代における物理的な財布の姿だ。

 掌との接触により所有者の遺伝子配列を瞬時に読み取り、暗号化された資産データへのアクセス権を解放する。

 『デバイズ』の支給を受けられない貧困層、あるいは視覚や眼球そのものを欠損した障害者、そして何より、電子の海を信用しない富裕層が、現金の代替として愛用する記憶媒体である。

「私ン中のカネをこン中に。不便ッスよ。『デバイズ』なしじゃこれがないと人と預金の行き来すら自由に出来やしないンスから」

「入金ですね。確認いたします」

「ここはァ、結構な額の預金的なもンがあンすか?」

 女が唐突に口を開いた。

 その口調は軽薄で、場違いなほどに弛緩している。

 銀行員は手元の操作を止めず、慇懃に答える。

「ええ。当店は対面取引を重視されるお客様、特に大口の資産家の方々にも多くご利用いただいております。もっとも、旧時代のように現金の束が金庫に眠っているわけではありませんが。全てはその『(キー)』によって管理されております」

「へぇ。……例えばさ、それさえあれば、誰でもそン中身を引き出せたりしちまうンですか? いや、そういう事件とかあッたら怖いなッて話ッスよ」

 女の質問に、銀行員はわずかに眉をひそめた。

 セキュリティへの懸念か、あるいは強盗の謀議か。だが、相手はただの小汚い女だ。

「ご安心ください。もちろん、高度な術式による多重ロックが掛けられております。ですが、おっしゃる通り現物媒体である以上、電子サーバーに比べれば物理的な奪取のリスクはゼロではありません。……しかし」

 銀行員は胸を張る。

「当行の警備システムは万全です。最新鋭の無人迎撃機に加え、高位の異能者を警備員として雇用しております。万が一、不届き者が現れたとしても、即座に制圧されますよ」

「ふーン」

 女は鼻を鳴らした。

 興味が失せたように、自身の所持金である百ドルを『(キー)』にチャージするよう告げる。


 処理を終え、ポータルを潜り抜けて再びロビーへと戻る女。

 彼女は出口へ向かうふりをして、キョロキョロと忙しなく視線を巡らせた。

 四隅の監視カメラ。隠蔽された自動砲台。そして、屈強な肉体を軍服に包んだ警備員たち。

 女は耳を澄ませる。心音、魔力の流動、筋肉の収縮音。

「『エグジスト』すらいないのか。備えは万全と嘘をつかれたンか? ……なら、余裕じゃンか」

 ボソリと零された独り言。

 だが、身体強化により優れた聴覚を持つ警備員の一人が、その不穏な呟きを聞き逃すはずがなかった。

「おい、そこのお前。今────」

 警備員が駆け寄り、女の肩に手を伸ばす。

 

 腕。軌道。切断。

 警備員の言葉が完結することはなかった。

 首から上が、まるで最初から接着されていなかったかのように、胴体と泣き別れになったからだ。

 鮮血の噴水がロビーの天井を濡らす。

 一拍の静寂の後、他利用者たちの、爆発的な悲鳴と、警報音が銀行内を埋め尽くした。

 阿鼻叫喚の地獄絵図と化した空間で、女はだるそうに頭を掻く。

「やッべ。手ェ滑った。……まァ、いいか。ゴミ掃除してから『(キー)』なンていくらでも探せるしな」

 直後、配置についていた他の警備員たちが即応する。

 炎、雷、不可視の刃。

 『魔術師』や『超能力者(エヴォル)』たち、無人迎撃機による飽和攻撃が、無防備に立つ女へと殺到した。

 だが。

 爆炎が晴れた後、そこに立っていた女は、煤汚れ一つ付いていなかった。

 あくびを噛み殺す余裕すら見せて。

 そう、彼女は『エグジスト』である。

 生物としての格が、次元が、絶望的なまでに違う。

 しかも、銀行強盗という、最も短絡的かつ凶悪な目的で来訪した捕食者(プレデター)

「『海魔の抱擁(シー・フィーバー)』」

 女が真名をつぶやいた瞬間。世界が、冒涜的に歪むような錯覚。

 バキバキと音を立てて、彼女の右腕が膨張する。

 皮膚が裂け、その下から現れたのは人間の筋肉ではない。ぬらぬらと濡れた、巨大な烏賊(イカ)の触腕であった。

 先端には吸盤の代わりに、サメのそれを思わせる鋭利な牙と、何かを咀嚼するように開閉するおぞましい口腔が形成されていく。

 極めつけは、その太い触手の中ほどに埋め込まれた、無機質な巨大眼球の数々。

 ギョロリ、と。

 意思なき瞳が、獲物たちを見定めた。

「さてと」

 女が軽く右腕を振るう。

 ただ、それだけ。

 だがその質量と速度は、館内の空気を爆ぜさせた。

 ドヂャッ。破砕音。

 警備員を含めた、射線上にいた全ての人間が、一瞬にして原形を留めぬ肉塊へと還元された。

 悲鳴すら上げる暇はない。ただ、赤黒いしぶきが舞い散るのみ。

 伸縮自在の触手は、まるで生き物のように意思を持って暴れまわる。

 逃げ惑う客を薙ぎ払い、カウンターを粉砕し、隠れていた行員を棘で串刺しにする。

「ほらほら、隠れてないで出てこいよォ」

 女は鼻歌混じりに、空いたもう片方の手。指先を細い触手へと変化させ、伸ばし、空間転移ポータルの中へと侵入させた。

 ズズズ、と異音が響く。

 直後、ポータルの向こう側────別空間にある窓口や執務室から、絶叫とも断末魔ともつかぬ声が微かに漏れ聞こえた。

「静かになッたな」

 かすかに生き延びているものもいるが、その命は、最早、空前の灯火。

 女は、両手指を触手に変化させ、うねうねと、館内を這わせた。床、壁、天井、隙間、全てをくまなく。

 引き戻された触手には、血に濡れた『生体認証鍵(バイオ・キー)』が数本、握られている。

「よッしゃ。やりィ」

 やがて、館内からは生命の気配が消え失せた。残されたのは、静寂と、床一面に広がる死の海。

 女は集めた大量の『(キー)』を満足げに眺めると、自身の肉体に埋め込むようにして取り込んだ。

「じゃ、あンがとよ、ゴ……なンとかバンク。……ええと、なンだッけ?」

 看板を見上げるが、興味がないため記憶に残らない。

「まァいいか。そンじゃ、またのゥ~」

 女が地面を蹴る。

 人間が瞬きをするよりも速く、風圧すら置き去りにして。

 彼女からすれば小走りで立ち去ったに過ぎないが、監視カメラの映像には、次のフレームで彼女の姿が消失しているようにしか映らなかっただろう。

 計画性もクソもない、その場の思いつきのみで行われた、極めて短絡的な犯行。だが、彼女には、それを難なく推敲出来てしまう力があったのだ。

 兎にも角にも、後に残されたのは、血塗られた死体の山と、蹂躙され尽くした銀行の残骸だけであった。

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