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ルベライト  作者: Paracoccidioidomicosisproctitiss
三章

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29/29

薄汚い勝利


 主を失い、静まり返った巨大なクレーターの中心。そこには、ただ一人、勝者であるゼノヴィアだけが立ち尽くしていた。

「……げばっ」

 エヴィミスの気配が完全に消滅したことで、極限まで張り詰めていた精神の緊張が解けたのだろうか。それまで抑え込まれていた肉体への深刻なダメージが一気に表面化した。ゼノヴィアは突如として身を屈め、内臓が受けた深刻な打撃によって口から大量の赤黒い鮮血を吐き出し、さらには頭蓋が微細に骨折したことによる脳出血によって、鼻からもドバドバと血が垂れ流されていく。

 エヴィミスの拳や蹴りの威力は、受け流した防禦上からでもゼノヴィアの内部組織を徹底的に破壊していたのだ。

 だが、彼女はハイエンドという、ベータの頂点に君臨するエグジストである。四肢の切断といった完全な部位欠損でさえなければ、その自己修復機能は常軌を逸した速度で機能する。

 瞬く間に、破裂していた内臓は繋がり、砕けていた頭蓋の亀裂は修復され、体内での超速再生が完了していく。出血はピタリと止まり、彼女は手の甲で口元を汚した血を無造作に拭い去り、鋭い視線で辺りの惨状を見回した。

 クレーターの外部では、エヴィミスが放った〝オープン・グレイヴ〟の副産物である、触れる者全てを炭化させる殺戮の灰が、夜風に乗っていまだに広がり続けていた。

 人間やエグジストという種族の壁を問わず、悲鳴を上げて逃げ惑う人々が次々と灰の餌食となり、苦悶の表情を浮かべたまま崩れ落ちていく。中には、路地裏に潜んでいた異形の巨大な怪物すらもが、灰に触れた瞬間に全身を瞬時に炭化させ、断末魔の咆哮を上げる間もなく塵芥と化している。

 その惨状を食い止めようと、現場に居合わせた異能者たる魔術師や、エヴォルらの集団が、各々の魔力や念動力を結集させて多重の防御シールドを広範囲に展開し、必死に灰の侵食を防ごうと試みていた。だが、彼らの構築した強固なはずの障壁は、ハイエンドの放つ概念的な熱量にあっさりと突破され、シールドそのものが熱で溶解すると同時に、術者たちの本体ごと瞬く間に黒い塵へと変貌していくという、完全なる地獄絵図が展開されていた。

 だが、そんな阿鼻叫喚の惨状など、ゼノヴィアの冷徹な心にとっては道端の蟻が潰れるのと同義であり、どうでもいい些末な事象であった。

 彼女の心を現在進行形で支配し、激しく苛ませているのは、ただ一つの忌々しい事実。

 同じハイエンドという括りでありながら、自分よりも格下であるはずのベータ級の女を相手に、純粋な肉体の強度と格闘術においては完全に敗北し、結果として己の禁忌であった〝能力〟を使用することで、どうにか勝利を拾い上げたという屈辱的な事実である。

「……ちっ」

 ゼノヴィアは、静寂の夜空に向けて鋭く舌打ちを一つした。

 認められない。彼女の高くそびえ立つプライドが、こんなものは決して己の勝利ではないと激しく警鐘を鳴らしている。そして同時に、あのまま肉弾戦に固執し、能力を使わずにいれば、間違いなく自分はあの巨女の拳の前に敗れ去り、無惨な死を遂げていたという己の〝弱さ〟に対して、何よりも激しい憤怒を覚えていた。

 自分が勝利し、生き残れたのは、己が鍛え上げた強さによるものではない。ただ単に、自分がたまたま生来的に、規格外に強力な異能を保持していたからに過ぎないのだ。

 そう、ゼノヴィア・エヴァンス・カンノーロに備わった〝蝕骸の白忌(アシッド・アングスト)〟という能力は、異常なまでの殺傷力を誇り、その威力は格上の化け物たちにすら通用するほどの、理不尽なまでのポテンシャルを秘めている。

 過去にも、格上であるはずのオメガクラスのエグジストが相手であろうとも、彼女がこの能力のリミッターを外し、その全てを解放して戦えば、オメガになりたての最下級個体や、低級(ローエンド)に位置する者たちであれば、無傷で何体も屠り去ってきたという圧倒的な実績があるのだ。

 だが、それほどまでに超越した異能を振るいながらも、彼女自身の存在位階はいまだにベータ級の頂点に留まったままであるという残酷な事実。

 それは偏に、彼女のベースとなる肉体の強度と精神の器が、オメガという神域の領域にまで到達していない、追いついていないからに他ならない。彼女の能力はあまりにも凶悪であるが故に、一度でも相手に触れれば、格上の存在すらも瞬時に溶解し、屠り去りうる必殺の絶対攻撃となってしまっている。

 しかし、その一撃必殺の容易さゆえに、彼女は同格、あるいは圧倒的格上の相手と「死の淵を彷徨いながら互いの命を削り合う」という、エグジストが更なる高みへと昇華するための条件のひとつでもある、極限の闘争を経験することができないのだ。今際の際における遺伝子の覚醒、それこそが階級の壁を打ち破る、今の彼女に必要な鍵であるというのに、彼女は能力の暴力によって、その機会を自ら握り潰してしまっているのである。その結果、彼女はベータクラスという厚く高い壁を、いつまで経っても突破できずに停滞し続けていた。

 かつて、ゼノヴィアはこの凶悪無比な能力を鼻にかけ、格上の存在ですら瞬時に屠り去ってきた。生まれながらにしての強者という自負があったのだ。だが、今から五十年以上も昔のこと。彼女は自身の所属する組織の絶対的頂点である、あのルビアズ・ジャスパーに挑み、そして取り付く島もなく大敗を喫した。

 その際、ルビアズから冷酷な眼差しで投げかけられた、『能力だけの絞りカス』という、魂を根底から否定するような侮蔑の言葉。それが、彼女の心に消えることのない深いトラウマと、呪縛となって刻み込まれているのだ。

 あの屈辱的な敗北の日から、彼女は能力に依存する己の在り方を激しく憎み、己の肉体と体術のみを極限まで鍛え上げることに没頭した。そして、ルビアズのような本当の意味での「格上の階級」に属する者以外には、決して自らの能力を使わず、肉体のみで敵を粉砕するという重い誓いを立てていたのだ。

 だが、今回の死闘において、彼女はその長年の誓いを破り、今までと同じように己のプライドをドブに捨て、能力の圧倒的な暴力によって薄汚い勝利を収めてしまった。

 彼女は、更なる強さを手に入れるためならば、自身の命など微塵も惜しいとは思っていない。だが、百年以上を生き抜いてきたエグジストとしての根源的な生存本能が、肉弾戦に固執して無様に殴り殺されることを、強烈に拒絶したのだ。

 意識の表層では肉体のみでの勝利を望みながらも、無意識の深淵において、彼女に生き延びるために能力を使わせたのは、他でもない、彼女自身に刻み込まれたエグジストとしての絶対的な生存本能であった。そのどうしようもない矛盾と己の矮小さに、ゼノヴィアは血塗られたクレーターの中心で、ただ独り、静かに歯を食い縛っていた

 極限の死闘を終えた直後であるというのに、ゼノヴィアの胸中を支配していたのは、勝利の美酒に酔うような甘美な感情などでは断じてなく、臓腑を直接掻き回されるかのような、酷く泥濘んだ不快感であった。

 己が定めた絶対の禁忌を破り、忌まわしき異能に縋って勝利を拾い上げたという自己嫌悪。そのどす黒い感情の渦が、彼女の冷静な思考を徐々に蝕んでいく。

 そうして苛立ちを募らせていると、クレーターの周囲で醜く逃げ惑い、阿鼻叫喚の悲鳴を上げて騒ぎ立てるギャラリーの人類(ムシ)共の存在が、ゼノヴィアの既に鼓膜が再生し、復活した聴覚に響き、その神経を異常なまでに逆撫でし始めた。

 無能な羽虫の如く群がり、己の弱さも弁えずに死の恐怖に怯えて喚き散らす彼らの姿は、今のゼノヴィアにとって視界に入るだけで吐き気を催すほどの害悪であった。いっそのこと、ここにいる有象無象を一人残らず皆殺しにして、この耳障りな喧騒を永遠の静寂へと変えてしまおうか。そんな凄惨にして冷酷な殺意が、彼女の腹の底からふつふつと、とめどなく湧き上がってくる。

 だが、いくら裏社会の暗部を牛耳る強大な組織ルキフェルに属する身とはいえ、明確な理由なき無意味な大量殺戮を独断で決行するわけにはいかない。

 現在この場に居合わせ、無様に逃げ惑っている塵芥の中にも、将来的に組織の有益なスポンサーたり得る財力や権力を持った者が紛れ込んでいる可能性は否定できないのだ。仮に彼らを皆殺しにして一時的な鬱憤を晴らしたとしても、結果としてルキフェルという組織の悪名が無駄に轟き、社会的な評判が失墜して致命的な損害や減収を招くような事態になれば、組織の絶対的頂点であるルビアズ・ジャスパーが激怒することは火を見るより明らかである。あの底知れぬ恐怖を体現するボスの逆鱗に触れることだけは、何としても避けねばならない。

 殺すにしても、それを正当化するための絶対的な「理由」が必要なのだ。

 そうか。あの、忌まわしい死の灰を利用すればいい。

 ゼノヴィアの冷徹な思考が、瞬時に一つの極めて合理的な名案を弾き出した。

 今もなお周囲に拡散し、触れる者全てを炭化させているエヴィミスの能力の残滓。自身の〝蝕骸の白忌(アシッド・アングスト)〟を展開し、あの厄介な死の灰を空間ごと全て溶解し、かき消してしまえばいいのだ。

 そうすることによって、結果的に羽虫共の矮小な命を救うことになれば、彼らはルキフェルに対して恩義を感じるだろう。それは回り回って組織の莫大な利益と有意義なコネクションの構築に繋がるはずだ。

 そう、これは決して自らの腹いせや八つ当たりなどではない。ルキフェルの有能な構成員としての、極めて建設的かつ適切な「後処理」なのである。

 自身の破壊衝動を覆い隠すための、あまりにも都合の良い建前がゼノヴィアの脳裏をよぎり、その実行へと移すべく、彼女が再び両手に死のオーラを纏わせようと意識を込めた、まさにその時であった。

『いやー、文句なしの完全勝利でしたねぇ、ゼノさんっ! まさに地滑り的勝利といいますか、圧倒的でしたよっ!』

 緊迫した戦場の空気を読まない、酷く気の抜けた明るい声が、ゼノヴィアの聴覚を打った。

 彼女の網膜に直接投影された思念端末(デバイズ)幻影投射窓(ホログラムウィンドウ)に映し出されたのは、緩く波打つ茶髪を揺らす一人の人間の少女、ルキフェルの誇る優秀な情報解析官(アナライザー)たる呉内みほよの姿であった。その視覚補助端末(スマート・グラス)(メガネ)には、モニターの映像が反射し映し出されている。

 みほよは、オルデン・ウォーターが注がれた高級なグラスを傾け、喉を鳴らして煽りつつ、もう片方の手で空中に展開された光学鍵盤(ホログラムキーボード)を神業のような恐るべき高速で叩き続けている。彼女の居るルキフェル事務所の背景空間からは、楽しそうに談笑するレフィーマとポンウィパの陽気な声が微かに漏れ聴こえていた。

「みほよ。……お前の節穴の目には、あれが完勝に見えるの?」

 ゼノヴィアは、自身の不甲斐なさに対する苛立ちを隠そうともせず、酷く悔しげな、地の底から這い出るような低い声で呟いた。

『えっ? 違うんですか? だってゼノさん、五体満足の無傷……とまでは行きませんが、耳が欠損したくらいじゃないですか。相手のあのエグジスト、ゼノさんと同じベータ級のハイエンドですよ? 同格であるベータクラスの相手なのに、肉体の強さだけで貴方にあの伝家の宝刀の能力まで使わせたんですから、大健闘ですよ。……ちなみに、たった今データベースの奥底から三百四十七年前の映像データを掘り起こして解析したんですけど、あの赤い髪の女、その当時、あのクルクスさんを一発の打撃でのしたっていう規格外のバケモノエグジストですね』

 みほよはグラスに残っていた水をぐびっと勢いよく飲み干すと、キーボードを叩く手を止めることなく、極めて淡々と事実を告げる。

『ゼノさんのデバイズと、ハックした現地の野次馬のデバイズ映像データ、あと熱源反応をリアルタイムで見てましたけど、空間そのものを焼き尽くすなんて、凄まじく凶悪な能力でしたねー。流石はハイエンドに到達した個体といいますか。でも、そんな化け物みたいな相手にも、最終的には能力一つで楽勝で勝っちゃうなんて、やっぱりゼノさんは凄いです。ゼノさんがルキフェルの敵じゃなくて本当に良かったですよ、心からそう思います』

 彼女は、まるでゲームの観戦でも終えたかのような、酷く呑気で軽い調子で告げている。その声色はどこまでも平坦であり、直前まで繰り広げられていたナノ秒単位の命のやり取りに対する恐怖や緊張感など、微塵も感じられなかった。

「…………うるさい」

 ゼノヴィアは、顔を背けながら短くそう吐き捨てた。

 だが、その氷のような態度の裏側で、彼女の内心では隠し切れない微かな喜びが静かに広がり始めていた。

 ゼノヴィアがこの世界で唯一、己と対等に言葉を交わすことを許し、「ただの虫」ではなく「特別な人間」として認めている存在、呉内みほよ。その彼女から、飾らない言葉で純粋な賞賛を向けられたことにより、先程まで激しく傷ついていた彼女の高くそびえ立つ自尊心がゆっくりと満たされ、臓腑を煮えくり返らせていた陰鬱とした気分が、嘘のように晴れていくのを感じていたのだ。

「ま、まぁね。……あたしは凄いんだよ。このエヴィミスとかいう筋肉達磨の女も、蓋を開けてみれば大した奴じゃなかったね。有象無象の雑魚と大差なかったよ」

 ゼノヴィアは、微かに頬を朱に染めながらそう返した。先程までの絶対零度の殺気は薄れ、その声色は知らず知らずのうちに、見た目相応の女のようにやや弾んだものとなっていた。

『えっ? でも、あんなに頑なに封印してた能力を使ってたじゃないですか。結果的にはあのオーラの一撃で圧勝でしたけど、純粋な肉体戦の面では完全にぼろ負けしてましたよね? 客観的に見て、めちゃくちゃ強敵だったんじゃないですか?』

「だ、黙れっ! 図に乗りやがって、またただの羽虫に格下げして潰すぞ、人間ごときがっ!」

『えー、やめてくださいよぉ。私、ゼノさんの中では一応、虫の中でも上位のギンヤンマ認定なんでしょ? オニヤンマじゃないのは不満ですけど。いきなりの格下げは流石に反則ですって』

「五月蝿い五月蝿いっ! ゴミムシっ! ハエっ! ノミっ! 次余計なこと言ったら本当にブチ殺すぞ、塵芥がっ!!」

『あーあ、まーた始まりましたよ、その癇癪。でも、それ私以外の人類には絶対に言っちゃダメですよ? ゼノさんのその本気の殺気、普通の人間が当てられたら冗談抜きで心停止するくらい洒落にならないんですからね』

 ゼノヴィアは画面越しのみほよに向けて、顔を真っ赤にして小学生のように口汚く叫ぶが、その表情にもはや先程までの深刻な気分の沈みや、世界を呪うような陰惨さは残っていなかった。

 自分が人類という脆弱な種族をゴミや虫と同等に扱う、どれほど残酷できつい言い草をぶつけても、一切動じることなく飄々とした態度で受け流す、みほよとの軽妙な会話。それは、強大すぎる力を持て余し、孤独な頂に立つゼノヴィアにとって、失われかけていた心の余裕を取り戻させるのに、十分すぎるほどの清涼剤となっていたのである。

『……ところで』

 ゼノヴィアが怒りを装って口を尖らせていると、みほよは突然、ホログラムキーボードを叩く手を止め、不意に声のトーンを一つ落として話題を変えた。

『今、そっちで何を実行しようとしてたんですか? 先程から、ゼノさんの周囲の空間で〝アシッド・アングスト〟特有の、概念的質量崩壊の波長を観測したんですけど』

「……あー、あれ? 後処理だよ、後処理。ほら、あの死んだ女の能力の厄介な灰。あれ、ちょっとでも触れると脆い虫共は一瞬で焼け焦げて死ぬらしいし。だから、あたしの能力を広範囲に展開して、あの灰を全部かき消して助けてやろうと思ってたんだよ。優しいでしょ?」

 そう嘯くゼノヴィア。自身でも言い訳がましいと自覚していたが、みほよからまたいつものように「これ以上の破壊工作はやめてください」という、呆れ混じりの正論が返ってくるものとばかり思っていた。だが。

『え、いいんじゃないですか? そんなの、ほっとけば』

「……え?」

 みほよの口から紡がれたその返事は、ゼノヴィアの予想を遥かに超える、異質な冷たさを帯びていた。

『だって、あのエグジストの能力の副次効果とはいえ、彼ら、危険な現場に勝手に集まってきて、勝手に巻き込まれて死んでるだけの愚かな野次馬じゃないですか。危険も無視して近づいたんですから、完全に自業自得ですよ。わざわざゼノさんが労力を割いて助けてやる義理なんて、一ミリもありませんって』

 みほよのデバイズ音声には、間違いなく現場の阿鼻叫喚の惨状、あのミュー女の肉が焼け焦げる音や絶望に満ちた断末魔の音声を正確に拾い上げているはずである。それにも関わらず、彼女の放った言葉とその平坦な声色は、あまりにも冷血であり、人類という同胞が虐殺されている光景を前にして、とても人間という種族が発していい言葉ではなかった。

 だが、この徹底した合理主義と、種族の壁すら超越した冷徹な視座を持っているからこそ、彼女は神にも等しいエグジストたちとも対等に語り合い、ルキフェルの中枢で重用されているのである。それが、呉内みほよという特異な少女の真の恐ろしさであった。

『それにですね。もし今ここでゼノさんが能力を使って下手に事態を処理しようとしたら、生き残った連中の証言や映像の切り取り次第で、ルキフェルの構成員が無関係の善良な市民────と言っていいかは極めて微妙なところですが。とにかく、ルキフェルが無関係の市民を大量殺戮したという、最悪の濡れ衣を着せられる事実に変わりはありませんって。こんな怪物が跋扈する混沌とした世界のくせに、この国には無駄に面倒くさい賠償制度だの国際法だのという厄介なしがらみが残っているんですから。ルビさんにこれ以上、面倒な不祥事の報告を重ねさせないでください。ただでさえ、ゼノさんとあの女の戦闘の余波で、マンハッタンのど真ん中に地図を書き換えるレベルの巨大なクレーターが出来ちゃってるんですからね。……まぁ、これに関しては、全部新世界再構築組織、リ・ワールドのテロリスト共の仕業ですって、堂々とシラを切り通す予定ですけど』

「……ふふっ、あはははっ!」

 ゼノヴィアは、みほよのあまりにも堂々とした責任転嫁と、悪びれる様子のない見事な口ぶりに、思わず腹を抱えて笑ってしまった。

 みほよの思考には、ルキフェルという組織の利益に無関係な人間に対する、一切の慈悲や同情が存在しない。そこにあるのは、ただどこまでも冷徹に、組織の損得勘定とリスクヘッジのみを計算し尽くす、氷のような合理性のみである。

「みほよ。お前、本当にあたし達エグジスト以上にエグジスト寄りのイカれた思想してるよね。いっそのこと、人間の皮なんて捨ててこっち側においでよ。そうだな、今度、あたしの〝アシッド・アングスト〟を、お前の足の小指の先くらいにちょっとだけ当ててみていい? 死の危機に瀕した突然変異の反応とかで、ワンチャンス、エグジストに覚醒するかもよ? もし失敗して腐り始めたら、全身に回る前にそこだけ綺麗に切り離してあげるからさ。両腕さえあれば仕事に支障はないだろ?」

 ゼノヴィアは楽しげに、常人であれば身の毛もよだつような恐るべき人体実験の提案を口にする。しかし、みほよは画面越しに深く溜息をついた。

『大変有難いご提案、どうもありがとうございます。でも、謹んで遠慮しておきますよ。エグジストの皆さんは感覚が麻痺してるんでしょうけど人間って失った部位は生えてこないんです。それに知ってると思いますが哺乳類って基本的にめちゃくちゃ痛がり屋なんですよ? そのワンチャンス覚醒とやらをする前に、普通に細胞が溶ける激痛でショック死しますって』

「ちぇーっ、つまんないの」

 あっさりと断られ、ゼノヴィアは子供のように軽く唇を尖らせて不貞腐れた。

『そんな馬鹿なこと言ってないで、早く持ち場に戻って皆さんと合流してください。状況は芳しくないんです。未だに、今回の騒動の首謀者であるはずのリ・ワールドのボス、オメガクラスのエグジストが、全く姿を見せていないんですよ。もし奴が、あの異次元空間アナザー・ディメンションに潜伏してたらかなり厄介……というか終わります。地上で別のベータと戦っているクラロワーさん達はともかく、敵の拠点の最深部へ先行して突入したクルクスさんらの部隊が、全滅しちゃいますよ。あの人らじゃ貴方が倒した赤髪の女にすら勝てないでしょうし』

「はいはい、わかったわかった」

『はい、は一回です』

「はーい」

 ゼノヴィアは小言を言うみほよに苦笑しつつ、思考だけでデバイズを操作し、現在の座標と味方の位置情報を確認する。

 激しい機動戦の末に、彼女が現在立っているこのクレーター付近は、味方が集結しているヘルズキッチン広場の中心部からは、何十マイルも離れた地点であった。

 ふと、先程の攻防の際、自身の手で切り落とした耳周辺を触れて確認してみると、削ぎ落とされた側頭部の断面からの出血は既に完全に止まっており、ハイエンド特有の異常な自己修復能力によって、新たな肉芽が盛り上がり、耳の再生は急速に始まっていた。

「さてと。それじゃあ、仕事の続きと行くか」

 完全に気を取り直したゼノヴィアは、自身の数少ない理解者であるみほよの命までをも無差別に奪おうと企む、ふざけたテロ組織のボスたる未知のオメガクラスを妥当すべく、深く息を吐き出した。

 彼女は、まるで近所のコンビニへ向けて軽く走り出すかのような、極めて無造作な動作でアスファルトを蹴った。

 しかし、彼女の主観においては単なる「軽い走り」に過ぎないその初速は、現実世界の物理法則を完全に蹂躙していた。ナノ秒単位で行われるその規格外の移動は、空間を圧縮し、大気の摩擦すらも置き去りにする。

 端から見れば、白髪の女の姿が次の瞬間には、音すら残さずにその場から掻き消え、完全なる瞬間移動にしか見えないだろう。彼女は、そんな不可解な現象を引き起こしながら、遥か彼方の戦場へと飛翔していったのである。

 クレーター周辺は、巨大生物が巻き込まれ死の灰が爆発的に散布され広がったのか、街全体を巻き込んだ阿鼻叫喚の死屍累々と化していた。

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