灼熱感染赤玉-オープン・グレイヴ-
エヴィミスの周囲に形成された無数の灼熱の赤玉。それは単なる炎の塊などではなく、極限まで圧縮された熱量を持つ超高密度灼熱圧縮体であった。まるで空間の次元そのものを焦がし、焼き尽くすかのように、赤玉の周囲の大気が陽炎となって不気味に揺らめいている。
いくらベータ級ハイエンドという超越的な生命力を持つエグジストであろうとも、ミュー程の再生力は誇っていない。肩の付け根から完全に失われた腕が元の状態へと生え変わるには、細胞分裂を強制的に加速させても優に一時間は必要となる。すなわち、利き腕である右腕を失ったことは、極限の死闘において致命的とも言える巨大なハンデであるはずだった。だが、彼女の凶暴な双眸は、溢れ出る闘争感情に呼応するように、爛々と燃え盛るような光を増していくばかりであった。
自身の右腕を代償にしてでも戦う価値のある強者を前にし、エヴィミスは歓喜とやる気に満ち溢れていた。しかし、対峙するゼノヴィアの内心は、彼女とは全くの対照を成していた。
同じハイエンドという頂の階級に位置しながら、ベータ相手に自身の純粋な肉体強度のみで敵わず、己の矜持である「能力を使わずに屠る」という誓いを破らざるを得なかったという屈辱。そして何より、眼前に立つ赤い髪を持った巨女のエヴィミスの姿が、ゼノヴィアが所属する組織ルキフェルの絶対的な頂点、ボスであるルビアズ・ジャスパーの姿と最悪の形でオーバーラップしたのだ。
かつて、そのルビアズに挑み、文字通り手も足も出ずに徹底的に蹂躙され、敗北の味を骨の髄まで刻み込まれたあの忌まわしい記憶。それがゼノヴィアの脳裏に鮮明に蘇り、彼女の高くそびえ立つプライドを無惨に逆撫でしていた。
不快だ。一刻も早く、この目障りな女を塵一つ残さず始末する。
極低温の殺意だけが、ゼノヴィアの華奢な肉体からとめどなく漏れ出ている。もうこれ以上、この女に能力を使わせるつもりはない。ゼノヴィアは即座に自身の異能である〝アシッド・アングスト〟を目の前の巨女の全身に浴びせかけ、遺伝子の配列一つ残さず腐敗させ、完全消滅させるつもりであった。
しかし、彼女が地を蹴ろうと筋肉を収縮させたその刹那。ゼノヴィアの脳裏に、エグジストとして数多の死線を潜り抜けてきた第六感が、警鐘というにはあまりにも強烈な、破滅の警告をけたたましく鳴らした。完璧な殺意の連動が、ピタリと止まる。
その隙を見逃すエヴィミスではない。彼女は残った左手を大きく開き、空間に浮かぶ赤玉を一つ無造作に掴み取ると、力強く握り込んだ。灼熱の球体が、彼女の巨大な拳の中に吸収されるように消え去る。
「いくぞッ!! 〝灼熱感染赤玉〟!!」
天地を揺るがすような咆哮と共に、エヴィミスは左腕を振り被り、握り込んだ何かを思い切りゼノヴィアへ向けて投げ放った。
大気を裂く音すら鳴らない。空間そのものを切断し、光速すらも置き去りにするほどの絶大な速度。エヴィミスの拳の内部で極限まで圧縮されていた熱量が、一条のレーザー状の閃光となって解き放たれ、一直線にゼノヴィアの眉間へと迫ったのだ。
シャッ、と鋭い風切り音だけを残し、ゼノヴィアは首を傾げるようにして大きく横へ反れ、その必殺の光線を回避した。だが、彼女の神速の反応をもってしても僅かに遅かったのか、美しい白髪に隠れていた彼女の左耳の先端が、音もなく消し飛んでいた。
そして、回避された光線の延長軌道上に運悪く滞在していた、逃げ遅れたギャラリー数名の肉体が、次々と貫かれていく。
だが、彼らの肉体が爆散したり、周囲の建造物が破壊されるようなことは一切なかった。相殺術が、光線の威力を「貫いた対象の体内のみ」に一点集中させていたのだ。貫かれた者たちの身体には、一切の無駄な破壊の痕跡なく、ただ綺麗な円筒形の空洞だけがぽっかりと広がっている。
だが、真の異変は直後に訪れた。
「ぎゃあああああっ!! あっ、熱いッッ!! わ、私の身体がぁぁ!!」
貫かれた数人の異形人含めた人類は、悲鳴を上げる間すら与えられず、一瞬にして炭化し、黒い灰カスとなって崩れ落ちた。しかし、その中の一人の女だけは即死を免れ、絶叫しながらアスファルトの上でのたうち回っていた。彼女の肉体は、貫かれた箇所からドロドロと崩れ落ち、同時に異常な速度で肉芽を膨張させ、まるでゴーヤのようなおぞましい異形の肉塊へと変異しながら激痛に悶えている。
さらに恐ろしいことに、即死して崩れ落ちた他の犠牲者の灰カスが風に舞い、運悪くそれに触れてしまった周囲の者たちもまた、触れた箇所から瞬く間に連鎖的な炭化を引き起こし、次々と悲鳴を上げる暇もなく灰へと変貌していく。
ゼノヴィアの極限まで研ぎ澄まされた動体視力は、その地獄のような光景のメカニズムを正確に捉えていた。相殺術によって対象の体内で完結させられた、惑星誕生の瞬間に匹敵するほどの途方もない灼熱エネルギーが、一瞬にして細胞を焼き焦がしたのだ。
彼女は、この僅かな事象の一瞥だけで、エヴィミス・ロドリゲスという女の能力の本質を完全に理解した。
まず、その能力系統は自分と同じサイキック。
そして、あの赤玉から放たれる圧縮光線に直撃すれば、超高熱により一瞬で焼き尽くされる。そして、その犠牲者が変貌した灰カスは単なる燃え滓ではなく、触れた者の細胞にまるで呪いのように感染し、急激な熱量暴走を引き起こして殺戮の灰へと変える遺伝子崩壊感染の性質を持っているのだ。
思考を巡らせた直後、ゼノヴィアは、自身の削り取られた左耳の断面から、チリチリとした嫌な熱が浸透し、肉が焼け朽ちていくのを感じ取った。彼女は表情一つ変えることなく、シュッと右手の指を動かした。耳の周辺の肉ごと、壊死しつつある組織を躊躇いなく削ぎ落として切り離したのだ。
切り離した自らの肉片が空中で黒い灰へと変わっていくのを冷ややかな尻目に、ゼノヴィアは次々と迫り来るレーザーの軌道を読み切りながら、先程の叫び声を上げていた女の姿をちらりと視界の端に収めた。
彼女は全身の毛穴からブスブスと不気味な煙を吹き上げ、肉体がめちゃくちゃな形へと膨張と溶解を繰り返している。そう、彼女は偶然にもその場に居合わせた、ベータ級エグジストのミューであったのだ。ミュー特有の異常な自己再生能力が、この致死の熱量と拮抗してしまったがゆえに、皮肉にも彼女は即死の恩恵に預かることができず、ただ延々と苦しみ続ける羽目になったのである。既に熱量の感染は全身の細胞レベルにまで広がっているのか、汚染箇所を切り離すこともできず、自身の遺伝子そのものを内側から焼かれ続けるという、文字通りの地獄の苦しみを味わっている。
ゼノヴィアがその凄惨な末路を視界に収めたのは、ほんの数万分の一秒という極小の時間であったが、有象無象の女がどれほど残酷な苦痛に喘ごうと、彼女の冷酷な心には微塵の同情も湧かない。むしろ、捨て駒となって敵の能力の全容を把握するための実験台になってくれたことに対し、「自分の役に立てて光栄に思え」と底なしの傲慢さで見下すのみであった。
だが、悠長に観察している余裕はない。
追撃として放たれた無数の赤いレーザーが、物理法則を無視した鋭角的な軌道遷移を繰り返し、カクカクとしたホーミング軌道を描きながらゼノヴィアへと殺到してくるのだ。さらに厄介なことに、空間を漂う不可視に近い飛散した殺戮の灰すらも、肌に触れぬよう完璧に回避し続けなければならない。
ゼノヴィアは重力を嘲笑うかのように空を飛び、三次元的な機動でそれらの死線をくぐり抜けるが、レーザーは獲物を逃さぬ猟犬の如く、またカクッと直角に曲がり、執拗に追いすがってくる。ゼノヴィアは、電子顕微鏡にも匹敵する視力で空間に漂う致死の灰の粒子を正確に捉え、絶妙な肺活量で強烈な息を吹きかけてそれらを吹き飛ばし、進路を開拓しながらレーザーの弾幕を躱していく。
視線を鋭く転じ、エヴィミスの方を睨み据える。
「ハハハハッ!! どうした、逃げ回ってばかりじゃつまらないぞッ!!」
右腕を失っているというのに、何がそんなに楽しいのか、エヴィミスは大声で嬉しそうに叫びながら、自身の周囲に浮かぶ無数の赤玉から次々と光線を乱れ撃つ。放たれた一本一本の光線が、意志を持っているかのように正確にゼノヴィアの未来位置を捉えて迫る。
ゼノヴィアが空へ跳躍してから、ほんの数毫秒。灰の粒子を警戒し、あえて大振りな回避行動を取り続けた結果、周囲数十哩の空間は、〝オープン・グレイヴ〟による数千本にも及ぶ閃光の軌跡によって埋め尽くされ、まるで夜空に巨大で狂気的な星座が描き出されたかのようであった。ゼノヴィアは虚空を足場にし蹴り、摩天楼のガラス壁を蹴り砕きながら、息を呑むような超絶技巧でその光の檻を避け続けた。
さらに。
「避けてみせろ、ゼノヴィアッ!!!」
咆哮と共に、エヴィミスが光線の弾幕に紛れ込ませるようにして、凝縮された赤玉そのものを直接剛腕で投げつけてきた。
速い。空中で体勢を崩した状態では、これ以上の自由な回避機動は不可能だ。だが、ゼノヴィアの瞳に絶望の色はない。彼女の冷徹な思考は、一つの絶対的な真理を確信していた。先程、エヴィミスが赤玉を握り潰して光線を放ったという事実。そして、迫り来る光線そのものに、微かながら確かな質量が感じられるということ。
つまり、これは純粋なエネルギー体ではなく、物理的な干渉が可能な事象である。ならば、自身の能力で完全に相殺・消滅させることが可能だ。
「ウザイ。〝アシッド・アングスト〟」
ゼノヴィアの薄い唇から、死の呪文が紡がれる。
彼女の華奢な両手から、禍々しくも美しい白濁した光のオーラが爆発的に噴出した。エヴィミスによって投擲された灼熱の光弾は、その白いオーラに接触した瞬間、シューという水蒸気のような音すら立てずに、一瞬にして存在そのものを溶解され、虚無へと還った。
光弾を消し飛ばした後は体勢を整え、そのまま虚空を強く蹴りつけた。
空気を切り裂き、巨大なクレーターの中心で不敵に笑うエヴィミスへ向けて、一直線に突撃を敢行する。
ゼノヴィアを追尾していた無数のレーザーが、主を護るように一斉に軌道を変える。何千本もの閃光が束ねられ、一本の極太の巨大な光の柱となって彼女の背後から迫る。
「む!!」
流星の如く迫り来る白髪の女に、エヴィミスの野性の勘が鋭く反応した。ゼノヴィアは右手に、万物を腐敗させるあの恐るべき白いオーラを色濃く纏わせている。格闘者として正面から迎え撃ち、その拳を砕いてやりたいところだが、まともに受ければ即座に細胞が溶解し、死に至る絶対的なカウンター能力。
「おっと!! 流石にそれは喰らいたくないなッ!!」
エヴィミスは口角を吊り上げたまま、ゼノヴィアが虎の爪の形にして放った右手の凶悪な一撃を、間一髪で大きく身を反らせて回避した。同時に、自身の周囲に浮かんでいた防壁代わりの赤玉が彼女の虎爪でかき消される。
だが、右の虎爪はあくまで陽動。ゼノヴィアの本命は、死角から放たれた左の貫手であった。当然、その貫手にも致死の〝アシッド・アングスト〟が濃密に纏われている。
しかし、エヴィミスの戦闘知能はそれを上回る。彼女は、失った右腕の側という最大の死角を利用し、切断面のすぐ脇の空間から直接〝オープン・グレイヴ〟の光線を生成し、ゼノヴィアの無防備な懐目掛けて至近距離からゼロ距離射撃を放ったのだ。
ゼノヴィアは舌打ちする間もなく、即座に両手に纏っていた白い光を自らの懐へと移動させ、防盾として展開してその光線を完全に溶解し、防ぐ。
その僅かな硬直の隙を突き、エヴィミスは強靭な脚力で大きく後方へと跳躍し、再び距離を置いた。
「チッ」
ゼノヴィアが忌々しげに舌打ちをする。仕留め損なった。
そして、その背後からは、数千本のレーザーが束ねられた極太の光柱が、大気を灼き焦がしながら目前まで迫っていた。
だが、ゼノヴィアは振り向くことすらしない。彼女は冷徹な眼差しのまま、致死のオーラを纏わせた右手を、無造作に自身の背面へと向けた。
激突。
空間が悲鳴を上げる暇もなかった。全てを焼き尽くすはずの巨大な光の柱は、ゼノヴィアの右の掌に触れた瞬間、波が岩に砕け散るように音もなく溶解し、跡形もなくこの世から消滅した。
「……ハハッ、やるなッ!! 素晴らしいぞ、ゼノヴィア!!」
自身の最大火力の追尾攻撃すらも背を向けたまま完全に無力化されたというのに、エヴィミスは心の底から嬉しそうに、歓喜の絶叫をニューヨークの夜空に響かせた。
二人の怪物が繰り広げる神話の如き攻防。
その足元、巨大なクレーターの周辺では、先程まで絶叫していたミューの女はついに再生の限界を迎え、完全に黒い灰と化して崩れ落ちていた。そして、その女から飛散した大量の灰が夜風に乗って降り注ぎ、逃げ惑うギャラリーたちを次々と死の熱量で侵食していく。肉が焼け焦げた灰の悪臭と、断末魔の叫び声が交錯し、華やかなマンハッタンの一角は、文字通りの阿鼻叫喚の地獄へと変貌を遂げていた。




