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ルベライト  作者: Paracoccidioidomicosisproctitiss
三章

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蝕骸の白忌-アシッド・アングスト-


「へー、かっこいい能力じゃん」

 やや遠方で繰り広げられる三人の死闘、その狂宴を眺めながら、ゼノヴィアは退屈そうに独りごちた。しかし、その刹那。彼女の眼前に、音もなく死の影が迫っていた。赤髪の巨躯、エヴィミス・ロドリゲスである。

「おいおい、随分余裕そうだなッ!」

 鼓膜を劈くような咆哮と共に、エヴィミスの剛腕が振り下ろされる。大気を粉砕するほどの質量と速度を誇る一撃だが、風を切る音すら鳴らない。それこそが、エグジストのみが習得可能な、音を含めたあらゆる衝撃の余波を殺し、無駄な破壊を防ぐ物理法則を無視した絶対技術────〝衝撃相殺術〟の極致である。

 しかし、その必殺の拳は虚空を殴りつけた。ゼノヴィアは、自身の網膜が敵の初動を捉えるよりも早く、本能の赴くままに後方へと跳躍していたのだ。

 だが、炎のように揺らめくエヴィミスの双眸は、残像すら置き去りにするゼノヴィアの動きを正確に捉え切っていた。追撃を放たんとしたエヴィミスであったが、突如としてその動作をピタリと止める。目の前に立つ白髪の────彼女からしたら小柄な女から、隠すつもりのない尋常ならざる殺気が奔流となって吹き荒れていたからだ。

 エヴィミスの持つ六百年以上の悠久の時を闘争に捧げてきた経験と、研ぎ澄まされた第六感が、安易な接近に対する絶対的な死の警告を鳴らしたのである。彼女からは強者特有の威圧的なオーラは全て抑え込まれているものの、その立ち振る舞いだけで、自身と同等の階級、すなわちベータの最高峰たる極級(ハイエンド)に位置する怪物であることは容易に察せられた。

「ウザイな。だからお前には興味ないって言ってるだろ?」

 ゼノヴィアの真紅の瞳に、黒い線が一点透視図法のように描かれた幾何学的模様の異形眼球。眼前の女を氷のように冷たく見据えた。自分より少なくとも七・八インチは高く、六フィート三インチ(約百九十五センチ)はあろう長身に、彫刻のように鍛え抜かれた筋骨隆々の肉体。数多の戦場を渡り歩いてきたであろう彼女もまた、オーラを隠蔽してはいるものの、その存在自体が暴力の権化であることを物語っている。だが。

「オメガだ。お前らのボスであるオメガを出せよ。あたしはもう飽きてるんだよ、ベータの連中との戯れにはさ」

 ゼノヴィアは欠伸を噛み殺しながら、心底退屈そうに言い放つ。その不遜な態度と、際立った容姿を見た瞬間、エヴィミスの脳内に一つの符合が閃いた。ここ五十年の間、裏社会で囁かれ続けているルキフェルの狂犬、あるいは狂戦士(バーサーカー)と称される白髪の女の存在。こいつだ、間違いないと。

 若い。その立ち振る舞いなどから、見たところ百数十歳程度しか生きていない、エグジストとしては若造に過ぎない年齢。それにも関わらず、既にハイエンドの領域に到達しているという異常性。エグジストであれば、誰でも研鑽次第でベータクラスに這い上がることは可能だが、ハイエンドとなれば話は全く別次元となる。何百年という果てしない血みどろの闘争を経て、ようやく〝成る〟ことができる到達点。間違いなく、目の前の女は神に愛された才能の塊であった。

「────面白いッ!! 思い出したぞ!! ゼノヴィア・カンノーロだなッ!? 私はエヴィミス・ロドリゲスだッ!!」

 エヴィミスの顔に、獰猛にして歓喜に満ちた笑みが広がる。彼女はいわゆる戦闘狂にして脳筋であった。相手がどのような不可思議な能力を持っていようとも、まずは己の鍛え上げた肉体のみで蹂躙する。それこそが彼女の絶対的な流儀なのだ。

「知るか。どうでもいい。大人しくしてれば楽に殺してやるから────」

 ゼノヴィアの冷徹な宣告が終わるよりも早く、エヴィミスは再び地を蹴った。

 縮地。

 それに。

 見紛うほどの神速の踏み込み。

 ゼノヴィア。

 その目に赤髪の女が映る。

 彼女の肉体にズン、という内臓を掻き回すような重圧が走った。反応を許さぬ絶対速度で。

 丸太のように太いエヴィミスの剛脚が、彼女の腹部に蹴りを叩き込んでいたのだ。凄まじい運動エネルギーの奔流により、ゼノヴィアの身体は一瞬にして砲弾と化し、煌びやかなニューヨークの夜空へと消え去った。

「……わざと飛ばされたなッ!」

 エヴィミスは獲物を見つけた猛禽類のように嬉々として叫んだ。〝衝撃相殺術〟により、あの超質量の蹴りをその場に留まって受け止めれば、衝撃は全て肉体の内部で完結し、いくらハイエンドといえども内臓破裂等の致命的なダメージになりかねない。それを防ぐための高度な防御戦術の一つとして、ゼノヴィアは衝突の瞬間に自ら後方へ跳び、衝撃を運動エネルギーに変換して外へと逃がしたのだ。

 エヴィミスの人外の視力は、遥か上空へと吹き飛んでいく白髪の女を正確に捉え続けている。タン、とエヴィミスは軽くアスファルトを蹴った。たったそれだけの動作で、彼女の肉体は重力という枷を完全に振り切り、摩天楼の頂すら越え、成層圏に達するかという空域へと到達する。瞬く間に、吹き飛ばされていたゼノヴィアの軌道へと追いついた。

「ゼノヴィアッッ!! 楽しもう! この闘争をッ!」

 極寒と真空が支配する高度で、エヴィミスの必殺の拳が振り下ろされる。ゼノヴィアは空中でぬらりと振り向き、無表情のままその連撃を的確にいなしていく。

 ナノ秒の間に数百回の打撃と防御が交錯する、神々の如き攻防。その目にも留まらぬやり取りの中、ゼノヴィアは微かな隙を見出した。防御から一転、滑り込むように放たれた彼女の拳が、エヴィミスの強靭な胴体へと深々と突き刺さる。

「お?」

 ゼノヴィアは不可解な感触に首を傾げた。硬い。受け流されたわけでもなく、回避されたわけでもない。確かに全力の打撃が芯を捉えたはずなのに、まるで超高密度の魔力鋼鉄を殴りつけたかのような反発。自身の拳が砕けそうになるほどの異常な硬度だった。彼女が思考を巡らせたのは、ほんの数千分の一秒のことだったが。

「どうしたッ!! その程度かッッ!?」

 ダメージを微塵も感じさせないエヴィミスの両腕が、万力のように組み合わされ、ダブルスレッジハンマーとなってゼノヴィアの脳天へと振り下ろされた。ゼノヴィアは再び衝撃を逃がすためにあえて抵抗を捨て、重力加速度に自身の推力を乗せて凄まじい速度で下界へと落下していく。

 だが、エヴィミスは逃さない。虚空を蹴りつけ、大気との摩擦で全身を赤熱させながら、大砲の弾丸のようにゼノヴィアの落下軌道へと飛び出す。流星の如き速度で追いつき、渾身のローキックを放った。横薙ぎの衝撃波によって吹き飛ばされたゼノヴィアであったが、彼女は空中で錐揉み回転して体勢を立て直し、ふわりと一枚の羽毛のように地上へと着地した。

「ふん」

 ゼノヴィアは着地と同時に、忌々しげに吐き捨てた。相手はまだ、エグジストとしての固有の能力らしいものを一切使用していない。そして、それはゼノヴィアも同様である。彼女の持論として、初手から能力に頼るような輩は己の肉体の脆弱性を証明している弱者の証拠であった。エヴィミスとは根本的な方向性こそ違えど、そのエグジスト本来の基礎スペックである肉体の力のみで戦闘を構築するスタイルは一致していたのだ。

 彼女が降り立ったのは、喧騒が渦巻くマンハッタンの中心街であった。突如として空から舞い降りた銀髪の少女の姿に、すぐさま周囲の群衆から好奇の視線が集まり、ざわめきが広がる。

「なんだなんだ? 喧嘩か??」

 と困惑して立ち止まる者、「空からすげえ美女が降ってきたぞ!」などと下劣な声を上げて活気づく荒れくれ者たち。ネオンの光が乱反射し、車のクラクションと人々の喧騒が入り混じる混沌とした光景。

「よう、姉ちゃん。空から落ちてくるなんて随分と派手じゃねぇか。怪我はないかい?」

 そんな中、酒の匂いをプンプンとさせた一人の酔っぱらいの男が、千鳥足でゼノヴィアへと近づき話しかけた。心配するような口調とは裏腹に、その卑しい目は彼女の起伏に富んだ肢体を舐め回すように這い回っている。

 しかし、ゼノヴィアは虫の羽音でも聞くかのように一切の反応を示さない。彼女の幾何学模様の瞳には、遥か上空から隕石のように降下してくるエヴィミスの姿しか映っていないのだ。脳筋な彼女とは対照的に、ゼノヴィアの思考は氷のように冷静かつ沈着であった。

 あのエヴィミスとかいう巨女の能力の正体は何か。しかし、一つだけ確実な情報がある。それは、物理的な打撃が通用するということだ。つまり、エグジストの持つ四つの能力系統(カテゴリ)の中でも、あらゆる電子法則そのものを捻じ曲げる〝最強〟に分類される厄介な代物ではない。物理的な破壊で命を断てる相手だ。そう結論付けた時、真横から再び男の声が響いた。

「おいおい姉ちゃん。無視は酷いな……ちょっと一杯付き合えよ……ぐがッ!?」

 ゼノヴィアは視線すら向けず、無言のまま男の首根っこを片手で掴み上げ、空き缶でも潰すように軽く握り込んだ。ただそれだけの動作で、男の頸椎はポッキーのようにあっさりとへし折れ、奇妙な角度に曲がった。

 しかし、裏社会の人間特有の粗悪な身体強化の薬品でもキメていたのが祟ったのか、彼は即座に絶命することはなく、泡を吹きながらおぞましい呻き声を上げる。ゼノヴィアはそのまま、痙攣する男の肉体を、空から迫るエヴィミスへ向けて弾丸の如き速度で放り投げた。

「む!」

 エヴィミスの眼前に、絶命寸前の男の肉塊が迫る。彼女は鬱陶しそうに軽く腕を振り払った。ただ無造作に振られただけのその腕が、男の肉体を細胞の結合レベルから破壊し、文字通り分子レベルで跡形もなく消し飛ばした。血の一滴すら残らない完全なる破壊。

 だが、それこそがゼノヴィアの狙いであった。男の肉片がエヴィミスの視界を塞いだその一瞬の死角を突き、即座に跳躍していたゼノヴィアの容赦のない膝蹴りが、エヴィミスの顎の先端を正確に打ち抜いたのだ。脳を揺らす決定的な一撃。白髪の女はそのまま、がら空きとなった巨女の胴体に向けて、渾身の力を込めた拳を放った。しかし。

「っ!」

 必殺の一撃を放ったはずの腕が、岩盤のような力で掴み止められていた。グリン、と機械仕掛けの人形のように顔を戻したエヴィミス。口の端からツツーと一筋の血が流れてはいるものの、脳震盪など微塵も起こしておらず、ほとんどダメージを受けた様子がない。

「軽いッ!! 軽すぎるぞッ、ゼノヴィアァァッ!!」

 エヴィミスはそのまま、自身の強靭な額をゼノヴィアの顔面へと叩きつける、原始的極まりない頭突きを見舞った。至近距離すぎる上に腕を拘束されており、衝撃の受け流しも不可能。

 ゴシャッ、という不快な音と共に、ゼノヴィアの硬質な頭蓋骨に亀裂が走る。エヴィミスはそのままの勢いで、彼女の細い身体をアスファルトの地面へと全力で投げ落とした。ドンッ、という地響きと共に巨大なクレーターが穿たれ、粉塵が舞い上がる。だが、ゼノヴィアは即座にムクリと起き上がった。ハイエンドの持つ規格外の再生力によって、ヒビ割れた頭蓋は瞬時に修復されていくが、頭部からは真紅の血がとめどなく流れ落ちている。そこへ、ズンと重い音を立てて赤髪の女が舞い降りた。

「さっきから五月蝿いんだよ。ムカつくな、お前」

 ゼノヴィアの全身から立ち昇る殺気が、限界点を超えて膨れ上がる。純粋な打撃による内部破壊が通じないと見るや、彼女は自らの腕を極限まで脱力し、エヴィミスの太い首を物理的に切断すべく、鋭い手刀を放って飛びかかった。しかし、カッ、という硬質な音と共に、逆にエヴィミスの放った重い手刀によって軌道を逸らされ、完璧に受け流されてしまう。

「教えてやろうッ!! これが本当の打撃だッッ!!」

 エヴィミスの右拳が、空間を圧縮するような凄まじい風圧を伴って、ゼノヴィアの無防備な腹部へと叩き込まれようとした。決定的な致命の一撃。だが。その拳が、彼女の肉体に届くことは永遠になかった。

「────ッッ!?」

 エヴィミスの表情が驚愕に染まる。右拳から伝わる絶対的な異変────耐え難いほどの焼けるような激痛と、細胞が悲鳴を上げ、生きたまま腐り、ドロドロに溶けて朽ち果てていくという圧倒的な死の感触。彼女は即座に状況を判断し、もう片方の手刀を躊躇いなく振り下ろして自身の右腕を肩から切り離し、大きく後方へと飛び退いた。地面に落ちた切り落とされた右腕は、シューシューと毒々しい湯気を立てながら、わずか数秒で溶解し、液状の染みとなって消滅した。

 エヴィミスは冷や汗を流しながら、眼前を見据えた。

「〝蝕骸の白忌(アシッド・アングスト)〟……いいよ。認めてやる、脳筋女」

 無造作に血を拭いながら、のっそりと歩み寄るゼノヴィア。彼女の腹部には、いつの間にか禍々しい邪気を放ち、不規則に揺らめく白く濁った光のオーラのようなものが纏わりついていた。彼女は、眼前の敵に対して、極めて不本意ながら純粋な肉体的強度や格闘技術では敵わないという事実を認めたのだ。そして、それを補うための彼女の真の力────ついにその恐るべき異能を解禁したのである。

「……なるほど。そういうことか」

 エヴィミスの戦闘IQが爆発的に跳ね上がる。高速で思考の歯車を回転させ、目の前のエグジストの能力の本質を即座に分析する。自分と同じサイキックだ。恐らく、あの揺らめく白いオーラに触れれば、先程の右腕のように強靭なエグジストの肉体であろうとも瞬時に腐敗し、跡形もなく溶解されるのだ。物理攻撃を完全に無効化する、絶対的なカウンターにして致死の領域。エヴィミスの第六感が最大級の警告を放ち、脳裏をけたたましく駆け巡る。しかし、彼女の辞書に逃亡という文字は存在しない。

「いいだろうッ!! では私も、対等に能力を使おうじゃないかッ!! ここからが本番だッッ!!」

 シュン、と空気が焦げるような音と共に、エヴィミスの周囲に幾つもの紅蓮の球体が出現した。それは純粋な熱と破壊を内包した、触れるもの全てを灰燼に帰す灼熱の太陽。大気がビリビリと震え、周囲の酸素が急速に失われていく。

 クレーター周辺には、何事かと大量の野次馬が集まっていたが、突如として解放されたベータ級ハイエンドのエグジスト二人による、殺意の隠蔽すら吹き飛ばす本気のプレッシャーに気圧され、パニックが巻き起こった。悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ出す者、圧倒的な恐怖に当てられて口から泡を吹き倒れる者、失禁しながらその場でガタガタと震え続ける者など、地獄絵図の様相を呈している。互いに能力の枷を外し、真の力を解放した二人の怪物。摩天楼のネオンを焼き尽くすほどの殺意が交錯し、本物の殺し合いが、今まさに始まろうとしていた。

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