開戦
現地に到着すると、そこは既に異様な熱気に包まれていた。
古びたレンガ造りの倉庫街。その一角にある広場には、数十名にも及ぶルキフェルの魔術師、呪術師、そして超能力者たちの解析班がひしめき合っていた。
他支部から応援に駆けつけたエグジストの姿もあり、さらには提携している外部組織の傭兵たちも戦いに備えている。
彼らは、空間の一点を囲むように展開し、複雑怪奇な術式解析を行っていた。
空中にホログラムのように浮かび上がる無数の魔法陣。幾何学模様が回転し、数式と呪言が滝のように流れては消えていく。
空間の一部が蜃気楼のように揺らぎ、時折、バチバチという火花と共に紫色の稲妻が走る。
そこには確かに「扉」があった。
だが、何百重にも施された高度な認識阻害術式と隠蔽結界によって、一般人の目にはただの古いレンガ壁にしか見えないだろう。たとえ高位の術者であっても、注意深く観察しなければ見落とすレベルの偽装だ。
しかし、クルクスやクラロワーのエグジストとしての「目」は、その欺瞞を容易に透過し、空間に無理やり穿たれた次元の裂け目と、それを封印する鎖のような術式の輝きを捉えていた。
「おい、まだかよっ! 遅いんだよ、無能共っ!」
怒号が響く。
先着していたゼノヴィアが、作業中の術師たちに向かって喚き散らしていた。
彼女の殺気に当てられ、解析班の手が震えている。それを別のエグジストが、「落ち着けゼノヴィア、彼らも最善を尽くしている」と必死に宥めていた。
現場の面々が、遅れて到着したクルクスたちに気づき、安堵の表情を浮かべる。
「クルクスさんだっ」
「あ、クルクス様っ! お疲れ様ですっ!」
「お疲れ様でーす」
クルクスは努めて明るく振る舞い、軽く会釈を返した。傍若無人なルビアズとは違い、特に人類の構成員からは彼女は好かれる傾向にある。
「あ、ダーラじゃん。来てたんだ」
ふと、クラロワーが黄色い声を上げた。
彼女の視線の先、瓦礫の上に腰掛けて退屈そうに爪を磨いでいる一人の女性がいた。
ダーラ・ウェルズエ。
見た目の年齢は二十歳ほど。透き通るような肌に、流れるような灰色の長髪。その髪の所々には、蛍のように淡く青い光を放つ球体がフワフワと付着しており、時折明滅している。
そして、何より異質なのはその瞳だ。
虹彩は溶けた黄金のように輝き、その瞳孔は六芒星の線で縁取られている。
紛うことなき人外、エグジストの証。
彼女はクラロワーの声に気づくと、くるりと優雅に振り返った。
「あら、クラロワーも? まさかこんな一大事の時に、昼間シフトがあるなんてねー。運が悪いわぁ」
間延びした、しかしどこか艶のある声。
「ほんとだよ。めんどくさいったらありゃしない。……お互い死なないようにしような、ダーラ。特にボーカルの君は死んじゃだめでしょ。バンドの顔なんだから」
クラロワーが、クルクスに見せる冷徹な表情とは打って変わって、親しげな口調で返す。
そう、このダーラこそが、人気ロックバンド「Deadly Dream」のボーカルを務める人物であり、クラロワーのバンド仲間でもあるのだ。
そんなエグジスト同士の軽口を尻目に、クルクスは真面目に現場指揮官としての責務を果たそうと動いた。
最前線で杖を振るっている、構成員の魔女に歩み寄る。
「調子はどう? 解析はどこまで進んだ?」
魔女は額の汗を拭いながら答えた。
「んー、そうですね。あと少しといったところでしょうか。敵の術式はかなり高度な保護術ですが、こちらも多勢に無勢。総当たり攻撃でこじ開けています。もうすぐポータルを開けそうです」
「おっけい。ご苦労さま」
クルクスは頷き、視線を歪む空間へと戻した。
「とりあえず……奴らのアジトだ、中に何があるかわからないし、待ち伏せされてる可能性も高い。突入するのは、私らエグジストの出番かな」
彼女がそう方針を示した瞬間、
「あたしっ! 初めに行くのはあたしだから!」
ゼノヴィアが風のような速さで駆け寄り、クルクスの目の前に立ちはだかった。
「いや、寧ろあたし一人でいいよ。他の雑魚共の出番はないから。全部あたしが殺す」
「だといいんだけどねぇ……。相手はオメガだよ? 油断は禁物だってば」
クルクスは、興奮して鼻息の荒い猛獣をなだめるように手を振った。
「まぁ、とりあえず今は待つしかないよ。開くまで、エネルギーを温存しておいて」
「ちっ、しけてんの」
ゼノヴィアは不満げに舌打ちをし、貧乏ゆすりを再開した。
張り詰めた緊張感と、エグジストたちの弛緩した空気が混在する奇妙な時間。
クルクスは周囲を警戒しつつ、他組織の顔見知りたちと手短な情報交換を続けていた。
術者たちの詠唱がクライマックスを迎え、空間の歪みが限界まで膨れ上がった、その時。
ズズズズズ……ッ。
大気を震わせる重低音。
共に、空間が悲鳴を上げた。
術式による強制解錠が成功したのではない。
向こう側から、何かが「開いた」のだ。
「開いたぞ!」
解析班のリーダーとおぼしき男が、歓喜の声を上げた。
空間に施された幾重ものロックが外れ、次元の裂け目が口を開く。
だが、その歓声が勝利の凱歌となることはなかった。
「……は?」
クルクスの間の抜けた声が、唐突な静寂に響いた。
悲鳴すら、上げる暇はなかった。
今まで必死に術式を編んでいた数十人の異能者メンバー、そして護衛の傭兵たちが、一瞬にして物言わぬ肉塊へと変貌していたのだ。
少し遅れて。
鮮血の花火が咲き乱れる。
全員が。
首を。
心臓を。
あるいは胴体を。
鋭利な刃物で抉り取られたかのように切断されていた。断面は鏡のように滑らかで、自分が死んだことすら認識できずに絶命している。
あまりにも鮮やかで、あまりにも冒涜的な蹂躙。
いち早くその異常事態に反応したのは、やはりゼノヴィアだった。
次いで、動体視力に優れたクラロワーとダーラ、そしてクルクスや他のエグジスト構成員たちが、殺気の発生源へと視線を走らせる。
その瞬間。
「上だよ。……邪魔だったから、もぎ取ってやった」
ゼノヴィア。退屈そうに言い放った。
彼女は既に、倉庫の屋根の上に立つ「影」と対峙して、何らかのアクションを起こしていたようだ。彼女の手には、肘から先をもぎ取られた、無数の刃が生えた禍々しい異形の両腕が握られていたのだ。
「いっでぇ!! マジかよ、なんだアイツ!?」
頭上から、苦悶と驚愕が入り混じった女の声が降ってくる。
見上げれば、倉庫の梁の上に一人の女がうずくまっていた。
両腕を根元から引きちぎられ、断面から泡立つように鮮血を走らせたその女────イライジャ・セバスチャン。
その瞳は、水色の渦巻き模様を描く異形眼球。
彼女の能力は、自身の肉体をあらゆる刃へと変化させる変異型の特性を持っていたが、その自慢の刃ごと腕を奪われたのだ。
通常、命の危険がない限り、エグジストにとって「痛覚」は戦闘を阻害する無用な器官として機能しない。脳内物質によって遮断されるのが常だ。
つまり、イライジャが痛みを感じているということは、ゼノヴィアという存在が彼女にとって「命を脅かす捕食者」であると、本能が警鐘を鳴らしていることに他ならない。
「くそっ、いってぇなコラ……!」
イライジャが悪態をつきながら、再びブレード状の両腕を即座に生やした。
すぐさま、地上にいたルキフェル側のエグジスト数名が、好機とばかりに跳躍し、彼女に襲いかかろうとした。
しかし。
ドサ、ドサドサッ。
跳躍したはずの四人のエグジスト。
空中で。
糸が切れた操り人形のように落下した。
彼らの身体。
頭部から上が存在しなかった。
どうやらミュー属性ではなかったようで、特有の再生核を持たない彼らは、そのまま痙攣し、絶命する。
「なるほど。……やるね、アンタ」
瓦礫の山から、ぬらりと姿を現した影があった。
筋骨隆々たる巨躯を誇る、赤髪の女────エヴィミス・ロドリゲス。
彼女の手には、先程跳躍したエグジストたちの、四つの頭部がぶら下げられていた。まるで市場で買った果物でも持つかのような手軽さで。
その瞳は常に燃え盛る炎のように揺らめく異型眼球。その目は、眼前の強者────ゼノヴィアだけを見据えている。
クルクスは戦慄した。
全身の血が逆流するような恐怖。
三百四十七年前のアイルランド。あの地獄のような戦場で、多くの仲間を屠り、クルクス自身を死の淵へと追いやった、あの「赤髪の女」だ。
記憶の中の姿よりもさらに鍛え上げられ、洗練された暴力の化身となっている。
だが、エヴィミスはクルクスのことなど一瞥もしない。彼女の視界に、クルクスのような弱者は映っていないのだ。ただ目の前の、自分と同格かそれ以上の怪物、ゼノヴィアしか見ていない。
「あ? お前ただのベータだな? 雑魚には興味無いんだよ。お前らのボス、オメガを出せ」
ゼノヴィアが、手にしたイライジャの腕をゴミのように投げ捨てて凄む。
「言うじゃねぇか。どっちが強いか、試してみるか?」
エヴィミスは持っていた生首を放り投げ、重厚な格闘技の構えを取った。
その全身から立ち昇るオーラだけで、周囲の空間が歪み、地面のアスファルトが溶解を始めるようだ。
クルクスは即座に状況を理解した。
いつ気付かれた? それとも最初から誘い込まれていたのか?
分からないが、とにかく致命的な状況であることだけは痛いほど分かる。敵は本気だ。
「術者班はすぐ退避! こいつら、どっちも最低でも上級はあるベータ級エグジストだ! エグジスト以外じゃ戦いにすらならな────」
クルクスが叫び、指示を飛ばそうとしたその刹那。
視界の端で、水色の閃光が奔った。
「よそ見してんじゃねーよ、リーダーさん!」
イライジャが、音もなくクルクスの懐に飛び込んでいた。
両腕が長大な鎌のように変形し、クルクスの首を刈り取らんと迫る。
速い。
反応できない。
死の感触が肌を撫でた、その瞬間。
「……え?」
眼前に迫っていたイライジャの刃が、そして彼女の腕そのものが、まるで消しゴムで消されたかのように消失していた。
音もなく、伸びた触手は掻き消えたのだ。
「うわ、ばっちいばっちい。……全く、とんだ木偶の坊のボス代理ですね」
クルクスの横に、いつの間にかクラロワーが立っていた。
彼女は嫌悪感を露わにしながら、イライジャの刃を手刀で切断した────いや、相殺して消滅させた自らの手を、ハンカチで必死に拭っていた。潔癖症の彼女にとって、敵の体液や肉片に触れることは耐え難い苦痛らしい。
「まぁまぁ、クラロワー。クルクスさんの本業はエンジニアと環境保護員でしょ。戦いは不慣れなんだって。能力は恵まれてるくせに、使い手が優しいからねぇ」
続いて、鈴を転がすような声と共にダーラの声
気付けば、彼女はイライジャの背後に回り込んでいる。
クルクスを襲撃したイライジャは、両腕を失った状態で距離を取り、警戒心を露わに二人のエグジストを睨みつけていた。
「めんどくさいなぁ……あーあ、部屋でゲームしてたかったのに。……エヴィ、そっちの強そうなのは任せたよー」
イライジャは欠伸混じりに、やる気なさげに呟く。
ダーラも身構えた。その髪に纏わりつく光の玉は、激しく明滅し、臨戦態勢に入っていることを示していた。
「こっちは何とかしますんで。……オメガの姿が見えないのが不安だらけですが、とりあえずクルクスさんは他のエグジスト連れて突入しちゃってください」
クラロワーが、視線だけをクルクスに向けて淡々と言った。
「貴女がここで死んだら、誰が指示をくれるんですか? さっさと行ってください」
「ごめん、そいつは任せる!」
クルクスは短く返し、冷や汗を拭う。
その時、脳内のデバイズに着信が入った。みほよだ。
『あ、エードラムの強い反応出てますね。エネルギー波形が急激に変質してます。……やっぱり私の予想通り、波状攻撃かなんかで全非異能者抹殺プログラムでも起動させる気でしょうかね』
眼前の惨状と戦闘音を拾っているはずなのに、みほよの声は相変わらず冷静────いや、冷徹なまでに平坦だった。
その温度差にクルクスは少々恐怖心を覚えるが、今はそれに救われる。感傷に浸っている時間はない。
「エグジストのみんなっ! 術者班が開けてくれたポータルに入るよ!」
クルクスが声を張り上げ、生存している味方のエグジストたちを鼓舞する。
「まず、そのエードラムってのを奪還して……この虐殺を止めないと!」
彼女の号令一下、残った数名のエグジストたちが一斉に動いた。
ゼノヴィアとエヴィミスが衝突しようとし、クラロワーとダーラはイライジャを食い止める。
クルクスたちはその嵐をくぐり抜け、口を開けた暗黒のポータルへと身を投じた。




