Deadly Dream
バージニア州、とある都市の上空。
黄昏と夜の境界線が曖昧になる刻限、空から降り注ぐのは星明かりではなく、魂を震わせる旋律だった。
「Soft step feeling road. Hearts like streamers, we find out flow…」
透き通るような女性ボーカルの歌声が、大気を媒体として地上へと響き渡る。
それは喧騒と硝煙に塗れた日常を一時忘れさせる、清涼な雨のようなバラード。
「Where every note belongs. Drawn together by the for you song……」
空中にホバリングする巨大な反重力プラットフォーム。そこが、今宵のステージだ。
無数の照明ドローンが演者たちを照らし出し、幻想的な光の粒子が観客の頭上へと舞い落ちる。
「ヒューッ! サイコー! 『Deadly Dream』の生演奏だっ!!」
地上の一角で、周囲の視線も憚らず絶叫する一人の長身女性がいた。
薄紅色のショートヘアに、鮮やかな葉脈を模した髪飾り。右斜めに歪んだ黄金色の楕円形の瞳孔を持つその女は、『超越的存在』のクルクス・ノイベルグである。
彼女の左手には、中華料理店でテイクアウトした『怪鳥』の唐揚げが山のように詰め込まれたペーパー・ボックスが抱えられている。
右手を目一杯突き上げ、ぴょんぴょんと子供のように跳ねるたびに、その豊満すぎる胸が物理法則を無視したかのように揺れ動く。
「クルクス、横で騒ぐな。鬱陶しい」
その隣で、心底気怠げな低い声がした。
血の海に浸したような真紅の長髪。右側頭部には毒々しい赤のホンアマリリスを模した髪飾り、左側頭部には漆黒のハート型の髪飾り。両方のもみ上げにも、同様のハートの装飾が揺れている。
眼球はさらに異様だ。充血したかのような真っ赤な白目に、深淵のごとき黒いハート型の瞳孔。
そして何より目を引くのは、長身のクルクスよりもさらに頭一つ分は抜きん出た、六フィート六インチ(約百九十八センチ)に達する巨体。
『ルキフェル』のボス、ルビアズ・ジャスパーである。
裏社会の『何でも屋』たる彼女にも、もちろん休日は存在する。
以前解決したピメリー・バルドーの一件で、モリス・ジョーンズから譲渡されたブライトンビーチの別荘の権利書がようやく手元に届いたのだ。彼女は同じく非番だったクルクスを連行し無理やり協力させ、とりあえず別荘自体を亜空間収納庫へと放り込むと、その足でバージニア州まで羽を伸ばしに来ていたのである。その目的は、これだ。
「Carried on, the path goes on……」
歌姫のビブラートが夜空に溶けていく。
空飛ぶライブ会場には、五人のメンバーが立っていた。
センターで歌い上げる妖艶な女性ボーカル。
その両脇を固めるのは、重厚なディストーション・サウンドを掻き鳴らす男女のツイン・リードギター。
リズムの要となるベースをノリノリで指弾きする男。
そして、ドラムとキーボード担当は────無数の触手を生やした球体の『無原形人』だ。彼は(どうやら男性らしい)その不定形の身体から伸びる触手を巧みに操り、ドラムとキーボードを同時に演奏するという、人間離れした超絶技巧のアルペジオを奏でている。
彼らの名は『Deadly Dream』。略してDD。
今や全米のチャートを席巻するロックバンドであり、今夜は珍しく静寂なクワイエット・ソングを披露していた。
地表には、人間、異形人、亜人種を問わず、黒山の人だかりができている。
高層ビルの窓から顔を覗かせる住人たち、空ではエア・カーを違法駐車させて聴き入るドライバーたち。
普段は血と暴力に飢えた荒くれ者たちさえも、この時ばかりは武器を収め、音楽の魔法に酔いしれている。空には投げ銭代わりのドル札が紙吹雪のように舞い、会場に設置された集金ボックスへと魔術的な吸引力で吸い込まれていく。
だが、無粋な警告音がその調和を乱した。
『警告。そこの音楽グループに告ぐ。許可なき屋外での大規模ライブは州法により禁じられている。即刻演奏を中止し、この空域から退去せよ』
政府所属の治安維持用無人機ドローンが、スピーカーから無機質な音声を撒き散らす。
しかし、この魔都において法律などを真面目に守るのは、政府関係者か一部の臆病な温厚派のみである。
「ふざけんな!」「引っ込め政府の犬!」「ロックを止めるな!」「ぶち殺すぞ!」
観衆から怒号とブーイングが嵐のように巻き起こる。
「そうだそうだ! DDの演奏が聴こえないだろ! 空気が読めないポンコツはスクラップになっちまえっ」
クルクスも口の端に唐揚げの衣をつけたまま、野次馬に混じって拳を振り上げた。
警告を無視されたドローンは、実力行使に出た。機体下部のウェポンベイが開き、小型の誘導ミサイルが発射される。
一直線にステージへと向かう死の火種。
だが。
着弾の瞬間、ステージを覆う見えない障壁が波紋のように展開された。
爆音すら遮断し、爆炎ごときれいに飲み込む絶対防御。ステージ上の演者たちは、眉一つ動かさずに演奏を続けている。
「あーあ、やっちゃった」
クルクスが呟く。観客のヘイトが一気に政府の無人機へと向いた。大ブーイングの嵐。
野次馬の一人、『異能者』の若者が、またがっていた『反重力自転車』から指先を向けた。
放たれた閃光が、哀れなドローンを粉々に粉砕する。湧き上がる野次馬。
「ミサイル如きで傷がつくわけないだろ。何百もの対物理・対魔術・呪術防禦術式が多重積層されてるんだぞ、あの空飛ぶ要塞は」
ルビアズが鼻を鳴らした。
彼女が詳しいのには理由がある。あのステージの改造費を出したのは、他ならぬ彼女自身だからだ。
曲のアウトロが終わると同時に、ステージ下部から青白いジェット噴射が煌めく。
「Thank you Virginia!!」
ボーカルの叫びと共に、会場は亜音速で夜空の彼方へと飛び去っていった。
♥
ライブの熱狂から数時間後。
場所は変わって、バージニア州の路地裏にひっそりと佇む一軒の酒場。
『ルキフェル』が所有するアジト兼バーであるここには、一般客は入れない。店内は今、ライブの打ち上げで大いに賑わっていた。
テーブルには湯気を立てる豪華な肉料理や、珍しい異界の酒が所狭しと並べられている。
「あ、ルビアズさん! 今回も来てくれたんですね、ありがとうございます!」
ステージ衣装を脱ぎ、ラフな格好に着替えたボーカルの女性が、ビールジョッキ片手に駆け寄ってきた。
「ああ。中々の客入りだったじゃないか。特にベースの低音がよかったよ。あの腹に響くグルーヴ感は最高だ」
ルビアズが珍しく素直に褒めると、奥でベースを拭いていた男が「あざーっす!」と頭を下げる。
「次も絶対行くから! ライブの日は教えて、シフトあったら絶対有給入れる!」
クルクスがはしゃぐ。ルビアズは友人とはいえ、仮にも上司の前でそんなこと言うなと思うが、他の人らの目もあるし、なにより今日は非番だ。余計な口は出さない。
そう、『Deadly Dream』のメンバーは、全員が『ルキフェル』に所属する『エグジスト』の構成員なのだ。
店内では、メンバーたちが各州の支部から集まった同僚たちと、今日のライブの感想や、最近起きた物騒な事件、あるいは「どこの店の料理が美味いか」といった日常会話に花を咲かせている。
元々、このバンドはルビアズの知らないところで、音楽好きの構成員たちが趣味で結成したサークル活動に過ぎなかった。ルビアズはロックバンド好きのクルクスから言伝でこれを聞いたが、仕事に支障が出ないのであれば問題ないし、何より他従業員のプライベートを配慮し、特に口出しせず放置していた。
当初は人間や異形人の混成バンドだったが、過酷な『ルキフェル』の業務において、構成員の死亡率はあまりに高い。
ドラムが抗争でミンチになり、ギターが悪魔に魂を喰われ、ベースが冥界の魔獣によりビルごと消し飛び────だが、彼らはメンバーが欠けるたびに補充を繰り返していたのだ。結果、気付けば全員が不死身に近い『エグジスト』に入れ替わっていたのだ。これにより、バンドはようやく安定した活動が可能となった。
メンバー全員が『エグジスト』という人外の怪物という話題性と、確かな実力で人気に火がつくと、金に目ざといルビアズがこれを見逃すはずがなかった。
彼女はDDを全面的にバックアップし、機材や会場、プロモーションを提供する代わりに、売上の大半を『ルキフェル』の活動資金────という名目の彼女の懐────に徴収するシステムを構築したのである。
「んぐっ、むぐ……うんまっ!」
ルビアズは、『焦熱牛』の極厚タンを丸々一本串ごと刺したそれに齧り付いていた。滴る肉汁と香ばしい匂いが食欲をそそる。
彼女の横には、一抱えもある巨大なガラス瓶が鎮座している。中には琥珀色の液体と共に、猛毒を持つ巨大蛇、ブラックマンバが丸ごと一匹漬け込まれている。
アルコール度数九十八度を誇る劇薬酒『毒蛇の吐息』。一本で家が建つほどの高級酒であり、ルビアズの秘蔵コレクションの一つだ。
卓上には、その原液がストレートで波々と注がれた大ジョッキが置かれている。とてつもないアルコールの香りが、辺り一面に漂う。
「あ、いっただきまーす!」
横から伸びてきた手が、そのジョッキをひょいと奪い取った。
クルクスである。
「うまーっ! んぐ、んぐ、んぐ! ぷはーっ!」
彼女は躊躇なくジョッキを傾け、喉を鳴らして一気飲みした。
「ちょ、おいバカ野郎っ!!」
ルビアズが叫ぶ。もちろん、友人の肝臓を心配しているわけではない。
人間が飲めば即座に急性アルコール中毒でショック死する代物だが、『エグジスト』にとって毒やアルコールなどただの水も同然だ。死ぬこともなければ、本来なら酔うことすらない。
だが。
「うへへ~……あれぇ、ルビアズぅ~? なんか三人くらいに分身してるけど~? 三人いるなら、お給料も三倍ちょうだいよぉ~」
目の前の旧友は、顔を赤らめ、とろんとした目で千鳥足になっていた。
「てめぇ、何勝手に酔ってやがる! それ十五年ものだぞ!? 貴重品なんだよ! せめて味わって飲め、一気飲みするやつがあるか!」
ルビアズはクルクスの胸ぐらを掴んで揺さぶるが、彼女はへらへらと笑うばかりで会話にならない。
『エグジスト』は不老不死に近い肉体を持つ。そして、彼らは環境適応能力の応用として、自身の肉体構成をもある程度自在に操作することが可能だ。例えば、外見年齢も、約一日程あれば変えることが出来る。
性別や身長、髪色や特有の眼球といった基本構造の変更は、『肉体変異型』の能力カテゴリーの個体以外には不可能だが、代謝機能や神経伝達物質の受容体感度といった内部パラメーターの調整ならば、『エグジスト』なら訓練すれば誰でも行える。
クルクスはこの機能を利用し、一時的に「アルコールを毒素として分解せず、神経を麻痺させる」ように体質を改造していたのだ。
これにより、彼らは娯楽としての泥酔を楽しむことができる。もちろん、戦闘になれば一瞬で設定をリセットし、シラフに戻ることが可能だ。
仕事のストレスが多いこの業界において、勤務中や休憩中にこの「擬似泥酔」を楽しむ『エグジスト』は多い。これもまた、彼らに許された特権の一つである。
「う~、ルビアズのケチんぼ~……もっとちょーだい~」
空になったジョッキを逆さまにして振るクルクス。
「こいつ、あそこのピラニアの水槽に放り込んでやろうか」
ルビアズは額に青筋を浮かべながら、ぐにゃぐにゃになったクルクスを床へと放り投げた。
酒場の喧騒は、夜が深まるにつれてさらに熱を帯びていく。
これからも、『ルキフェル』は血と硝煙の仕事が待っている。だからこそ今夜は、毒酒とロックに溺れるのだ。




