レフィーマという女
天蓋に一番星が点火された空。
夕焼けが赤煉瓦の色に変わり、摩天楼のシルエットが黒々と浮かび上がる。黄昏の魔都ニューヨークを、小型飛行ユニットは静寂を纏いながら滑走していた。ポンウィパも同じくタバコを吹かし、雑談をしていた。
機体がマンハッタン島の北端、ロッドロッズ地区の空域へ差し掛かる。
ポンウィパとレフィーマは、即座に談笑を打ち切り、居住まいを正した。
事前の情報では、この地区はストリート・ギャング化した『エグジスト』の集団同士による大規模な抗争の渦中にあるはずだった。下級の『エグジスト』とはいえ、相手は人智を超えた化け物たちである。こちらの機体が誇る最新鋭のステルス迷彩や遮音フィールドとて、彼らの特異な感覚器官の前では薄紙一枚程度の防御にしかならない。
万が一、抗争の流れ弾にでも当たれば、いかに『ルキフェル』のエリートといえども無傷では済まない。特に『エグジスト』の攻撃とあらば、この飛行ユニットもろとも爆散不可避だろう。
二人の手には、既に緊急脱出用の『簡易転移筒』が握られていた。
これは『ルキフェル』正規構成員に支給される護身用アイテムで、黒檀のような質感の短い棒だ。強い念を込めることで、使用者の身体を半径五百メートル以内の任意の地表へ強制転移させる機能を持つ。
ポンウィパは緊張した面持ちで『デバイズ』を起動し、ロッドロッズ地区のリアルタイム死亡率と、ローカルニュースのフィードを確認した。
「……おや?」
彼女の口から、間の抜けた声が漏れる。
表示された数値は、予想外のものだった。
ロッドロッズ地区死亡率────七パーセント。
これは、普段の平穏なロッドロッズにおける『超安全地帯』としての基準値であり、抗争による異常値を示していたはずの数時間前とは比較にならないほど低下している。
今日のニューヨーク全域における異常事態を鑑みれば、この静けさはあまりにも不自然だ。
「レフィーマ、なんかもう大丈夫っぽいよ」
「え? ほんと?」
「うん、死亡率が一桁台まで急落してる。現地の『エグジスト』を含めたストリート・ギャングは、既に壊滅したらしい……ほら」
ポンウィパは情報を共有した。
レフィーマの網膜にも、同じウィンドウが展開される。
そこには、NYPD(ニューヨーク市警)の対超常犯罪特殊部隊『重装機甲師団』の勇姿と、瓦礫の山と化した現場のリポート映像が映し出されていた。
『────こちらはロッドロッズ地区、現場からの生中継です。ご覧ください、市民の皆様。我らがNYPD・の精鋭、『重装機甲師団』の活躍により、この地区を不法占拠し抗争を繰り広げていたギャングたちは一掃されました』
画面の中で、リポーターが誇らしげに語る。
背景には、蜂の巣にされた『エグジスト』とギャングの死骸が山積みになり、重厚なパワードスーツを纏った警官たちが、勝利を誇示するように銃を掲げている。
『ロッドロッズの市民の皆様、ご安心ください。正義は執行されました。我々はどのような脅威にも屈しません』
それを見て、ポンウィパが感心したように言った。
「たまにはやるじゃん、『平均個体』レベルとはいえ、国の連中も」
だが、レフィーマの反応は冷ややかだった。
「どうせ漁夫の利でしょ」
彼女は吐き捨てるように言った。
「『エグジスト』同士が潰し合って、弱りきった所を狙っただけに決まってる。それか、もう勝負がついてて、生き残った手負いのギャングらを適当に殲滅して、さも自分たちが全部やったみたいに手柄を横取りしただけだよ。あいつらのやりそうなことだ」
「まぁまぁ。とりあえず脅威は去ったんだから、私たちにとっては好都合でしょ」
ポンウィパは宥めるが、レフィーマは舌打ちをして、吸い終わったタバコを灰皿に乱暴に押し付けた。
紫煙と共に吐き出されたのは、根深い憎悪だ。
レフィーマ・ライズという女は、誰よりも
政府という組織を、権力という暴力を憎んでいる。
♥
彼女の故郷は、ケンタッキー州バトラー郡。
アメリカにしては平和な安息地帯(平均死亡率一パーセント未満)の田舎町だった。
あの日、中学二年生だったレフィーマは、たまたま隣町のショッピングモールへ出かけていた。
買い物を終え、帰路についた彼女が見たものは、地図から消滅した故郷だった。
原因不明の大規模爆発。
家も、学校も、公園も、家族も、友人も。
彼女を形成していた世界の全てが、一瞬にして灰燼に帰したのだ。
政府は公式発表で、これを「未確認の『エグジスト』の暴走による事故」と断定した。
生まれつき『超能力者』としての資質を持っていたレフィーマですら、相手が人知を超えた怪物であれば仕方がないと、絶望の中で諦めるしかなかった。
その後、彼女は路頭に迷ったが、幸運にも、「ケンタッキー州異種族共生支援機構《KISO》」というNPO団体と、地元の教会の支援を受けることができた。彼らは人外を含む全ての被災者に救いの手を差し伸べており、レフィーマはそこで生活の保証を得て、高校まで進学することができた。
新しい友人もでき、心の傷も癒え、進路について悩み始めた十八歳の冬。
転機は唐突に訪れた。彼女が買い物をするため、街中を歩いていた時だ。
『道化の遊戯』による、国家機密暴露テロ。
国家安全保障局が最重要危険団体に指定するこの組織は、政治的思想を持たず、ただ愉快犯的に政府の威信を失墜させることのみを目的に活動する、享楽主義者の集まりだ。
彼らはアメリカ全土のテレビ放送をジャックしたのだ。ビル壁面から、空中に浮かんだウィンドウから、とんでもない映像を流した。
『ニューヨーカー諸君、楽しんでますかー? 本日、この醜く肥太った────政府のブタが、皆さんに伝えたいことがあるそうです!』
横にいる、コスプレに身を包んだ男が高らかに宣言する。彼は『道化の遊戯』に所属する『呪術師』で、彼らは政府高官を拉致し、役人に対して『真実吐露の呪詛』を行使し、資料すら残さず隠蔽されていた、極秘情報を強制的に自白させたのだ。
さらに、隣にいた同じくコスプレに身を包んだ魔女が、政府高官の記憶を引き出し、その自白内容を漫画の吹き出しのように実体化させ、証拠映像として空間へウィンドウのように貼り付けるという念の入れようだった。
その暴露の中に、バトラー郡の爆発の真相が含まれていた。
『────あの件は、実に効率的だったよ。「瘴気の除去」という名目で、実験段階だった新型爆弾のテストを行ったんだ』
テレビ画面の中で、脂ぎった髪の役人が虚ろな目で語る。
『熱核水蒸気爆弾、放射能汚染を残さず、限定的な範囲を超高熱の水蒸気で焼き尽くす、クリーンで残酷な兵器さ。住民ごと焼却した方が、避難誘導のコストもかからないし、後腐れもないからねぇ……ヒヒッ』
役人が、不気味な笑みを浮かべた。
『うわぁ、これマジ? 過去のスラム街の「浄化」よりタチが悪いですねぇ~』
魔女が、腕を組み言う。
『うむ。流石の俺たちもドン引きだよ、これは』
呪術師が言うが、
『って、こいつの脳みそ弄り回しといて何言ってるんじゃいっ!』
『お前もだろうが!』
魔女がツッコミ、彼らによる漫才が繰り広げられた。
『……以上、本日の娯楽でしたー。次回の開催をお楽しみくださいっ!』
映像は途切れ、すぐに元のニュース映像に戻り、『今の情報は完全にデマの虚構報道であり、虚偽情報に騙されないように────』と言った報道が流れ、それに野次を飛ばす周辺住人たち。
その瞬間、レフィーマの中で何かが音を立てて壊れた。
諦めは殺意へ、悲しみは怒りへと変貌した。
彼女が選んだ道は、法による裁きなどという生温いものではなく、純然たる復讐────無差別殺戮だった。
復讐の鬼と化した『超能力者』は、その後、単身で州議事堂の関連施設へと侵入した。丁度政府役人が会議のため集まるタイミングだ。
無関係の警備兵たちは殺さず、ただ無力化して蹴散らし、奥の会議室へと踏み込む。
そこには、ふんぞり返る役人たちがいた。その中には、『ファニー・ゲーム』に捕まり、報道されていた太った役人もいた。
彼らはレフィーマを見るなり、「化け物が」「力を持っただけの庶民風情が」と汚い言葉で罵った。
その言葉が、彼らの遺言となった。
感情のままに『プティ・プランス』の実体を出し、黒糸を振るい、役人たちを環境適応装甲服ごと斬り裂いた。人を殺す────など初めてだったが、彼女の怒りはその罪悪感すら、軽く凌駕した。
糸を振るう。殺す。斬り裂く。殺した。一人。死体。何も感じない。蹴り飛ばす。役人の恐怖に引きつった顔。逃げ出す。逃がさない。糸で部屋を包囲した。切断。二人。三人。悲鳴。関係ない。返り血がかかる。服が汚れる。目に入る。気にしない。役人が取り出した銃を撃つ。遅い。実体が防ぐ。命乞い。罵声。その目。実体が腕を振るう。肉を両断する。血の海。殺戮。皆殺し。生き残った役人。呻き声。能力ではない。足で頭を踏み抜いた。死んだ。
「……ふぅ」
レフィーマは阿鼻叫喚の地獄の中、一人息を吐いた。完全ではないが、鬱憤は晴れた。
だが、政府も無策ではない。
直属の対異能者・対エグジスト特務機関『連邦保安局特殊鎮圧隊』が即座に介入してきた。
彼らは連邦超常現象対策局とは異なり、純粋な戦闘と抹殺を専門とする始末屋集団だ。
当時、既に並の『異能者』を凌駕する実力を持っていたレフィーマだったが、多勢に無勢。加えて、相手は対能力者戦闘のプロフェッショナルである。
包囲され、追い詰められ、満身創痍となったレフィーマ。
死は確実だった。
だが、それでも良かった。一矢報いたのだから。
最期の突撃を仕掛けようとした、その時。
「……随分と派手にやったもんだねぇ」
場違いな声が響いた。
崩れかけた壁の向こうから現れたのは、まだあどけなさの残る少女────高校生時代のポンウィパ・ヴィータと、黒いコートを纏った数名の集団だった。
当時、ケンタッキー州支部に所属していたポンウィパと、『ルキフェル』の構成員たちである。
彼らは政府から、「暴走した『異能者』による大量殺戮事件の鎮圧と、事後処理」という汚れ仕事を丸投げされ、現場に派遣されてきたのだ。
「なんだ貴様らは! ここはFSSSの管轄だ! 部外者は失せろ!」
鎮圧隊の隊長が怒鳴る。
「おいおい、『ルキフェル』だぜ俺らは。政府のやつらが俺たちを呼んだんだよ。『異能者』を始末しろってな。肝心の役人たちは全員地獄行きのようだが……」
男が苦笑する。
「なんだ、お前らか。だが残念だったな、既に片付いている」
隊長は声を緩め、続けた。
「もう終わる。このテロリストは我々が処分する。お前たちの出番はない」
銃口がレフィーマに向けられる。
だが、その少女は何やらボソボソと、隣に立つ大柄な男に耳打ちをしていた。
レフィーマは覚悟を決めた。こいつら……この謎の集団も、政府関係者か。どうせなら、あの集団もろとも、道連れにしてやろうか。
しかし。
「……あいよ」
少女の言葉に頷いた男────『エグジスト』の構成員が、ダルそうに動いた。
次の瞬間、視界がブレた。
目にも止まらぬ神速の体術。
ドカッ、バキッ、ズドン。
乾いた打撃音だけが響き、FSSSの隊員たちが次々と白目を剥いて崩れ落ちていく。殺しはしていない、だが全員が再起不能なほどの「峰打ち」だった。
静寂が戻った会議室。
呆然と立ち尽くすレフィーマの前に、『ルキフェル』の面々が集まってくる。
「へぇ、こいつ……ただの人間か。いや、『超能力者』か。にしては中々やるじゃねぇか」
「国の精鋭部隊相手に、小娘一人でここまで立ち回るとはな」
彼らは、死体と肉片が散乱する地獄のような光景を前にしても、まるでランチのメニューでも選ぶかのような軽い口調で話していた。
レフィーマは混乱した。
恐怖、怒り、そして困惑。
すぐに一人がタブレット端末を操作し、彼女の情報を読み上げる。
「レフィーマ・ライズ。十八歳。ケンタッキー州バトラー郡出身……あー、なるほどね。あの爆発事故……というか政府の「掃除」の生き残りか。そりゃあ派手に暴れるわけだ」
少女が一歩進み出た。
血まみれのレフィーマに、そっと手を差し伸べる。
「ねぇ、うちに来ない?」
唐突な勧誘。
「は?」
「私たちの『組織』だよ。ここなら、あんたのその力、もっとマシな使い方ができるし。それに、タイミング的に就職か進学で迷ってたでしょ? うちなら給料高いし、福利厚生もしっかりしてるよー」
他の構成員も口々に言う。
「おう、それがいい。見どころあるぜ嬢ちゃん」
「目撃者の役人は全員くたばってるし、監視カメラのデータや、生き残った警備員の記憶なんざ、うちの技術班と魔術師連中が適当に改竄して揉み消してくれるさ」
犯罪隠蔽を堂々と提案する彼らの倫理観に、レフィーマは毒気を抜かれた。
彼女は差し出された手を見つめ、そして顔を上げた。
「……そこに、食堂はあるの?」
「え?」
少女が目を丸くする。
「美味しいご飯、食べられるの?」
張り詰めていた糸が切れ、彼女の本能が顔を出した瞬間だった。
一瞬の沈黙の後、『異形人』の構成員がニカっと笑った。
「おうよ! うちの支部の食堂はクソ美味いぞ! シェフは元十ツ星レストランの料理長だった『美食鬼』だからな!」
その言葉に、レフィーマの瞳が輝いた。
「なら、入る!」
即答し、彼女は少女の手を強く握り返した。
少女は苦笑しながら、しかし力強く言った。
「私はポンウィパ・ヴィータ。ようこそ、『ルキフェル』へ」
その後、高校を卒業したレフィーマは、ポンウィパと共にケンタッキー州支部で活動を開始した。
『ルキフェル』の業務は過酷であり、構成員の死亡率は極めて高い。だが、二人は互いに背中を預け合い、数多の修羅場を潜り抜けてきた。
そして、お互い成人を迎えた頃。
ニューヨーク本部の『魔法使い』部隊が抗争で全滅するという緊急事態が発生した。そこで魔女であり、戦闘にも長けたポンウィパが本部に勧誘された。
時を同じくして、ボスのルビアズが、過去の経歴から政府を嫌うレフィーマの噂を聞きつけ、「政府相手に一人で大立ち回りした面白いガキがいるらしいな」と興味を持った。
結果、レフィーマは、相棒であるポンウィパと共に本部へと引き抜かれ、魔都ニューヨークへと降り立つことになったのである。
♥
そんな過去の記憶を振り払うように、レフィーマは軽く頭を振った。
窓の外では、マンハッタンの夕暮れの景色が宝石箱のように輝いている。その光の一つ一つに、誰かの日常があり、誰かの悲劇がある。
だが、今夜はピザがある。
それだけで、彼女にとっては十分すぎるほど幸せな夜だった。




