木枯らしステラバイク
木枯らしが、都市上空の気流を白く裂いていた。
軌道都市の端でペダルを踏み込むたび、胸の奥がひどく痛む。
君が消えた日から、ずっとだ。
真空に似た静寂が降りるエアダクトの隙間で、君はふいに笑って、そして忽然と姿を消した。
「ちょっと、行ってくるよ」
その言葉は、旅立ちの合図じゃなくて、別離の宣告だったんだと気づいたのは、ずいぶん時間が経ってからだ。
君が残したのは、古ぼけたトランクひとつ。
開けても底が見えない、不思議な空間を抱えた旅支度。
その中には、星図の切れ端と、君の体温みたいに微かにあたたかい紙片が一枚『きみの行きたいところへ』とだけ書かれた文字。
無責任にも見えるその言葉に、僕は何度も救われ、何度も傷ついた。
ステラバイクのホイールが磁気レールを噛み、夜空へと跳ね上がる。
僕は君の座標を追うように、宙へ飛び込む。
記憶は、宇宙線に焼かれて少しずつ壊れていくらしい。
君の声の高さも、笑ったときの目の形も、指先のあたたかさも、輪郭が削れていく。
だけど。失った痛みは、どうしてこんなにも色鮮やかなんだろう。
風は木枯らしのように冷たく、けれど遠い星へ向かう者を後押しするみたいに、背中を押してくる。
君が向かったとされる惑星。
遺失記憶症の旅人だけが辿り着けるという噂の雪の惑星。
記憶がほどけるその場所で、君は何を見ているんだろう。
僕もそこに行けば、君を思い出せなくなるのかな。
それでも、会えるなら。そのとき僕は、また君に恋をする。
なぜなら君が最後に見せた笑顔は、確かに僕に向けられたものだったから。
たとえ記憶の全部が宇宙に散ったとしても、僕は、その瞬間だけは忘れない。
空へ吸い込まれるように漂う雪の粒は、まるで失われた記憶の欠片みたいだ。
氷の大地の端に、トランクを抱えた男が立っていた。風に黒髪が揺れ、肩ごしに振り返る。
胸の奥が、痛みに近い光で満ちる。
「会いに来るなんて、思ってなかったよ」
君は少し驚いたように笑い、雪片をはらう。
記憶の中の君とは、どこか違う。
でも、確かに君だった。
僕は息を吸い込む。
宇宙の匂いと、木枯らしと、君の声と。
「もう一度、君を追いかけさせてくれないか」
雪の惑星で、君はまた少し照れたように笑った。
それは初めて出会ったときの笑みとも、別れた日の笑みとも違う。
宇宙を旅した時間だけ、深く優しい光を宿していた。
トランクの留め金が静かに開く音がした。
そこからこぼれた星図は、新しい旅路を示していた。




