第48話:助かる水着の内側
「ひーくん!」
屋台を目の前にして、妃菜に声をかけられた。
少しだけ意を決したような──そんな重みのある声だった。
「なに? ──って、いきなり腕を引っ張んな」
「いいからついてきて」
半ば強制的に連れてこられたのは、橋脚の影。
「こっちに屋台はない……ぞ?」
「それくらいわかってるし!」
「そう? ならどうしてここに」
どうしてか分からないが、妃菜の目は少しだけ潤んでいた。
頬は朱色に染まり、うるさいと言わんばかりに睨んでくる。
「私の緊張を返して!」
「どういうことだよ! 詳しく教えてくれないと俺はわからな──」
話している途中で、喉の奥が張り付いたように声が出なくなった。思考が真っ白に塗りつぶされ、視線はただ、彼女が脱ぎ捨てたラッシュガードを追っていた。
中に着ていたのは、既視感のある大胆な水着。
眩しいほどの白。それは清楚な色のはずなのに、彼女が身に纏うと、こちらの理性を試すような毒に変わる。
胸元や腰回りで踊る控えめなフリルが、かえって生地の面積の少なさを強調していた。
健康的な肢体を彩るその意匠は、波打つたびに柔らかな曲線との境界線を曖昧にさせる。
「……変、かな?」
少しだけ恥ずかしそうに身体を縮める仕草が、ビキニの細い紐をいっそう危うく見せた。
鎖骨に光る汗を認識した途端、直視してはいけない。そう本能が警鐘を鳴らしているのに、白地と素肌のコントラストから視線を剥がすことができなかった。
「無言やめて……」
「ごめん。つい──」
見惚れてた。
なんて言いかけて、慌てて飲み込む。
バカ正直に言っても、引かれるだけだ。もっといい言葉を探せ、俺。
「何? 変なら変って言ったらいいじゃん」
モジモジと唇を尖らせ、拗ねたような眼差しが向けられる。
脳を直接浄化されそうだった。
思わず失神しそうになるが、意地でも平然を装う。
「前にも言ったろ。可愛い……トオモイマス」
「なんか嘘っぽい。ちゃんと目を見て言ってよ」
「なんの仕打ちプレイだよ! 俺は恥ずかしいんだよ。──そんなに意見が欲しいなら、まずは妃菜から言ったらどうだ?」
そうやって、やり過ごそう。
妃菜も俺と同じように、恥ずかしくて言えないはずだ。その隙に誤魔化して、屋台に逃げる。
我ながら完璧な作戦に、思わず笑みが零れた。
「むむ。ムカつく……私には無理だと思ってるんでしょ」
なぜかジト目を向けられる。
俺は笑ってたけど、別に妃菜を笑いたかった訳では──
声に出さなければなんの意味もないのに、言い訳が胸の中に延々と湧き出す。
「いつも服着てたから忘れてたけど、腹筋割れてて凄い。せっかくかっこいいのに、髪を切らないからダサく見える。勿体ないから切ってほしい」
自分が今海パンだけだという事を再認識させられた。日陰にいる事も相まって、肌をなぞるような寒気がした。
たしかに俺の見た目に対する意見だが、ディスってから願望を言う必要はあっただろうか。
しかし約束は約束だ。
「次は……俺の番だよな」
俺は拳を握りしめ、改めて妃菜の水着姿に目を向けた。
ラッシュガードを着ていた時は油断していたが、脱げば高校生には眩しすぎる光景が広がっていた。
恋春のと比べたせいで、視線の逃げ場のように扱ってしまっていたが、妃菜だけだと話が違う。
首の後ろで結ばれた、細い紐を解いてしまえば大惨事になりかねない。
「ひーくん……?」
「ごめん。つい──見惚れてた」
言ってしまった──。
ただ、これ以上考えていてもアウトな発想に至りかねないので、こうやって抑えられたのは、ある意味よかったのかもしれない。
それでも、『見惚れてた』はダメだった。
チラリと妃菜の顔色を伺うと、頬を真っ赤にしてそっぽを向いている。
(意見欲しいって言ったの、妃菜なんだけどな……?)
抗議するように言いかけて、口を噤む。
これ以上機嫌を損ねられると困るので、ニコッと笑う。
そして遠くに見える屋台の方へ足を進めながら言った。
「そろそろ屋台に行こうか。二人が腹を空かせて待ってると思うし」
「そう、だね……だったら最後に──」
後ろから聞こえていた声が途切れる。
間を空けずして、背中に柔らかい感触が伝わった。
海パンを履いているだけで、それ以外は着ていない事もあり、心臓が飛び起きるようにして跳ねた。
たった一瞬の出来事。それなのに永遠のように長い。それでも温かみのある人肌が離れるのが少しだけ寂しく思う。
彼女の吐息がうなじをかすめ、同時に背中に感じていた体温がなくなる。
「行こっか」
悪戯が成功した子供のように、あるいはすべてを透かしている聖女のように。
妃菜は一度も振り返ることなく、陽光の下へと駆け出していく。
取り残された俺の背中には、まだ彼女の熱が、呪いのようにこびりついていた。
胸に手を当てると、いつもより早い振動が伝わってきた。耳の奥ではドクドクと脈が波打ち、その音が周りに漏れていないかと心配になるくらいだ。
「……うるせえ」
ため息交じりに呟くと、ようやく足を進める勇気が出た。
──しばらくは妃菜の顔を見れそうにないな。そう理解して、砂浜を眺める。
俺よりも小さい足跡がそこには残っていた。
★お知らせ
新連載
『退学寸前の最下位ギャルと同棲することになった〜成績1位の俺が毎月救っていたら、いつの間にか重い女になってた〜』
URL▶︎https://ncode.syosetu.com/n2466lu/
退学寸前のギャルと同棲したら、ヤンデレ化してしまった話です。
ラブコメ×頭脳戦×ざまぁと、絶対に面白いです!
読んでくださると嬉しいです!




