第42話:女子の部屋2
どうしてこうなった──
その思いが、漫画のページをめくるごとに押し寄せてくる。
俺は家に帰ったらゆっくり読めるので、恋春に「先に読んでもいいよ」と言ったものの、隣から聞こえてくる楽しそうな声につられてしまった。
初めて読むときの、あの感覚を楽しむために堪える。
しかし、チラチラと覗き見るように漫画の絵を眺めてしまった。
「一緒に読もうよ」
服をくいっと引っ張り、甘えるような上目遣いを向けてくる。
その行動に少しだけドキリとしつつも、必死に平然を装う。
「いい、のか?」
「もちろん! ほら、寄って寄って」
肩が触れるくらいの距離感で、普通の男子高校生が耐えられるはずがなかった。
クラクラしてしまうほどの甘くていい香りが、恋春が身動きを取る度に漂う。
同時に、服越しに感じる柔らかい感触がクセになった。
「主人公かっこいいー!」
隣で楽しそうな声が聞こえるが、それどころではなかった。
とにかく、永遠と頭の中に湧き出てくる邪念をはらうので、精一杯だったのだ。
「そ、そうだな。はは……」
「……ひーくん元気ない?」
気を紛らわせながら返事をしたせいか、視界いっぱいに恋春の心配そうな表情が映った。
彼女の手のひらが俺の額に触れる。
ひんやりとした、小さな手だった。
「うーん、熱は……ない、よね?」
自分の額と交互に触れ、確かめるように唸っている。
「ダメだ、わかんない」
だったらと、言わんばかりに、恋春は自分の前髪を上げた。
柔らかそうで、小さな顔だった。
そして、俺の額と彼女の額がくっつく。
今度は冷たいどころか、熱かった。
「なッ──」
思わず変な声が出てしまう。
それくらい、今日の恋春はいつもと少し──いや、全く違った。
「ごめんね。ジッとしてて」
言葉の通り、目と鼻の先には頬を赤らめた恋春がいる。
(絶対俺のこと好きでしょ)
普段保守的な俺でさえ、そう感じてしまう。
恋春が目を閉じて、ゆっくりと唇が近づいてきた。
目を閉じたはずなのに、ほんの一瞬だけ、俺の反応を確かめるように薄く開いた気がした。
そんなことお構いなしに、ゴクリと、生唾を飲み込む。
こんなシチュエーション、冬美とすら起きなかったことだった。
ここで目を閉じれば、再びあの、冬美と過ごした時間をまた──
「ダメだ」
考えるよりも先に、声が漏れていた。
俺の右手は、恋春の唇を塞ぐように置かれる。
この行動には自分でさえ驚いていた。
趣味が合うし、仕草が可愛い。それに、俺に好意を向けてくれている。
もしそれが勘違いだとしても、俺は嬉しかった。
冬美との一件以降、妃菜の様子がおかしい。
きっと気を使わせているのだろう。
だから、いち早く俺は幸せにならないといけない。それなのに……
「ごめん。俺、気になる人いるんだ」
「えっ、それって……いつも一緒にいる、妃菜ちゃんのこと?」
「…………違う」
「はい?」
それは恋春の愛くるしい顔から出るとは思えない、腑抜けた声だった。
「じゃあ誰だって言うの?」
「冬美だ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! どういうこと。浮気をされていたのに……まだ好きだっていうの?」
「……」
言葉に詰まる。
(好きかって言われたら……)
正直、未練は残りまくっている。
時間を巻き戻せるなら、もっと上手くやれたと思う。
しかし、彼女の行動には苛立つこともある。
俺の幼馴染と知りながら、妃菜に酷いことを言った。
その上、勝敗をうやむやにして、逃げている。
謝るまで、一生許すものか。
俺は、拳をギュッと握る。
「わからない」
「え?」
ぽかんと口を開けて、恋春は困惑していた。
これが、ついさっきまでイイ感じだった二人だと、誰も思わないだろう。
「はっきり言うよ。俺は冬美に依存している」
「そ、そう……」
恋春の視線が泳いでいた。
どうやら、引かれているのかもしれない。
「俺は冬美にはっきりと別れの言葉を告げていない。それなのに、浮気がバレたから『はい、さようなら』なんて、寂しすぎるよ」
恋春はハッと息を飲む。
そして、言いづらそうに呟いた。
「今日はごめんね。迷惑、だったよね……一人にしてほしい」
目元は濡れているのに、涙は頬を伝わなかった。
俺は恋春のアプローチを蔑ろにした。
その事実に、こめかみが痛くなるほど、歯を食いしばりながら恋春の家を出る。
ドアが閉まる直前、恋春の表情は見えなかった。
(何考えてんだよ、俺)
恋春と唇が近づいた時、少しだけ冬美との時間を、他の女で再現しようと思ってしまった。
「自分で決めたことも守れずに、ダセェな」
ついさっき、恋春の気に触れないようにと決意したにも関わらず、彼女の想いをズタボロに引き裂いた。
まったく軽い男だと、自分を殴りたくなる。
その日の帰り道は、やけにシンとしていて、帰っても漫画の続きを読む気にはなれなかった。




