第35話:大胆な水着
カーテンを閉めた瞬間、胸の奥で小さくガッツポーズをした。
(ひーくん、今ごろどんな顔してるかな)
試着室の狭い空間で、私は鏡の前に立つ。
選んだのは、派手すぎないけど少しだけ大人っぽい水着。
正直、サイズが合わなくなったのは本当だ。でも──それだけじゃない。
(見せたい、って思っちゃったのは……内緒)
鏡越しに、自分の表情を確認する。
ちょっと緊張してて、それでも楽しそうで……うん、悪くない。
外から衣擦れの音がする。
きっと、響が落ち着かないまま立ってるんだろう。
「菊池さんとも、こういう所に来たことあるのかな……」
さっき、一瞬だけ感じた空気。
名前を出していないのに、分かってしまった。
響の心の中に、まだ彼女がいること。
でも──
(だからって、譲るつもりはないよ)
私は深呼吸して、カーテンに手をかける。
ほんの少しだけ、意地悪な笑顔を作った。
(絶対に、可愛いって言わせる。「いいと思う」で終わらせたら、絶対に許さないんだから!)
もう一度鏡を眺める。
お化粧もしっかりして来たから、いつもよりも可愛いはず。
「どう?」
カーテンを開けると、予想通り。
響はポカンと口を開けて、そのまま言葉を失っていた。
ジッと見つめては目を逸らす──それの繰り返し。
「ひーくん?」
「ご、ごめん」
頬をかいて、気まずそうに口を開いた。
「い、いいと思う……」
(え?)
響なら絶対に言わないだろう、と思い込んでいたせいか、
高い所から落とされたような気分になる。
思わず響の目を見つめる。
その途端、胸の中をくすぐったい何かが満たされた。
響は顔を真っ赤にしていたのだ。
「ふふっ」
「なんだよ……」
「な〜んも! 次ね」
「まだあるの──」
もう一度、試着室の中にこもる。
どうしてか分からないけれど、緩んだ頬が一生元に戻る気がしない。
だらしない表情が鏡に映っている。
「次は〜、どうしよっかな〜っ」
カゴの中を漁るようにして着替える。
今回は大人っぽいのとは違って、フリルのついた水着。
回数を重ねるごとに、響の慌てる姿が見られるのが楽しくて、
つい揶揄ってしまう。
「ひーくん、これはこれは〜っ!」
「い、いいと思う……」
相変わらず言ってくれることは変わらないけど、
そのたびに嬉しくなっているのは、ここだけの話。
最後は──
今までとは比べ物にならないくらい、布地の面積が狭い水着。
(こんなの、下着と変わらないじゃない……!)
「ええい、思い切っちゃえー!」
サイズは私にピッタリだった。
それでも、見せるかどうかは少し躊躇してしまう。
大きく深呼吸をして、勇気を出す。
きっと響なら、どんな私でも褒めてくれるはず。
「ど、どうかな……?」
「それは──」
いつも通り、目を逸らされる。
でも、さっきまでの赤さはもう、どこにもない。
淡々と告げられる。
「ちょっと大胆すぎないか? でも──」
その先を聞く前に、勢いよくシャッと、カーテンを閉めた。
終わった──その言葉が、頭に浮かんで離れない。
虚無感に包まれたまま、
結局、何も買わずに買い物は終わった。
◇
「はあー……」
響に聞こえないくらいの、小さなため息をつく。
あんな姿……家族にだって、見せる気はなかったのに。
今さら、あの時は浮かれていたんだと理解する。
とてつもない羞恥心が、じわじわと込み上げてきた。
力のない足取りで、気づけば二人のマンションに着いていた。
何も言わず、響は鍵を開ける。
(もう、このデートも終わりか……)
こんなに寂しくなるなら、
無理してでも、あのあと楽しんでおけばよかった。
「妃菜──」
響が扉の奥に消える寸前、突然名前を呼ばれる。
私が振り向くより先に、彼は優しく笑って言った。
「大胆だったけど、可愛かったよ」
試着室みたいに、鏡はない。
それでも、今、自分がバカみたいな顔をしているのは分かる。
そのまま自室のベッドにダイブして、足をジタバタさせるまで──その熱は、まったく冷めなかった。
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