第32話:波乱の予感
終業式が終わって教室に戻ると、空気が一気に緩んだ。
ついさっきまで体育館で神妙な顔をしていたはずなのに、もう夏休みの話題で持ちきりだ。
「なあなあ、初日どこ行く?」
「部活だって言ってんだろ」
「えー、真面目すぎ!」
あちこちから笑い声が飛び交う。
椅子を揺らす音、机を叩く音、カバンを投げるように持つ音。
まるで、もう休みに入ったみたいだった。
「はいはい、そこまで」
教壇に立った担任が、手を叩いて注意を促す。
けれど、声色は柔らかい。
「浮かれるなとは言わない。夏休みだしな」
「やったー!」
「でも──」
一瞬だけ、教室が静かになる。
「羽目を外しすぎるな。事故、ケンカ、スマホのトラブル。そういうのはやめてくれ。俺の仕事が増えるからな」
説教というより、釘を刺すような言い方だった。
それでいて、不思議と嫌な感じはしない。
どこからか笑い声が聞こえてきた。
「二学期、全員そろって教室に戻ってくる。いいな?」
そう言って、少しだけ笑う。
「じゃあ、ホームルームは終わり。良い夏休みを」
その一言で、教室は再びざわめきに包まれた。
けれど、さっきまでの騒がしさとは、どこか違う。
『行きたい店あるんだけど、一緒に行く?』
担任が教室からいなくなるのを確認してから、妃菜にメッセージを送った。
シュバッと、一瞬で既読の文字がついた。
あまりの早さに、思わず妃菜の方を見てしまった。
それは、俺だけではなかった。
妃菜もこちらを見ていた。小さな笑みを浮かべている。
『行く!』
『わかった。10分後に公園集合な』
高校から公園まで距離はない。
校門から一緒に行くよりかは、人目を避けられるだろう。
◇
楽しみで、つい急いで来てしまった。
しかし、すでに妃菜がブランコをこいで待っていた。
「早いな」
「そう?楽しみだったからだよ〜」
同じことを思ってくれていたからか、胸の奥が熱い何かに包まれる。
「な、なんか熱いよな。早く行くか」
「そうだね〜!れっつごーッ!」
「テンション高いな」
「当たり前じゃん!ひーくんと久しぶりにどっか行くんだから!」
「確かにな……って、言っても2週間も経ってないぞ」
「それは私の基準では、久しぶりなんですぅー」
そう言って、不服そうに頬を膨らませる。
(柔らかそうなほっぺただな……)
考えて、すぐに頭を横に振った。
(何を考えてるんだ、俺!)
「ひーくん、どうかした?」
「あー、うー」
赤子のように母音を並べる。
口が裂けても、妃菜本人の前で頬が、柔らかそうだから見てました。なんて言えるわけない。
必死に言い訳を考える。
目の前に、賑わっている店が見えてきた。
(これだ──!)
「ひ、妃菜!あれが目的の店だ」
「あーッ!最近オープンした店じゃん!」
幸いにも妃菜も行きたがっていたようだ。
来てみて、嫌そうな顔をされたらどうしようかと思っていたが、心配なかったみたい。
「でもね、ひーくん……」
「ん?」
「ここは完全予約制なんだよォーッ!」
ショックのあまり、妃菜はわざとらしく涙を流すフリをし始めた。
「まあ、入ってみようよ」
「やだよ。悲しい現実を突きつけられるだけだし」
「まあまあ、一応?」
「そ、そこまで言うんだったら……」
チリンチリン──ドアを開けると、鈴の音が店内に響いた。
今話題の、レトロな雰囲気のカフェだ。
一番人気なのは、抹茶パフェ。
甘さが控えめなのが、いいところだ。
「いらっしゃいませ。予約はされていますか?」
「すいません。してま──」
「──2人で予約した、平野です」
俺がなんのリサーチもなく、誘うわけがないだろ。
自分も楽しみたいが、せっかくなら妃菜にも笑ってほしい。
だから、レビューは必ず読むことにしている。
「どうぞ。こちらへ」
「え?」
「ちょっと、どういうこと?」
店員に聞こえないくらいの、小さな声で耳打ちしてくる。
俺は何も口には出さず、にんまりと笑っておいた。
その瞬間、妃菜の表情が歪んだ。
多分、悪い意味で凄い顔をしていたんだと思う。
メニューを隅々まで吟味する。
(次、いつ来れるかわからないからな)
対して、妃菜は即断即決だった。
メニューを開いたと思えば、すぐに「これにする」と、目を輝かせていた。
「ちょっとお手洗いに行ってくるね」
注文を済ませると、妃菜はそそくさと席を立った。
俺は暇つぶしに──と、スマホを開いたのと同時に、妃菜が座っていたところに誰かが座る。
「相変わらず仲がいいね」
皮肉のようにも聞こえる、その声色は──
「冬美……」
(どうしていつも、妃菜がいなくなった瞬間に現れるんだ)
「そんなに睨まないでよ。私は謝りに来たの」
その言い方は、まるで最初から許される前提みたいだった。
表情を見るからに、謝る気は一切見当たらない。
波乱の予感がした。
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