第24話:殴りたい拳と、止めた手
(ああ、龍生……お前だったのか──)
軽く握られていた拳は、今では血管が浮かび上がり、プルプルと震えている。
少しでも気を抜けば、この衝動が理性を突き破りそう。
「ハハッ……黙り込んでどうした?悔しいか──そうなんだろ?」
「黙れ」
「嫌だね。俺はお前が苦しむ姿を見るのが、何よりも幸せなんだ」
「そうか──だったら俺は、お前が苦しむ姿が見てぇッ!」
一発だけ、痛い目見せてやろうと思った。
振りかぶった拳が、龍生目掛けて振り下ろされる。
「駄目──!」
龍生との間に、妃菜がわって入ってきた。
間一髪、俺の拳は妃菜の顔の前で止まる。
「邪魔だ。そこをどけよ」
「嫌だ!ひーくんは暴力で解決するような人じゃない!」
「何知ったような口を……どうせ、お前だって俺のことを笑って──」
勢いに身を任せて、口が裂けても言ってはならないことを言いかける。
ピクリと、目の下が歪んだ。
「ひーくんがあの事件から、人を信じられないのは知ってるよ?私はひーくんの味方だって、証明してあげる」
パチン──乾いた音が屋上に響く。
雨粒が遅れて地面を打つ。
「私が代わりにビンタしたよ。これでひーくんは納得してくれるよね?」
「……クソッ」
色んな感情が混ざりあって、何も言えないまま、その場から逃げてしまった。
(代わりにって何だよ……!)
龍生がぶたれ、驚きを隠せない表情に、喜んでいる自分がいた。
それが腹立たしく、頭がカッと熱くなった。
「待ってよ!ひーくん!」
無様に逃げる俺の手を、掴まれ、そのまま空き教室に引かれた。
「妃菜……ッ」
鏡で見てないが、今、自分がすごく情けない顔をしてるのがわかる。
「ごめん。さっきは俺のせいで──」
言い切る前に、口を塞がれた。暖かく、小さな手のひらで。
ふわっと鼻の近くで甘い香りが舞う。
「謝らないで。あれは私が選んでやったことだから」
「でも……」
「それにね、聞こえちゃったんだ……」
ギュッと口を噤む。"何を"──そんなの、聞かなくてもわかってしまう。
「アイツ、ひーくんから青春も、彼女も全て奪った。そんなの許せるわけがないじゃんッ!」
「それでも、妃菜がビンタする必要なんてなかった」
「……ひーくんが壊れそうになっても、私だけは離れな──」
話を遮るように、教室の外で物音と、数人の声が聞こえた。
「ひーくん、こっち」
なんとしてでも二人でいるところを見られるわけにはいかない。
だから、正常な判断ができなかった。
まさか窮屈な掃除用ロッカーに、妃菜と入ることになるなんて──そんなの想像つくはずがない。
「や、ヤバいって……」
「静かに」
妃菜は俺の顔を抱くように、胸に押し付けた。
うるさくしたのは俺の注意不足だが、ここまで体を張る必要は……
ドッドッドッと忙しない心音が耳元で鳴り続ける。
(うッ……息が……)
思った以上に距離が近く、息の仕方を忘れそうになる。
必死に呼吸を整えた。自ずと吐息が、妃菜にかかる。
「ちょっと、ひーくん!?」
俺の頭を抑えていた手が少し緩む。
顔を上げると、ロッカーの隙間から入りこんだ光が、真っ赤に染った彼女の表情を照らした。
「ごめん……悪気はないんだ」
「わかってる。私の自業自得だし。でも……」
妃菜は一拍おく。
両手で顔を覆って、震える声で続けた。
「恥ずかしいから……今は顔を見ないでほしい、です……」
「わ、わかった!」
反射にも近しい勢いで目を逸らした。
「チッ……なんで俺たちが、机を運ばないといけないんだよ」
「ほんとそれな。面倒事を生徒に押し付けやがって」
教室の外では十人に満たない数の生徒が、机や椅子を運んでは並べている。
そんな彼らの中に、一人、見覚えのある生徒がいた。
「ふゆに言われなかったら、やってなかったぞ──こんなの。感謝しろよな」
ラグビー部を連想させる、鍛え上げられた肉体。
うん、間違いない。
冬美の教室に行った時に、俺のことを軽々と持ち上げた生徒だった。
(アイツにバレたら、冬美にもバレるじゃんか)
なんとしてでも、このことが見つからないようにしたい。
しかし、ここは人一人だけでも狭苦しいロッカーだ。しかも二人。
妃菜に密着しないようにと、踏ん張っていると少しずつ体制がキツくなってきた。
「ひーくん。ギュッてして?」
「は?」
どうやら頭がおかしくなったらしい。お風呂から出た後のような──茹でダコのような頬だ。
「無理しなくていいよ」
「そんなんじゃないもん。早く、ね?」
腕を優しく開き、つぶらな瞳をこちらに向けてくる。
あざとさすら感じられる。
それでも俺は欲に勝てなかった──
「わ……ッ」
包み込むように妃菜の背中に手を回す。
一瞬、肩を大きく揺らしたが、すぐに受け入れてくれた。
腰辺りに優しく触れる彼女の手が、少しくすぐったく、心地が良かった。
怒りが消えたわけじゃない。
それでも、龍生にぐちゃぐちゃにされた心の中が、自然と凪ぐ。
(ダメなのに……クセになる……)
ほっぺたが焼けるように熱い。妃菜の存在が近すぎて、思考がうまくまとまらなくなる。
それでも離れることができず、教室から生徒たちがいなくなった後も、予鈴が鳴るまでそのままでいた。
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