ゲームスタート
「――先生――村先生――稲村先生!」
「……ん……あ」
頭がぼーっとする。
将人はゆっくりと瞼を持ち上げた。
「……新島、先生?」
目を開けると、新島先生の顔があった。
事態がのみ込めない。
どうして新島先生が……?
それに……仰向けになっているのか? 横になった記憶はないが……。
何が何やら分からなかったが、ずっと横になっているわけにもいかない。
将人はゆっくりと上半身を起こし、辺りの様子を窺った。
「ここは……」
どうやら学校の教室のようだった。しかも見覚えがある。絹白学園の教室だ。
窓を見れば、外は真っ暗だった。
今は夜。
その事実を受け入れるのに、将人は少しの時間を要した。
月の光が差し込み、教室を淡く照らしている。
なぜ教室に? それに夜だって? 確かさっきまで理事長室にいたはずだが……。
「やっとお目覚めか」
教室には、新島先生の他にもう一人、先生がいた。
勝ち気そうな目に、生徒の手本となる教師だとは思えないような赤く染めた髪。歳は将人よりも少し上で二十代後半くらい。将人と同じく二年生のクラス担任をしている――。
「東城先生……」
東城遥先生――担任クラスは二年四組だ。
「何だ、その腑抜けた面は。まだ寝ぼけてるのか?」
東城先生は有名女優に匹敵するほどの美貌を持っているが、いかんせん口調が乱暴で、どこか近寄りがたい雰囲気があった。
将人と彼女は、これまで廊下で何度かすれ違ったときに挨拶を交わした程度の間柄だった。
いや、交わしたというか、将人が一方的に挨拶するだけで、東城先生が挨拶を返してくれたことは、ただの一度もないのだが……。
そんなことを考えながら東城先生を見ていると、
「おい、あたしの話を無視するとはいい度胸だな」
東城先生が指をぽきぽきと鳴らす。
将人は慌てて答える。
「ね、寝ぼけてません。ただ頭の整理が追いつかなくて……。今の状況って、何がどうなってるんですか。ここ、教室ですよね、絹白学園の。しかも夜。訳が分からないんですけど」
近くにいた新島先生に目をやれば、彼女はぶんぶんと首を横に振った。どうやら彼女も何が起こっているのかよく分かっていないようだ。
「それはこれから説明する。あんまり時間をかけてる余裕はないけどな。なにせ時間が経てば経つほど、あたしたちが死ぬ確率が上がっちまう」
……聞き間違いだろうか。
「死ぬ確率って言いました?」
「ああ、そうだ。まず初めに言っておくが、あたしたちはこれから人を殺さなきゃならない。しかも、二年生の生徒をな」
「……せ、生徒を殺す? な、何を言ってるんですか?」
隣にいた新島先生が言った。異形の化け物を見るような顔で東城先生を見ている。
「いいから黙って聞け」
新島先生の問いを、東城先生は一蹴する。
「あたしの話はマジのマジだ。あたしたちはこれから学校中を歩き回って、生徒を殺さないといけねえ。生徒は全部で六人。各クラス一人ずつの選出だ。期限は明日――いや、今がもう深夜零時を回ったところだから、今日だな。今日の朝六時だ。それまでに六人全員を殺さないと、あたしたちの首にあるこいつが爆発する」
東城先生は、自分の首に巻かれた銀色の首輪のようなものを親指で示した。
将人も釣られて自分の首に手をやった。
冷たい感触があって、思わず手を引っ込める。
再びゆっくりと触れてみた。軽いプラスチックの首輪のようなものが、確かに首に巻かれていた。
「な、何ですか、これ!?」
新島先生も気づいていなかったのか、自らの首輪に触れながら動揺した声を上げる。
「と、取れない!」
引っ張って外そうとする新島先生に、東城先生が淡々と告げる。
「無理やり外そうとするのはやめときな。外れないように頑丈に作られてるが、万が一ってこともある。外れたら、その時点でドカンッ。即死確定だ」
「ひぃ!」
新島先生が慌てて首輪から手を放す。
「じゃ、じゃあ、どうしたらいいんですか?」
「首輪を外すには、今学校にいる六人の生徒を殺す必要がある。六人全員を殺した時点で、この首輪のロックは解除される。あたしたちの首は明日の六時以降も繋がっていられるってわけだ」
「う、嘘です! そ、そんなの嘘に決まってます!」
新島先生は、信じたくない、とでも言うように首を横に振っている。
「――お前はどう思う?」
東城先生が目を向けてくる。
将人も新島先生と同じ気持ちだった。
いきなり生徒を殺せ、首輪が爆破する、などと言われて、誰が「はいそうですか」と信じられるだろうか。
けれど――。
将人は東城先生の顔を見やる。
彼女が冗談を言っているようには見えなかった。
「……東城先生の話が本当だという証拠はあるんですか?」
だから、将人はそう尋ねた。
どうやら東城先生は将人の答えを気に入ったらしく、にやりと笑って、
「証拠か。校舎を歩き回ってたら、いずれ生徒たちが襲ってくるだろうさ」
「……生徒たちが、襲ってくる?」
「ああ。あっちだって、あたしたちに殺されまいと必死さ。それに、あっちもあたしたちと同じ首輪を着けてる。教師四人を朝六時までに全員殺さないと爆破する首輪がな」
どうやらその六人の生徒も、将人たちと似たような首輪をしているらしい。……あくまでも東城先生の言っていることが本当なら、の話だが。
それにしても――、
「教師四人、ですか? ここには三人しかいませんよね」
「もう一人は、鏑谷の野郎だ。どうやらあたしたち四人の中で最初に目が覚めたらしい。あたしを起こしてお前らに事情を説明するように言って、さっさと出ていきやがった」
東城先生は舌打ちして、
「あたしに面倒事、押し付けやがって。あとで会ったら、ただじゃおかねえ」
鏑谷剛毅先生は二年五組の担任で、新任の頃から十年近く絹白学園に勤めている男性教師である。絹白学園の教師はなぜか勤務年数が短い教師が多く、十年近く勤めている教師ともなれば、古参の部類に入るほどである。
東城先生は、確か教師になって三年ほどのはず。本人の前じゃないとはいえ、仕事の先輩である鏑谷先生のことを「野郎」呼ばわりするとは、肝が据わっている。
「どうして教師は四人なんですか? 生徒は六人なんですよね」
将人は疑問に思ったので訊いてみた。
「大の大人と高校生が同じ数じゃ、高校生が明らかに不利になっちまうだろ。大人一人で高校生一・五人換算ってことなんだろう」
なるほど。人数が違っている理由は分かった。
将人はごくりと唾をのむ。鏑谷先生が先にこの教室を出ていったと聞いてから、気になっていることがあった。意を決して口を開く。
「……鏑谷先生は、生徒たちを殺しに行ったってことですか?」
「ああ、そうだ」
即答だった。躊躇いは一切感じられなかった。
東城先生は続けて言う。
「生徒を殺しに行く前に、まずは武器を調達してるだろうがな」
「武器、ですか?」
「素手で殺し合うわけじゃないからな」
生徒側の人数が多いといっても、体格の大きな教師側に分がある。それで武器で戦うということか。
東城先生が唐突に訊いてくる。
「やってきて一か月。さすがにこの学校の校舎の形は覚えてるよな?」
「ええ。それくらいなら」
衣笠学園の校舎は三階建てで、主に二つの建物から成る。
一つが、生徒たちの教室がある教室棟。
そしてもう一つが、音楽室や家庭科室などがある実習棟である。
その二つの建物を繋ぐようにして、各階には渡り廊下が設置されている。空から見下ろせば、ちょうどコの字型になる。
それ以外にも体育館やプールなどがあるが、一度校舎の外に出る必要がある。
「あたしたちが今いるのが、二年六組の教室。ちょうど渡り廊下からは一番遠い位置だな。教室棟と実習棟、それに渡り廊下。そのどこかに、いくつかアイテムボックスが置かれている。その中には武器が入っていて、あたしたちはそれを使って生徒たちと殺し合うってわけだ。当然、生徒たちも武器を狙ってる。一つのアイテムボックスには、一つの武器が入ってる。武器の数は十分に用意されてるが、善し悪しがあるからな。いい武器は早い者勝ちだ。鏑谷は熟練者だからな。お気に入りの武器を手に入れるために、一足先に教室を出て行きたかったんだろう」
「アイテムボックスって……まるでゲームの世界ですね」
「ゲームだからな。生徒と教師の生き残りを賭けた殺し合い――いわゆるデスゲームってやつだ」
「デスゲーム……」
現実味は全くない。けれど、だからこそ薄気味悪くもあった。
「特別に、『師徒ゲーム』って呼ぶこともあるな」
「師徒ゲーム?」
「教師の師と、生徒の徒。教師と生徒のデスゲームだから師徒ゲームってわけだ。考えた奴の正気を疑うぜ」
師徒ゲーム……。
「か、稲村先生。まさか、東城先生の話を信じてる、なんてことはないですよね? だ、だって教師と生徒の殺し合いですよ。そ、そんなのあるわけないじゃないですか。冗談ですよ、冗談。きっと東城先生は私たちをからかってるんです」
新島先生は己にも言い聞かせるような口調で言った。
「それは……」
新島先生がそう思いたくなる気持ちも分かる。
教師と生徒が殺し合うデスゲーム。そんな異質で狂ったゲームに巻き込まれたなんて、未だに信じたくはない。
だけど、意識を奪って将人の体を深夜の教室に運び込み、気持ちの悪い首輪を巻きつける――果たしておふざけでそこまでするだろうか。下手をしたら警察に訴えられてもおかしくないことをしているではないか……そうか!
そこまで考えたところで、将人は一つの妙案を思いついた。
「そうだ。警察に通報すればいいじゃないですか」
「どうやってだ?」
「どうやってって、そりゃ携帯で……あれ、ない!?」
「わ、私もありません!」
スカートのポケットを探っていた新島先生も、驚きの声を上げた。
「没収されたに決まってるだろ」
「没収って……誰にですか?」
「理事長だ」
「理事長? どうしてそこで理事長の名前が出てくるんですか?」
「はあ?」
お前何言ってんの、とでも言いたげに東城先生が眉根を寄せる。
「ここで目ぇ覚ます前のこと思い出してみろ」
目を覚ます前……理事長室に呼び出されて、ゲームをしている理事長と話をして、なぜか突然眠くなって――理事長が、ごついマスクを着けていて……まさか!
「思い出したみたいだな。そうさ。理事長がこのデスゲームを仕組んだ張本人。理事長室にあたしたちを順に呼び出したのも、催眠ガスで眠らせて、こうしてデスゲームに参加させるためだったってわけだ」
理事長が「死ね死ね死ね――」と言いながら、理事長室でゲームに熱中していたのを思い出す。
あの理事長なら、デスゲームなどという狂ったことを実行してもおかしくないかもしれない。
「理事長は、なぜデスゲームなんて、恐ろしいことを?」
「さあな。理由までは分からねえ。自分の学校の教師と生徒に殺し合いをさせようと考えるくらいだ。理事長が狂人なのは間違いねえだろうがな。今も監視カメラであたしたちの様子を見て、ほくそ笑んでいるんだろうさ。狂人らしくな」
「か、監視カメラ!?」
新島先生が慌てた様子で教室を見回している。
釣られて将人もぐるっと教室を見てみたが、それらしいものは見当たらない。
「そんな簡単に見つかるわけねえだろ。監視カメラが教室に設置されてるなんて、もし生徒に知られたら一大事だからな。超小型のやつを見つかりにくい場所に設置してるんだろう」
「……さっきから思ってたんですけど、東城先生はどうしてそんなに色々と知ってるんですか?」
「このデスゲームに参加するのが初めてじゃないからに決まってるだろ。今回ので参加は五回目だな」
「五回目!? そんなにたくさん!?」
「別に驚くようなことじゃねえ。鏑谷の野郎なんか、もう二十回以上は参加してるだろうからな。そもそもデスゲーム自体が三ヶ月に一回ある。あたしは今年で勤務三年目――年四回参加するチャンスがあったと考えれば、五回は妥当な数字と言える。クラス担任六人のうち、一回のデスゲームでランダムに四人が選ばれることを考えれば、確率的には少ないくらいだ」
「年四回もデスゲームが行われているなんて……」
「正確には毎月――年十二回だけどな。四月、七月、十月、一月が三年生。五月、八月、十一月、二月が二年生。そして六月、九月、十二月、三月が一年生。今は五月だから、あたしたち二年の番ってわけだ」
どうやら絹白学園では、月に一度もデスゲームが行われているらしい。
東城先生は教室の時計にちらりと目をやった。時刻は零時十分を指していた。
「いつまでもこの部屋でぐずぐずしていられねえ。さっさとアイテムボックスを探さないと、強い武器がなくなっちまう。――何してる、早く行くぞ」
教室の扉を開けて廊下に出ようとしていた東城先生が、振り返って言う。
「わ、私は行きません! こ、殺し合いなんて、馬鹿げてますよ!」
「そうか。そうしたいなら、そうしな。生徒に殺される瞬間になって、いくら後悔しても遅いけどな。――そっちのお前はどうする? ついてくるか?」
東城先生が将人のほうへと目を向ける。
「……行きます」
どうするか迷ったが、ついていくことにした。
「新島先生も行きませんか? このまま教室でじっとしているわけにもいきませんし。それに、本当に二年の生徒たちが今校舎にいるのなら、放っておくわけにもいかないでしょう?」
「そ、それは、そうかもしれませんけど……」
新島先生は悩んでいるようだったが、
「……わ、分かりました」
将人たち三人は、二年六組の教室を後にした。