妹のような
四限目が終わり、昼休みになった。
将人は職員室の自席でコンビニ弁当を食べ終えると、席を立った。担任をしている二年三組の生徒たちの様子を見にいこうと思ったのである。
教師になったばかりの将人に、クラス担任を任せるなんて――と、赴任した当時は驚いたものだったが、どうやらこの私立絹白学園では割と普通のことらしい。現に、他の新任教師である新島先生も二年六組を受け持っている。ちなみに、絹白学園は一学年に六クラスある。
赴任から一か月経ち、五月下旬ともなれば、だいぶ担任の仕事にも慣れてきた。新任教師は生徒たちからナメられ、言うことを聞いてもらえないというイメージを勝手に持っていた。けれど、そんなことは全くなかった。むしろ生徒たちは、将人がクラスに馴染めるように歓迎会をしてくれたり、将人が忙しそうにしていたら手伝いを申し出てくれたりした。
二年三組の生徒たちは、いい子ばかり。
それが今の将人の考えであった。
二年三組のクラスに向かって廊下を歩いていると、二年一組の教室から、見知った顔の生徒が出てきた。
「あ、将ちゃん」
将人のことをそう呼ぶ彼女は、二年一組の生徒――白川唯菜だ。艶やかな黒髪を揺らしながら駆け寄ってくる。
唯菜と将人は家が隣で、幼い頃から互いの家で遊ぶなどの付き合いがあった。歳は将人が六つも上なので、幼馴染というよりも、歳の離れた兄妹といったほうが近い関係である。
「唯菜。学校で『将ちゃん』はやめろ。稲村先生だ」
「ごめんなさ~い、将ちゃん」
……どうやら呼び方を変えるつもりはないらしい。
将人は胸の内でため息をつく。
「将ちゃんは、これからクラスに行くの?」
「ああ。ちょっと様子でも見にいこうかと思ってな。何か問題が起きていたら大変だろ」
女子高だし、クラスメイト同士が喧嘩で殴り合い、なんてことはないと思うが、ちょっとした言い争いくらいなら起きてもおかしくないだろう。口喧嘩とか。
赴任して一か月。今のところ、目立った問題どころか、小さな問題すら起きていないが、将人が見逃しているだけかもしれない。特に生徒間のいじめは、教師が見落とすケースも多いと聞く。
それに今までなかったからと言って、これからも問題が起きないとは限らない。初めての教師生活だけに、クラスのことをどうしても放っておけないのだ。
けれど、唯菜はそうは考えていないようで、
「問題? 担任が将ちゃんだし、そんなこと、まずないと思うけど……」
彼女は小首を傾げて、そう言った。
唯菜の言い方だと、まるで将人が担任だから生徒たちは問題を起こさない、と言っているように聞こえる。将人が強面でムキムキの教師なら、生徒たちが将人を恐れて問題を起こさないのも分かるが、将人は幼い頃から中世的な顔つきをしていると言われてきたし、筋肉も大したことはない。女子生徒から恐れられるような見た目はしていないつもりだった。
「俺が担任なのが、関係あるのか?」
将人の問いかけに唯菜は一瞬目を逸らしたが、すぐに将人のほうを見て笑い、
「ううん。何となく言ってみただけ。えへへ」
唯菜がごまかしているのは明らかだったが、無理に聞き出すこともないだろう。
将人は話を切り上げることにした。
「そうか。じゃあまたな」
「……うん。またね」
そう言う唯菜の笑顔は、どこか寂しげに見えた。
もう少し彼女と話をしていこうか迷ったが、クラスのことがやはり気になったので、将人は気づかなかった振りをして、二年三組の教室へと向かった。
もしこのとき唯菜とちゃんと話をしていたら、あの恐ろしき「ゲーム」の結末は違ったものになっていたかもしれない。
……いや、それは将人の単なる願望だ。
あの結末は、おそらく何も変わらなかった――変えられなかった。
この絹白学園に赴任したときから、悪夢の巨石はすでに僕らの頭上に掲げられていたのだ。