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最後の一人

 唯菜とともに一年二組の教室にいた将人は、固唾をのんで扉のほうを見つめていた。

 前の扉が、がらがらと音を立てて開いた。

 扉の向こうから姿を見せたのは――、

「おう、話は終わったか」

 東城先生だった。扉に片手をついて立ち、不敵に笑っている。

 隣にいた唯菜が小さく息をのむ。

「……かえで――常夏さんは……」

「死んだに決まってるだろ。あたしが殺した。以前盗み聞きした情報を、上手く使ってやったら、あっけなく戦う気をなくしちまったぜ、あいつ」

「そう、ですか……」

 唯菜は目を伏せただけで、それ以上は何も訊かなかった。

「次は白川――お前で最後だ」

 東城先生は銃口を唯菜へと向けた。

「ま、待ってください!」

 将人は射線に体を入れて、唯菜が撃たれないようにした。

「なんだ稲村、まだ話し足りねえのか」

「い、いえ、話し足りないと言うか……」

 将人はこのとき、ひょっとすると自分は常夏が勝つことを望んでいたのかもしれない、と思った。そうすれば、常夏に撃たれて死ぬという結末しか、将人には残されていなかった。将人は何も選択する必要がなく、己の死を受け入れるだけでよかった。

 だけど東城先生が勝った今は、将人には選択の余地があった。

 一つは、このまま引き下がって、唯菜が殺されるのを受け入れるという選択。

 もう一つは、東城先生に立ち向かって、唯菜を救うという選択だ。この場合、自ずと将人は自分の生を諦めることになる。

「お、俺は――」

 一体どちらを選ぶべきなのか。

 これまでの人生を振り返ると、大切なことはいつも先延ばしにしてきた気がする。

 唯菜に気持ちを伝えることもそうだし、就職活動もそうだった。会社員として働くのか、公務員を目指すべきか、あるいは――などと悩んでいるうちに時期を逃して、最終的に大学で念のためにと取っていた教員免許に救われて、何とか就職浪人を免れた。

 絹白学園の教員に採用されたと母に電話で伝えたときは、「有名なお嬢様学校じゃない。よく受かったわね」と言われた。就職先がなかなか決まらない将人に、母もやきもきしていたのかもしれない。

 なぜ自分が受かったのか、将人も不思議でしょうがなかったが、採用されたからには精一杯働こうと思っていた。

 そんな矢先、こうしてデスゲームに参加することになったわけだ。

 あらゆることの決断を先延ばしにしてきたから、罰が当たったのかもしれない。

 いや、その考えは他の教師や生徒たちに失礼だろう。一か月という短い期間ではあったけれど、将人が見てきた生徒たちは皆、高校生とは思えないほどしっかりしていたし、教師たちも癖の強い人が多かったけれど、新任教師である将人に何かと親切にしてくれていたように思う。

「将ちゃん。もういいよ」

 その声に、将人はハッとした。

 ゆっくりと後ろを振り返る。

「唯菜……」

 唯菜は穏やかな笑みを浮かべていた。

「将ちゃんが私のためにってしてくれるのは、すごく嬉しい。だけど将ちゃん、もう十分だよ。私は将ちゃんにたくさん守ってもらった。近所で野良犬に襲われたとき、将ちゃん、私を守ろうとして腕を噛まれたでしょ。当時は幼くて思い至らなかったけど、ひょっとしたら将ちゃん、あのとき狂犬病に罹って死んじゃってたかもしれないんだよ。――あとはほら、家族ぐるみでデパートに買い物に行ったとき、私が迷子になって、捜してくれたでしょ。将ちゃん、よっぽど慌ててたのか、私を捜し回ってる途中に階段から転げ落ちちゃって――」

 唯菜はくすりと笑った。

「ごめんね。笑ったらダメだよね。でも将ちゃんって、昔からどこかおっちょこちょいなところがあったから。将ちゃんが全身に青あざ作って、おもちゃ売り場にいた私のところにやってきたときは、本当に驚いたな。何があったのって」

 そう言えば、そんなこともあったな。

「将ちゃんには、もう十分すぎるくらいに守ってもらった。私ももう高校生。だから大丈夫だよ。これからは将ちゃん、自分自身のために生きて」

「そんなこと、言うなよ……」

 唯菜は首を横に振った。

「私はね、将ちゃん。ずっと思ってた。自分は何のために生きてるんだろうって。周りの子たちは将来の夢とか、やりたいこととか、すごく楽しそうに話すの。私、そういうのってなかったから。私って変なのかな、おかしいのかなって。――いつか中学の友達が言ってた。息をしていても、心臓が動いていても、それは生きてるって言わないんだって。何かを目標にして、精一杯頑張ることが、生きるってことなんだって。その言葉を聞いたとき、ああ、私ってこれまで生きてこなかったんだって気づかされたの。もちろん、色々な考えがあると思う。その子の言葉が絶対に正しいとは私も思わない。それでも、私はその友達の言葉に、頭をトンカチで叩かれたような衝撃を覚えたの」

 唯菜は寂しげに笑う。

「当時通っていた中高一貫校を出て、高校からは絹白学園に通うことにしたのは、そんな自分を変えたいと思ったから。だけど、上手くはいかなかった。相変わらず何がしたいのか、よく分からないままだった。そんなときだよ、将ちゃんが先生としてやってきたのは」

 唯菜は目を細める。

「ふとしたときに廊下ですれ違ったり、生徒たちに熱心に教えている姿を眺めたり――これまでとは違う将ちゃんが、そこにはいた。それで私、思ったの。私、この人のためなら頑張れるかなって。将ちゃんは昔から私のために色々としてくれた。これからは私が将ちゃんに恩返ししようって。それが私の生きる目標になったの」

 将人は間違っていたのかもしれない。

 守るべき存在として、唯菜を見ていた。彼女のことをずっと子ども扱いしてきた。

 けれど、唯菜は将人の知らないところで色々と悩み考えて、こんな立派に成長していたのだ。

 もはや唯菜は、将人の助けを必要としていないのかもしれない。

 将人に守ってもらうことを、唯菜は望んでいないのかもしれない。

 だけど、それでも――、

「唯菜を死なせはしない」

 今だけは、唯菜を守らせてほしい。

 これが最後だから。

 将人は両手を広げて、拳銃を構える東城先生と向かい合う。

「将ちゃん――」

「唯菜」

 唯菜の言葉を遮る。

「俺は、唯菜のことが――好きだ。この気持ちを伝えようか、ずっと迷ってた。唯菜との今の関係を壊したくなかったし、何より唯菜が俺のことを好きでもなんでもなかったらって考えると、気持ちを伝えるのが恐かったんだ。だから、今まで黙ってた。だけどさ、さっき唯菜が俺のためなら頑張れるって言ってくれて、気づいたんだ。俺も、唯菜のためだから色んなこと頑張れてたんだなって。――ここで気持ちを伝えなきゃ、俺、死んでも後悔するって思った。だから、好きって気持ちを伝えることにした」

 背を向けたままで告白するのは、少し卑怯だったかもしれない。

 けれど、そうでもしないと恥ずかしくて言えなかったんじゃないかって思う。

 唯菜からの返事を待つ時間が、とても長く感じられた。

 実際は、十秒も経っていなかっただろう。

「将ちゃん、ありがとう。私も……大好きだよ」

 もはや将人に迷いはなかった。

 東城先生と敵対して、唯菜を守る。

 唯菜をデスゲームから救うためには、将人自身も死ぬ必要がある。死ぬことはもちろん恐かった。だけど、唯菜が死んで自分だけが生きる未来を想像するのは、もっと恐かった。唯菜を失った苦しみに耐えられず、自分も死にたくなるに違いない。

 話を聞いていた東城先生が口笛を吹く。

「いいねえ。お涙頂戴の展開だ。気持ちを告白した二人の勇気を称して、一つチャンスをやろうじゃないか」

 そう言うと、東城先生は背中からもう一丁の拳銃を取り出した。ズボンの後ろのポケットにしまっていたのだろう。

 その拳銃を天井に向けて連射する。

 けたたましい銃声が教室に鳴り響いた。

「ほらよ」

 そして、元から持っていたほうの拳銃を、将人のほうへと放り投げてきた。

 拳銃は放物線を描いて、将人のもとへ。

 将人は咄嗟にその拳銃を両手でキャッチした。

「そいつには、残り一発、弾が残ってる」

 東城先生は先ほど天井に向けて発砲した拳銃を顔の横で持つと、

「こっちも同じく残り一発だ」

 彼女はそう言って、銃口を将人の額に向けた。

「ほら、稲村も構えろよ」

「きゅ、急に構えろって言われても、俺、拳銃なんて撃ったことありませんし――」

「トリガーを引くだけにしてある。さすがにトリガーの引き方くらいは分かるだろ」

「それは、分かると思いますけど……」

「だったらさっさとしろ。白川を殺されたいのか」

 東城先生が唯菜のほうを一瞥する。

「ま、待ってください。分かりました」

 将人は見よう見まねで拳銃を東城先生に向ける。

「なかなか様になってるじゃねえか」

 東城先生はにやりと笑う。

「これからあたしとお前で、ゲームをする」

「ゲーム、ですか」

「ああ。このまま理事長のクソ野郎の手のひらの上で踊らされるのもムカつくだろ。あたしが考えたゲームで、このデスゲームを上書きしてやろうってわけさ。最高にクールじゃねえか。――ルールは簡単だ。あたしとお前は合図と同時に発砲し、相手の眉間を狙う。ともに銃弾が狙い通りに命中すれば、あたしとお前は死亡。白川だけが生き残り、デスゲームの勝者となる。どうだ、お前が望む展開だろ?」

「……もし、どちらかが外した場合は――」

「あたしが外すのはあり得ねえよ。この距離で狙いを外すわけがない。あたしがどれだけデスゲームのために準備してきたと思ってるんだ」

 東城先生の言葉は真実だろう。春日井の死体は正確に眉間を撃ち抜かれていた。

「だから考えられる可能性は、稲村だけが外した場合だな。そのときは稲村だけが死に、あたしと白川が生き残る。その後は当然――分かるよな」

 東城先生が唯菜を殺してゲーム終了。生き残るのは東城先生というわけだ。

「稲村があたしを一発で仕留められるか――それに懸かってるってわけだ」

 拳銃を撃ったこともない将人に、一発で眉間を撃ち抜けだって?

 無謀にもほどがある。

「どうする稲村。ゲームの誘いを受けるのか、受けないのか。もし受けないって言うんなら、その瞬間、後ろにいる白川の命はないと思え」

「……受けます」

 誘いを断れば唯菜が殺されてしまう。受けるしかない。

「いい返事だ。それじゃあ合図は――白川、頼めるか」

 後ろを見ると、唯菜はこくりと頷いていた。唯菜も覚悟を決めたのかもしれない。

「受け取れ、空の薬莢だ」

 東城先生は床に転がっていた薬莢を一つ拾うと、指でピンとはじいた。

 唯菜が両手でキャッチする。

「薬莢が床に落ちる音が、発砲の合図だ」

 薬莢を手にした唯菜はその場で立ち上がると、左脚を引きずりながら移動する。公平を期すために、将人と東城先生から同じだけ離れた位置に移動しようとしているのだろう。狭い教室ではほとんど気にならないレベルとは言え、薬莢が落ちた場所から両者までの距離が違うと、音の到達時間も変わってくる。

「白川。そこでいい。あたしは気にしない」

 唯菜の足を気遣ったのか、単に移動時間がもったいないと考えたのかは分からない。

「稲村も構わないな? 薬莢はお前の近くに落ちるだろうから、お前にはメリットこそあれ、デメリットはないはずだ」

「はい。構いません」

 二人は拳銃を改めて構える。視線が交錯する。

「稲村。そんなんで当たると思ってんのか」

 将人は両手で拳銃を持ち、銃口を東城先生の眉間に向けようとしていたが、どうしても手が震えて、照準がブレてしまう。

「いいか稲村。拳銃ってのは、撃つもんじゃねえ。引くもんだ。ちょっと後ろに力を逃がすのがコツだ。そしたらいい感じに力が抜けて、狙い通りに弾が飛びやすい。肩ひじ張らずに引くといい」

 撃つんじゃなくて、引く――。

 固く握っていた拳銃から力を緩める。拳銃が少しだけ手に馴染んだ気がした。

 だけど、どうして東城先生は、敵である将人が有利になるようなことを教えるのだろうか。

「そんな顔するなって。あたしはただ、ゲームを面白くしたいだけだ。拳銃を一度も撃ってないお前とあたしじゃ、あまりにも差があり過ぎる。始めから勝敗が分かっちまうようなゲームは面白くねえだろ」

 撃ち合いをゲームと呼ぶ東城先生の感性には全く共感できなかったけれど、勝ち負けが明らかな勝負が面白くないという考えは理解できた。

 将人はふうと息を吐いて、照準を東城先生の眉間に合わせる。

 もう銃口は震えていなかった。

「いい面構えだ。それでこそ殺し甲斐があるってもんだ」

「お二人とも、準備はいいですか」

 唯菜の声に、将人たちは首肯した。

 視界の端で、唯菜が薬莢を空中に放り投げるのが見えた。

 将人は、照準を東城先生の眉間に合わせながら、その時を待った。

 ――カラン。

 薬莢の落ちる音が聞こえた直後、将人はトリガーを引いた。

 二つの発砲音が教室に響く。

 ドスンッと思っていたよりも重たい感覚が、握っていたグリップを通して伝わってきた。

 将人の撃った弾の行方は――、

 パリンッ。

 弾丸は東城先生に当たらず、明後日の方向に飛んでいって、廊下側の窓を割った。

「そん、な……」

 将人の胸に絶望が広がった。

 同時に、「あれ?」と疑問が湧き上がる。

「……俺、死んでない?」

 確かに発砲音は二つ聞こえた。東城先生も間違いなく撃ったはずだ。

 何が起こった? まさか東城先生が外したのか?

 東城先生が外したことへの驚きと、殺されなかったことへの安堵の気持ちがごちゃまぜになって、何とも言えない感情が押し寄せてくる。

「唯菜、俺――」

 生きてる、と言おうとした将人の目の前で、――東城先生が倒れた。

「――え?」

 なんで東城先生が倒れてる? 将人の撃った弾は外れたはずだ。

「東城、先生……?」

 彼女から返事はなかった。いつもなら、憎まれ口の一つでも叩いてくるはずなのに。

 それに立ち上がる気配もない。床に勢いよく倒れて、うつ伏せのままである。

 ……死んでる?

 そんなはずはないという思いを抱きながらも、倒れている東城先生のもとへと近づいた。

 ――生きてる。

 東城先生は呼吸をしていた。将人はほっと息を吐いた。

「東城先生、驚かせないでください。死んだふりなんて趣味が悪いですよ」

 将人はへらへらと笑った。

 ちっ、バレちまったか――いつもの彼女なら、そんな風に毒づいて立ち上がるだろう。

 けれど、いつまで経っても彼女はうつ伏せのままで、呼吸をしているだけだった。

「東城先生、東城先生――」

 将人は彼女の体を揺すった。

 このときも将人はへらへらと笑っていた。

 笑ってないと正気を保っていられない。将人のからだは勝手にそう判断していたのかもしれない。

「……将ちゃん……将ちゃん!」

 背後から唯菜に抱きつかれ、将人はようやく東城先生を揺するのをやめた。

「……ちくしょう……ちくしょう……」

 東城先生はもう、息をしていなかった。

 彼女の呼吸は、ずっと浅かった。そういう息の仕方を、将人は何度か見たことがあった。

 一度目は、小学三年生の頃。祖母が病院で息を引き取る直前。

 二度目は、小学六年生の頃。父が将人を守って交通事故に遭い、死ぬ直前。

 彼らは、浅く、今にも消えてしまいそうなリズムで息をしていた。

 東城先生の呼吸の仕方も、まさにそれだった。

 勘違いだと思いたかった。聞き間違いだと信じたかった。

 でも、――東城先生は、やっぱり死んだ。

 倒れたときにめくれたのか、彼女の着ていたシャツの下が――左のわき腹が見えていた。

 赤黒く染まっていた。また出血している。無理に体を動かして、傷口が開いたのだろう。

 東城先生は、ずっと無理をしていたのだ。

 彼女はこの教室の扉を開けて入ってきたとき、扉に片手をついていた。あれは単にかっこつけていたわけではなかった。何かを支えにしていないと立ていられないほどに弱っていたのだ。

 扉から手を離して、拳銃を構えてからも、彼女はその場から一歩も動かなかった。脚を動かす体力さえ残っていなかったのだ。彼女が体を動かしたのは、唯一落ちた薬莢を拾うときだけだ。そのとき彼女は、どれほどの力を振り絞って身をかがめていたのか――想像すると胸が痛んだ。

 そして――、

 将人は自分が先ほどまで立っていた場所の背後を振り返る。

 近づけば眼下に中庭が見えるであろう窓には、傷一つついていない。

 近くの机にも、弾痕はなかった。

 将人は彼女の握っていた拳銃を手に取った。薬室を見れば残っている弾の数が分かる小銃――いわゆる回転式拳銃というやつだ。ドラマなどで見たことがある。

 弾を入れる薬室を開けて、中を見た――弾は入っていない。

 それから彼女のそばに落ちていた空の薬莢をすべて拾い上げた――どの薬莢も冷めていて、熱いものは一つもなかった。

 東城先生の握っていた拳銃に、始めから弾は入っていなかったのだ。

 天井に向けて連射したあのとき、東城先生はすべての弾を撃ち尽くしていた。

 考えてみれば、東城先生が最後まで持っていた回転式拳銃は、常夏が所持していたもの。

 教室に入ってくる前に薬室を確認していたならともかく、そうでないなら、薬室を見ることなしに天井に連射していた東城先生に、残弾数が分かるはずもない。始めから弾を一発残すつもりなどなく、全弾撃つつもりだったに違いない。

 東城先生は、最初から将人を殺すつもりなどなかったのだ。

「でも、なんで……」

 理由が分からなかった。東城先生はあれほどデスゲームをクリアすると言っていたのに。

 将人とゲームなどしている暇があったら、さっさと唯菜を撃って、デスゲームを終わらせることもできたはずだ。そうすれば病院へ行き、一命をとりとめることもできたかもしれないのに。

「将ちゃんに、前向きに生きてほしかったんじゃないかな」

「唯菜。それってどういう……」

「たぶん、今から私が話すことを、東城先生は望んでいないと思う。だけど、話すね。やっぱり将ちゃんが知らないままっていうのは、東城先生が可哀想だと思うから」

「おい、唯菜。何言って――」

「私たちと二度目に会ったとき、東城先生はすでに死ぬ覚悟をしていたんだと思う。たぶん、その左のわき腹に怪我をしたときじゃないかな。東城先生が死を覚悟したのは」

 確かに、怪我をした東城先生はとても辛そうだった。

 一時間ほど休んで、回復したと言っていたが、あれはやせ我慢だったのだろう。

「傷が深いことを知った東城先生は、自らの死を覚悟した。病院に行っても助からないだろうって。だから、死ぬまでに自分ができることを考えた。この場合の『自分ができること』っていうのは、もちろんどうやったら教師側が勝てるのかってこと。言い換えれば、デスゲームで将ちゃんが生き残るためのお膳立てをどうするのかって話だね。――東城先生は本当にすごいなって思う。自分が死ぬって分かったら、私だったらその現実を受け入れられなくて、生きる方法はないのかって、そればっかり考えると思うから」

 将人も唯菜と同じように考えるだろう。生にしがみつこうと、必死に足掻くに違いない。

「それで、東城先生は悪役を演じることを思いついた」

「悪役?」

「私の脚を撃って、かえでを殺して、そして将ちゃんを殺して私を殺そうとする――そういう悪役だよ」

「それが、悪役……? 常夏さんを殺した理由はまだ分かる。彼女が今生きていたら、俺はあっけなく殺されて、教師側が負けていただろうし。だけど、唯菜の脚を撃ったのはどういう意味があったんだ?」

「東城先生はこの教室に入ってきたとき、私に拳銃を向けたでしょ。将ちゃんが私を守ろうと立ち塞がってくれて、それで東城先生からゲームの提案があった。もしあのとき私の脚が無事だったら、将ちゃんは私になんて言ってた?」

「……逃げろって、今すぐこの教室から逃げろって、そう言ってたと思う」

 唯菜は頷いた。

「そしたら東城先生は、逃げる私を撃つしかなかった。そんなことになったら将ちゃんが悲しむと思ったんじゃないかな、東城先生は。最悪、私を追って将ちゃんが自殺するかも――そんな風に考えたのかもしれないね。だから東城先生は私の脚を撃って、私が逃げられないようにしたんだよ」

「でも……それでも脚を撃つなんて、やりすぎだろ。逃げようとしたら撃つ、とでも言って、拳銃で脅せば済む話じゃないか」

 唯菜は首を横に振った。

「それだと確実とは言えないでしょ。私が忠告を聞かずに逃げ出す可能性もあった。だから東城先生は私が確実に逃げられなくなるように、脚を撃った。撃ったと言っても、致命傷は敢えて外してくれたんだと思う。血はほとんど出てないから」

 確かに、唯菜のふくらはぎの具合を見たとき、出血量は少なかった。

「……唯菜の脚を撃った理由は、一応納得した。だけど、そもそも東城先生はどうしてこんなに回りくどいことをして、俺や唯菜を生かしたんだ? さっき俺が前向きに生きるため、みたいなことを言ってたけど、あれはどういう意味なんだ? そもそも唯菜はどうして東城先生の考えていることが分かったんだ?」

 将人は壊れた拳銃みたいに、言葉を発砲し続けた。答える側のことを何一つ考えていない、矢継ぎ早な質問――まさしく無慈悲な発砲だった。

 だけど、そうでもしないと気持ちに整理がつかなかった。将人はさっきまで、東城先生を撃って殺すつもりだったのだ。結果的に弾は外れて東城先生には当たらなかったし、そもそも彼女は瀕死の状態で長くは生きられなった――そう、それは分かっている。頭では理解している。それでも、将人は東城先生を殺そうとした。その事実は消えはしない。

 罪悪感――陳腐で嫌気がさすけれど、敢えて今の感情を言葉で表現するなら、そういうことになるだろうか。

 将人が矢継ぎ早に質問をしても、唯菜は嫌な顔一つしなかった。

「東城先生が嘘をついているのか分かる――私が廊下でそう言ったのは覚えてる?」

 将人は頷いた。

 東城先生は嘘をつくときにまばたきの回数が少し増えるというアレだろう。そう言われても、将人には全く分からなかったが。

「この教室で将ちゃんと東城先生が話をしているとき、東城先生、私のほうに何度か視線を送ってきたの。たぶん私がちゃんとこっちを見ているのか、嘘を見抜けているのか、確認してたんだと思う」

「確認? 東城先生はなぜそんなことを?」

 唯菜はこのとき、一瞬目を伏せてから顔を上げた。その顔には、内なる感情を隠すように微笑が貼りついていた。

「将ちゃん、それ、ちょっと見せてくれる?」

 唯菜が指差したのは、将人が持っていた拳銃――ワルサーPPKだ。東城先生とのゲームで将人が発砲した拳銃である。

 どうしてこんなものを見たがるのか。

 不思議に思ったが、特に気に留めることもなく、将人は拳銃を手渡した。

 唯菜は拳銃を両手の上に乗せて、少ししてからグリップを右手で握った。

 そして――、

「……おい、何してるんだ」

 唯菜は己のこめかみに銃口を当てた。

「冗談はよせって。自殺の真似事なんて流行らねえぞ」

 自分の声が震えているのが分かった。

「だいたい、その拳銃はもう弾が残ってない。そんな風にして、俺が慌てると思ったなら大間違いだぞ」

 そう言いながらも、将人は嫌な予感がして堪らなかった。何か大切なことを見落としているのでは――そんな気持ちに駆られていた。

 そして、将人のその考えは、最悪なことに的中していたのだ。

「将ちゃん。ホールドオープンって知ってる?」

 将人は首を横に振る。拳銃には詳しくなかった。

「この拳銃――ワルサーPPKは、最後の一発を撃って残りの弾がゼロになると、ここの部分が後ろに下がった状態になるの。それがホールドオープン」

 唯菜は空いた左手で銃身を指差した。拳銃を右のこめかみに当てたままの格好で。

 唯菜の説明を聞いた将人は、戦慄した。

 唯菜の指差した部分は今、どう見ても後ろに下がっているようには見えなかったからだ。

 将人は目の前の現実を認めたくないという気持ちでいっぱいだった。

 だけど、唯菜は首を横に振って、将人に現実を突きつける。

「残り一発って言ってた東城先生の言葉は、嘘だったってこと。この拳銃にはまだ弾が残ってるの」

「そんな……そんなことって……」

「やめて! 近づかないで!」

 唯菜の声で将人は我に返った。将人は知らず知らずのうちに、唯菜の持つ拳銃に手を伸ばそうとしていた。

「お願い、将ちゃん。……それ以上こっちに来ないで」

「どう、して……」

 唯菜は首を横に振った。

「さっき将ちゃん、訊いてたよね。どうして東城先生が、私と将ちゃんの二人を、こうして最後に残したのかって。それはね、将ちゃんがこのデスゲームを終えて、私がいなくなっても、前を向いて生きていけるようにって――そう東城先生が気遣ってくれたからだよ。私と将ちゃんが、ちゃんと自分たちの意思でお別れできるように、時間をつくってくれたの」

 将人は首を横に振った。それ以上は聞きたくなかった。

 唯菜の話を聞いてしまったら――聞いてしまったら、唯菜は――。

「聞いて、将ちゃん。時間がないの」

 時計を見れば、五時五十五分を過ぎていた。タイムリミットまで五分を切っている。

「将ちゃん。今までありがとう。楽しかった。本当に……本当に楽しかったよ。夢も目標もなかった私に、将ちゃんは希望を与えてくれた。こんな私でも生きてていいんだって、そう思わせてくれた。将ちゃんに好きって言ってもらえて、両想いだったんだって分かって、嬉しかった。これからは、私の分も将ちゃんに生きてほしいって思ってる。それが私の最後の願いだよ」

「……唯菜が……唯菜が生きればいいじゃないか! 俺が死ぬ! 俺が死ぬよ! だから、唯菜が生きろよ!」

「ダメだよ……それはダメ。東城先生の思いを蔑ろにはできないよ。それに私は、将ちゃんがいないと、もう生きていけない――それが分かったの」

「そんなの、そんなの俺だって一緒だ! 唯菜がいないと生きていけない!」

「ううん、それは違うよ。将ちゃんはね、私が生きていなくても、生きていける。大丈夫。将ちゃんは自分が思っているよりもずっと強い人。それに、将ちゃんにはまだやるべきことがあるでしょ?」

「……やるべき、こと?」

「生徒たちを導くことだよ。将ちゃんは先生なんだから。きっとこれから先、私と同じように、将ちゃんを必要とする子がたくさん現れる。将ちゃんはその子たちに手を差し伸べてあげて。……私はもう十分に、将ちゃんに助けてもらったから――大丈夫だから」

 これは呪いだ。将人を生かす呪い――唯菜はそれを将人にかけようとしているのだ。

 唯菜から――好きな人から「生きて」と言われて、無下にできるはずもない。

 東城先生はこうなることを見越して、唯菜にデスゲームの最後を託したのだ。 

 唯菜も東城先生の考えを汲んで行動している。将人が生きることを望んでいるからだ。

 将人は天井を見上げた。蛍光灯が、刺すような光を無慈悲に将人へと投げかけている。

 唯菜の手から拳銃を奪って、自らのこめかみを撃ち抜きたかった。

 唯菜に「ありがとう」って伝えながら、自分が死にたかった。

 だけど、その行為が唯菜を傷つけてしまうことは明らかだった。

 将人が死に、唯菜が生きる――その未来は、唯菜のためと言いながら、将人の自己満足にすぎないのだ。

 本当に、本当に唯菜のためを思うのなら……。

 将人は歯を食いしばる。視界が滲む。蛍光灯の光が波のようにうねりだす。

「……ありがとう、将ちゃん。私のわがままを聞いてくれて」

 将人は唯菜へと視線を戻す。

 彼女も泣いていた。

 泣いて――笑っていた。

「さよなら」

 銃声が鳴った。

 白み始める空の向こうまで、その銃声よ届いてくれと思った。

 

 第百五十三回師徒ゲームの結果

 終了時刻:五時五十八分

 生存者:稲村将人(教師)


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