絹白学園
「稲村先生。この問題が分からなくて――」
「ちょっと、私が先に質問していたのに、割り込まないでよ」
「あたしが先だって」
「いやいや、うちでしょ」
稲村将人は、教卓の前で女子高生たちに囲まれていた。
三限目の数学の授業を終えて、休み時間に入るやいなや、授業を聞いていた生徒たちから質問攻めに遭ったのである。
どうして質問しにくるのが、女子生徒ばかりなのか。
将人がイケメンで人気者の教師だから、というわけではもちろんない。
単にこの学校――絹白学園が女子高で、女子生徒しか在籍していないのである。
一クラス四十人。そのすべてが女子生徒という環境は、共学育ちの将人からすれば、かなり異質に映った。新任教師として絹白学園にやってきて一か月が経った今では、その違和感もだいぶ薄れつつはあるのだが。
「君たち、順番に並んで。まず、この問題だけど――」
将人が生徒たちの質問に順に答えていると、次の授業の開始を告げるチャイムが鳴った。
しまった――将人は慌てて教室の前の扉へと目を向けた。
そこには、次の現代文の授業を担当する新島香菜先生の姿があった。
彼女はおどおどとした様子で、眼鏡越しに将人のほうをちらちらと見ていた。自分が教室に入ってもいいのか、あるいは生徒たちの質問が終わるまで廊下で待ったほうがいいのか、決めかねている風に見える。ベテランの教師なら「次は私の授業時間だから」と遠慮なく入ってくるのだろうが、彼女は将人と同じく今年働き始めたばかりの新任教師。他の先生が生徒を教えている場面で、入室するのを躊躇っても不思議ではない。
「新島先生、すみません。今すぐどきます」
将人は教卓に広げていた教材などを片付けながら、周りの生徒たちに「質問はまた後でな」と告げる。
「え~!」
生徒たちから不満の声が上がるが、次の授業担当の新島先生に迷惑をかけているのだ。悠長にしていられない。
「い、いえ。大丈夫ですよ、稲村先生」
新島先生はそう言ってくれるが、悪いのは百パーセント将人である。
将人は手早く教卓の上を片付けて、教室を出た。
「本当にすみませんでした」
新島先生とすれ違うとき、今一度謝罪する。
「い、いえ」
新島先生は文句一つ言うことなく、そのままそそくさと教壇へと向かった。
将人が教室を後にする前、ふと教室へ目をやると、将人を囲んでいた女子生徒たちが、新島先生には目もくれずに各々の席へと戻っていくのが見えた。将人が教室に入るときは、いつも「稲村先生、今日も授業楽しみです」などと声をかけてくれるのだが……。
そう言えば一度、同じ二年生のクラスを受け持つ同期として、新島先生に「授業後の生徒たちの質問攻めが激しくて」という話を何気なく振ったことがあった。そのとき彼女から「そ、そうなんですか。私は一度も質問を受けたことないですけど」という答えが返ってきて、どう話を繋げようかとしどろもどろになった記憶がある。
その後、他の先生たちにも何気なくその話を振ったところ、どうやら生徒たちは男性教師だけに積極的に質問をしているようだった。
なぜ男性教師だけに質問を……?
疑問に思ったが、それらしい答えは思い浮かばなかったので、そのときの将人は考えるのを放棄したのだった。
将人は今一度考えてみたが、冴えた答えはやはり思い浮かばない。
まあ、気にするほどのことでもないか。
将人は考えるのをやめて、職員室へと向かった。