スピンオフ:「裏生徒会編」
第一章 "理想"という名の檻
放課後の特別棟、その最奥。
旧理科棟の地下にひっそりと存在する部屋は、知る者も少ない。
“裏生徒会室”――正式な記録には一切残っていない、けれど確かに学園を動かす“もう一つの中枢”だった。
「……また、失敗か」
モニター越しに表示されたデータを前に、会長――氷室 昴は静かにため息をついた。
鋭利な目元と、整った顔立ち。
けれどその眼差しはいつも疲れていて、どこか憂いを帯びている。
彼の指先がタブレットを滑ると、被験者リストに赤いエラーランプが灯る。
「第七試行体、統合率58%。精神不安定化。破棄申請を」
「……また“崩れた”んですね」
そう言ったのは、副会長の柏木 理人。
銀縁メガネの奥の瞳が冷静に輝いている。氷室とともに、この“裏の計画”を指揮する立場にある人物だった。
「何人目でしょう、氷室先輩。もう覚えてませんよ、俺」
「十七人目だ」
「そんなに?」
「……少ない方だよ、理人。過去の記録と比べれば、まだ人道的なほうだ」
“人道的”――その言葉に、理人は皮肉めいた笑みを浮かべる。
「倫理委員会に言えば即アウトですけどね。もっとも、“記憶封鎖”のプロトコルで誰にもバレていませんが」
「お前はいつも飄々としているな。嫌にはならないのか?」
「嫌ですよ。でも、必要でしょ。“個”では乗り越えられない壁がある。だったら、“ひとつ”になるしかない」
「統一意識か……」
氷室は視線を逸らし、背後の壁にかけられた古い肖像画を見つめた。
“最初の生徒会”とされる一団。その中に一人、顔立ちの似た青年が写っている。
「……あれが僕の兄だ」
「なるほど。血筋で引き継がれてきた“理想”ってわけか」
「違う。“呪い”だよ、これは」
氷室 昴がこの学園に入学したのは、兄・氷室 零が事故で姿を消した一年後。
彼は“学園の闇”を暴くために、自らその闇に潜った。
表の生徒会ではなく、裏側の記録に残らない“会”へ。
やがて彼は、先代の裏生徒会長の座を継ぎ、計画を推し進めることになった。
――“記憶”を一つにすることで、争いも誤解もなくなる世界。
それは理想に思えた。
だからこそ、理人も加わった。いや、加担した。
「……次の候補、決まっています」
理人が操作パネルを開く。
「浅倉 慎――適合率92%。既存記憶の干渉を最小限に抑えられる“純粋な器”。今回こそ、成功する可能性があります」
「……その少年は、何を望んでいる?」
「“理解”です」
「……」
「家でも学校でも、誰にも気づかれなかった。誰かと、ただ一度でいい、“わかりあってみたい”と願った。それが、彼の核です」
“その感情は、俺たちと同じだ”と、氷室は思った。
けれど、そこに“自分”を重ねることは許されない。
なぜなら自分は“仕掛ける側”であり、望んで“手を汚した者”なのだから。
「なら、決行しよう」
「はい」
だが、このとき氷室はまだ知らなかった。
この“第七実験”が、自分たちにとって最後になることを。
***
“あの夜”――慎が意識を失い、図書館の奥に消えてから数日。
裏生徒会室の空気は変わっていた。
記録装置は停止し、補助システムは不具合を起こし、保安装置も誤作動が相次いだ。
まるで“何か”が干渉しているようだった。
「……氷室先輩。これは、“統一意識”が外部と接触を始めている証拠です」
理人が静かに言った。
「慎が、“扉”を開いた。自発的に。僕らが介入するまでもなく」
「どういうことだ?」
「“彼”が……誰かを求めているんです。“完全なる記憶”を持つ者。あるいは、自分と“共鳴”できる者」
その瞬間、モニターに異常なエネルギー値が表示された。
空間歪曲、記録過負荷、精神波形の暴走――そして。
表示されたのは、“三人の生徒による接触”。
「天城 想真。星乃 結月。加賀見 蓮」
「……“選ばれた”のか」
理人は、静かに呟いた。
「僕たちは、“選ばなかった”。“理解”ではなく、“操作”を選んだ。だからもう、彼らには敵わない」
「……お前は、それでいいのか」
「ええ。むしろ、少し羨ましい。氷室先輩も、本当はそうじゃないんですか?」
「……」
氷室は黙っていた。
やがて彼は、肖像画の前に立ち、ポケットから“あるもの”を取り出した。
古びたUSBメモリ。そこにはすべての記録――裏生徒会の全実験、全観測データが保存されている。
「……これを、封印しよう。二度と、誰かの心を壊さないように」
「了解しました。では、これをもって――“裏生徒会”は解散です」
***
今――。
旧棟のその部屋は、誰にも使われていない。
床のタイルには、もう踏みしめる足音もない。
だが、その中央にぽつんと置かれた机の上には、一冊の本が残されていた。
『統一意識計画・記録抄本』
ページの端には、黒インクでこう記されている。
――「理解」とは、混ざることではない。
違いを知り、認め、なおそばに在ろうとすること。
氷室 昴
そしてその本は、やがて――
学園図書室の、誰も気づかない一角に静かに紛れ込んだ。
それを開く者が現れるのは、まだ先の未来のことかもしれない。
けれど、“記憶”は、生きている。
誰かがそれに手を伸ばす限り――。
――Fin/裏生徒会編 第一部 完