7 統一意識(ユニファイド)と最後の選択
――扉の先は、無音だった。
耳を塞がれたような、あるいは心の奥にまで静寂が染み込んでくるような感覚。光に包まれた空間のはずなのに、肌寒さが骨まで伝わってくる。
そこは、“誰かの心”の中のようだった。
「ここが……“ユニファイド”の中枢?」
俺は足元を確かめるように歩を進める。床は存在せず、けれど確かに何かを踏みしめている感覚だけがある。
結月は俺の少し後ろ、蓮は前に立ち、慎重に視線を巡らせていた。
「ここ……まるで夢みたい。現実の感触がしない……」
「これは記憶でも、記録でもない。“意識”そのものだ」
クロノニャの声が響く。
「あなたたちは今、“統一意識”の最深部――かつての実験で統合されかけた七つの記憶の残滓に触れているの。その中心にいるのが……“彼”よ」
と、その瞬間。
――目の前に“人影”が現れた。
黒い靄を纏ってはいるが、明らかに輪郭を持った存在。少年のようでもあり、大人びた顔立ちにも見える。瞳は虚ろで、しかし強い引力を感じさせる。
「……浅倉、慎……?」
蓮が呟くように名を呼んだ。
“それ”は、ほんのわずかに顔を上げた。だが、そこに彼の面影はなかった。
『「「わたしは……わたしたちは……“すべて”」」』
声が響く。重なり合うような、多重の声。
「孤独は……苦しかった。誰かとつながっていたかった。理解されたかった。わかりあいたかった……だから、“統一”した」
「……君は、自分を失ってまで……?」
俺は思わず問いかけていた。
“慎”――だったものは、静かに頷いた。
「個は、痛み。記憶は、孤独。わたしたちは、それを越えた先を見た……だが、誰も……“ついてこなかった”」
「だから、自分の世界を造ったのか」
蓮が一歩前に出る。
「けどな。理解ってのは、一方的に押しつけるもんじゃねぇよ。ぶつかって、ズレて、少しずつ噛み合ってくもんだろ」
慎の瞳が、かすかに揺れた。
「君たちは……ひとつになりたいと思わないのか?」
「思わない!」
結月の声が、空間を裂くように響いた。
「たしかに、誰かと一緒にいるのは安心する。ひとりだと怖い。でもね……自分じゃなくなって、全部が混ざって、それで“幸せ”なんて言えない!」
「私は、そうま君が本を好きなことも、蓮くんがバカみたいにまっすぐなことも、ぜんぶ“その人だから”好きなんだよ!」
――沈黙が落ちる。
やがて、“慎”の影が小さく揺れた。
「……なら、君たちが選びなさい」
黒い空間の中に、再び選択肢が浮かぶ。
《統一意識へ接続し、世界の痛みを取り去る》
《統一意識を解体し、記憶を元に戻す》
その瞬間、俺の胸の中に、ひとつの“記憶”が流れ込んできた。
――机に伏せて泣いていた、幼い慎。
誰にも気づかれず、声を殺していた。
でも、その背中は必死だった。誰かに、見つけてほしかった。
「……慎。君は、間違ってなんかいない。ただ、ちょっと、やり方を間違えただけだ」
俺は選択肢に手を伸ばした。
「俺たちは、君の記憶を返すよ。きっと、誰かが君とちゃんと向き合える。孤独じゃない世界は、“全部を同じにする”ことじゃなくて、“違いを抱きしめる”ことだ」
選んだのは――
《統一意識を解体し、記憶を元に戻す》
――光が、はじけた。
***
気づけば、俺たちは図書室に戻っていた。
あの、いつもの、静かな図書室。窓の外には夕日。書架には、あの日と同じように本が並んでいる。
「……戻った……?」
「にゃあ」
足元で、ミョルニャが鳴いた。
「統一意識は崩壊したにゃ。記憶は個々に戻され、“彼”は深層の眠りについたにゃ」
「じゃあ、浅倉は……」
「病院で保護されたって。記憶はまだ混濁してるけど、もう“同化”の危機はないにゃ」
「……よかった」
俺は、静かに目を閉じた。
結月が、そっと俺の袖を握る。
「……ありがとう、そうま君。蓮くんも」
「おう。……なんか、あっという間だったな」
「いや、長かったろ、どう考えても……」
「じゃあ、帰りにジュースおごってよ。がんばったし!」
「自分から言うなよ」
そんなふうに笑い合いながら、俺たちは図書室をあとにした。
ただ、最後に一度だけ、振り返った。
そこには、本棚の一角に、見覚えのある本が並んでいた。
『賢者の書』――その背表紙は、静かにこちらを見つめているようだった。
物語は、まだ終わらない。
いつかまた、扉が開くそのときまで。




