6 深層図書館の最奥
――ギィィィィィ……
軋むような重たい音とともに、巨大な扉が開かれた。
そこは、今までとはまるで違う空間だった。
暗い。
静かすぎる。
音が吸い込まれていくような感覚。
壁一面に本が積み重ねられた書架が並び、それらは天井が見えないほど高くそびえ立っていた。床は黒曜石のように光を反射し、視界の先に何があるのかもわからない。
「……ここが、“深層図書館の最奥”……?」
俺の声は、まるで水の中に沈んでいくように響きもせず消えていった。
「これまでと……空気が違うね……」
結月が不安げに俺の袖を引いた。
「ここ、今までと違って……“息してる”みたいな感じがする。図書館のくせに、まるで生き物みたい……」
「感じるにゃ。ここが、“記憶の核”そのものにゃ」
ミョルニャの声も、わずかに緊張していた。
「この最奥には、“封じられた記録”があるにゃ。裏生徒会が隠していた、もっとも古くて危険な“知識”……」
「じゃあ、ここがゴール?」
「ゴール……ではないにゃ。むしろ、ここからが始まりかもしれないにゃ」
その時。
「……ふふふ、ミョルニャ。相変わらず説明が堅いわねぇ」
どこからともなく、ふわりと柔らかな声が響いた。
俺たちが振り返ると、そこには――
一匹の猫が、悠然と佇んでいた。
毛並みは漆黒。首には金色の鈴。瞳は片方が蒼く、もう片方は赤く輝いていた。優雅でありながらどこか禍々しさも感じさせる、もう一匹の“案内猫”。
「誰……?」
結月が身を寄せてくる。俺も、少しだけ背筋がこわばった。
ミョルニャが、眉をひそめるような仕草をする。
「……お前、まさか……“クロノニャ”かにゃ……」
「ご名答。賢者の書に仕える、もう一匹の番猫よ。ミョルニャとは姉弟の関係かしら。ま、血は繋がっていけど」
クロノニャ――そう名乗ったその黒猫は、尻尾を優雅に揺らしながら、俺たちを見回す。
「ようやく、ここまで来たのね。記憶の迷宮をくぐり抜けて、己の心を覗いた子どもたち」
「……あんたは、何者なんだ?」
蓮が一歩前に出た。怖気づくどころか、逆に距離を詰める姿は、まるで獣のように鋭い。
クロノニャはくすくすと笑った。
「わたしは“観測者”。この図書館に封じられた記憶を見届け、必要とあらば“鍵”を渡す存在」
「鍵……またか。何の鍵だよ?」
「“記憶の封印”を解く鍵。すなわち、“実験の全貌”に至るための最後の扉よ」
空間がざわりと揺れた。
その瞬間、空中に光の文字が浮かび上がった。
《学園特別研究計画書――記憶統合による人格拡張》
《被験者:浅倉 慎 他 6名》
《最終段階:記憶の共有による統一意識の創造》
「……なんだこれ……」
蓮が目を見開く。俺も、喉がからからになった。
「学園は、ただの教育機関なんかじゃなかったの……?」
「ええ、もともとこの学園は“研究施設”だったの。優秀な子どもたちを集めて、特殊な記憶操作を行う。知識、経験、感情さえも統合し、ひとつの“完全なる意識”を創ろうとしていたの」
「……そんなこと、許されるわけ……」
「でも、やったのよ。あなたたちの知らないところで、確かに」
クロノニャの目が、一瞬だけ憐れみの色を宿した。
「そして失敗した。記憶は暴走し、“統一意識”は崩壊した。それが、黒い靄の正体よ。意識と記憶が融合しきれず、迷宮に溶け出した残滓」
「じゃあ、あれは……ただの“実験の後始末”ってことか?」
「違うわ。まだ“残って”いるの。誰かを探してる。“完全な記憶”を持った誰かを。つまり――」
「俺たち、か……」
呟いた瞬間、背筋がぞわりと冷えた。
「あなたたちは、奇跡的に適合率が高い。三人で迷宮を突破し、鍵を手に入れた。だからこそ、今ここで問うのよ」
クロノニャの瞳が光を帯びる。
「“扉を開きますか?”」
空間に、問いが浮かぶ。
YES / NO
選択肢のように、静かに宙に浮かんでいる。
「……もし開いたら、どうなる?」
「真実が見える。そのかわり、戻れないかもしれない」
「戻れないって……」
「精神が記憶に同化する危険がある。“今の自分”という存在を保っていられる保証はないわ」
静まり返った空間で、三人の呼吸だけが聞こえた。
蓮が、静かに息を吐いた。
「……でもな。ここまで来て、見ないで帰るなんて、俺にはできねぇよ」
「蓮……」
「お前らはどうする? ソーマ、結月」
俺は、答えを決めていた。
「……開けよう。ここで止まったら、何も変わらない」
結月も、震える声で言った。
「私も行く。こわいけど……でも、二人と一緒なら……」
クロノニャは、満足そうに笑った。
「いい返事ね。さぁ、扉を開けましょう」
鈴が鳴った。
空間の奥に、“光の扉”が現れる。
それは、記憶の核であり、真実の核心。
俺たちは、ついにそこへ足を踏み入れようとしていた。