3 記憶の迷宮と失われた生徒
「……うわ、なんか空気ちがうね、ここ」
「おい結月、さっきから五回目な、それ」
「え、そうだった?」
「だった!」
階段を降りきった先には、不思議な空間が広がっていた。石造りの廊下が左右に伸び、壁一面に本棚が並んでいる。本にはラベルもタイトルもなく、ただ黙ってそこにあるだけ。
まるで、本そのものが記憶を持っているかのようだった。
「これ……本当に“記憶”の中なのか……?」
蓮が周囲を見回しながら呟く。俺もまったく同感だった。図書室の奥に、こんな空間が隠されていたなんて、誰が想像できただろうか。
「にゃあ」
そのとき、足元から声がした。
「……猫?」
現れたのは、真っ白な毛並みの猫だった。首輪に銀色の鈴をつけ、ふてぶてしいほど落ち着いた目でこちらを見上げている。
「まさか……君たちが次の“探索者”かにゃ?」
「しゃ、しゃべったーーー!!??」
結月が腰を抜かしかけた。
「にゃ、ってなんだよにゃって! この猫、しゃべってるよな!?」
「まあ、猫ですけどね」と猫は堂々と胸を張る(猫に胸があるのかは知らないが)。
「オレは“ミョルニャ”。この記憶の迷宮の案内役だにゃ。さっきのメガネのやつが言ってたろ? 最初の迷宮に行くって。それをナビゲートするのがオレの役目」
「ミョルニャって……それ、なんか武器の名前っぽい」
「気にするにゃ。案内役なんだから、ミョルニャでいいのにゃ」
「語尾の“にゃ”は絶対いらないだろ!!」
「つっこみがいのある奴らで助かるにゃ。じゃあ、さっそく“記憶迷宮・第六層”に向かうにゃ。そこには五年前に消えた生徒の記憶が眠ってる」
俺たちは、ミョルニャに導かれながら廊下を進んだ。
やがて、黒い扉の前にたどり着く。
「この中が、記憶の再現空間にゃ。中では記録された本人の記憶を“追体験”することになるにゃ。ただし、君たちは“干渉者”にはなれない。話しかけても、触れても、相手には君たちは見えない。あくまで記憶を“読む”だけにゃ」
「なんか……映画みたいな感じ?」
「だいたい合ってるにゃ。じゃ、行ってらっしゃい」
ミョルニャのしっぽが軽く扉に触れた瞬間、黒い扉が音もなく開いた。
――そして、空間が変わった。
そこは、教室だった。
ざわめき、机の配置、掲示物……それはまぎれもなく五年前の学園の風景だった。生徒たちは談笑し、教師がプリントを配り、窓の外には春の陽射しが差し込んでいた。
「……ここ、普通の教室じゃん」
「この中のどれかが、失踪した生徒の記憶ってことか?」
「誰だろうね? みんな普通に見えるけど」
「……あれじゃね?」
蓮が指差した先――教室の隅、一人で黙々とノートに何かを書いている男子生徒がいた。
髪はやや長く、表情は固い。周囲と関わることを避けているようにすら見える。
「……彼が、失踪した“浅倉 慎”かもしれない」
そう思った瞬間、場面がふっと切り替わった。
ざっ、と教室が色を失い、空間が別のものに変わった。
――図書室。
そこには先ほどの少年、浅倉 慎がいた。そして、彼の目の前には……あの“賢者の書”が置かれていた。
「……あれ、俺が触った本じゃ……」
慎はそれに手を伸ばし、そして――。
彼の周囲の空間が、音を立てて崩れた。図書室の床が割れ、書架が倒れ、記憶の中の世界が崩壊していく。
「わっ!? な、なにこれ!? なにこれホラー!? ホラー入った!?」
「結月! うるさい! 今は集中しろ!!」
空間のひび割れから、“何か”が現れた。
黒い靄のような、人影のような、はっきりしない存在。それが慎の背後にぴたりと張り付き、彼の耳元で何かを囁いていた。
(――見つけて。鍵を見つけて)
慎は、それに頷き――そして、記憶はぷつん、と途切れた。
気がつくと、俺たちは元の石の通路に戻っていた。
ミョルニャが、しっぽをゆらゆらと揺らしながら待っていた。
「見たかにゃ? それが、“記憶に飲まれた者”の末路にゃ」
「……あれは、何だったんだ? あの黒い靄……あれに取り憑かれて、浅倉慎は……」
「わからないにゃ。でも、その存在は迷宮の奥に潜んでいるにゃ。そして今も、選ばれた者の心を狙っているにゃ」
「つまり、俺たちも……?」
「そういうことにゃ。けど、君たちには可能性がある。三人で挑むことができる者は、これまでにいなかった。普通、記憶の迷宮は“個人”しか呼ばれないはずにゃ」
「じゃあ、俺たち三人が一緒にいたことは……」
「異例中の異例にゃ。だからこそ、オレは君たちに賭けたいにゃ。深層図書館の謎、失われた記憶、そして黒い靄の正体――その全てを解き明かせるのは、君たちだけかもしれないにゃ」
俺たちは、顔を見合わせた。
結月がちょっと不安そうに、
「……あのさ、私、実は推理とか全然わかんないんだけど、大丈夫かな?」
とぼそりと言った。
俺は笑って答えた。
「その分、直感があるだろ。それに……一人じゃ不安だけど、三人なら行ける気がする」
「俺も。たぶん、ソーマの推理力と俺の瞬発力と、結月の……天然ボケが奇跡を起こすかもしれん」
「ちょっとぉ!? 天然ボケって言った!?」
「言った!」
ミョルニャが、ぴょんと俺の肩に乗った。
「じゃあ、次の階層に向かうにゃ。そこから先は、記憶だけじゃなく、君たちの“過去”とも向き合うことになるにゃ」
「俺たちの……?」
「にゃふふ、楽しみにゃ」
猫の尻尾がゆらりと揺れ、再び、新たな扉が開かれた――。