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第七話 絶対に


「くそ、くそ、ちくしョう!!」


 ボルクは泣きながら走っていた。

 ミミを背負いながら、暗い夜の闇が蔓延する森の中を、平地を全速力で走り抜けることに比べ遜色ない速度で走っていた。

 ドラゴンの目を持ってすれば、夜の闇でも関係ない。

 転倒するリスクもなく森の中を駆け抜けていく。


「オレっちは、オレっちはなんで」


 あの時反論出来なかったのか。

 その事がボルクの頭の中を駆け巡っていた。


 黒猿を前にして、人間であるゼンシンを置いていくことは死亡宣告に等しい。

 モンスターであるボルクはそれを強く理解していた。


 特に魔力を扱えないゼンシンなら尚更である。

 プロの狩人や魔術師は魔力を扱い魔物を退治できるそうだが、ゼンシンはその限りではない。

 サポートスキルを扱えるとは言っても、付け焼き刃だ。

 本気を出した魔物に勝てる要素など万に一つもありはしない。


 しないけれど──あの場で言い返せなかった。


 ミミを背負って、ボルクが駆け抜けた方がミミの生存率が上がる。

 そう。最初からゼンシンの勘定には、自身の命は入っていないのだ。


 そんな彼を置いてきて、どうなるかなんて想像するまでもない。


「オレっちが……ブレスを撃てれば」


 全ては変わる。


 そう。ボルクが普通のドラゴンだったならば。




 火龍の国。

 火龍が暮らす、火山活動が活発な活火山に火龍は棲家として国を形成していた。

 国とは言っても、人が勝手にそう呼んでいるだけで、ドラゴンからしたらテリトリーと言った方が正しいだろう。


 そこではボルクのように翼を持たない火龍と翼を持つ、二種類の火龍が共存していた。

 火龍の特徴はその名の通り、炎を扱えるドラゴンであり、口から強力な火炎ブレスを放てる。

 ドラゴンが自分から歩けるようになる頃、自然と皆火を吹けるようになった。


 それは頼りない小さな火だ。

 焚き火はおろか、煙さえ上がるかどうか心許ないほどの。

 しかしその微かな火こそ、真のドラゴンとして認められる第一歩だった。

 同世代のドラゴンが既に炎を吐く中、ボルクはまだその力を得られずにいた。

 ブレスこそがドラゴンの証ならば、それを持たぬ彼は、同年代のドラゴンからの容赦ない虐待の的でしかなかった。


『大丈夫。ボルクは少し遅いだけ。必ずブレスを撃てるようになるわ』


 忙しい父に代わり、子育ての全てを担っていた優しき母がそう(なだ)める。

 ボルクは皆が自分を馬鹿にしても、母だけは味方である事が嬉しかった。


 それさえあれば良かった。

 だが、身体の弱かった母年月が経つにつれて衰弱し、ボルクが齢十を迎える年にその命を終えた。


 唯一の味方であった母が死んだ事実は大きく、ボルクに精神的な負荷を与えるだけにとどまることはなかった。


『追放である』


 火龍の王である豪炎龍王プロクスのその言葉により、ボルクはその日のうちにテリトリーを追い出された。


 誰一人仲間がいない中、ボルクは自身の不出来さを呪った。

 ブレスさえ吐ければ、こんなことにはならなかったはずなのに。


 ボルクは深い森の中を彷徨った。

 生息する魔物は火龍を恐れているため姿を現すことはなかった。

 それでも一人は寂しく、夜の闇に包まれた森の中はボルクの孤独を増大させた。


 一人まるまり、眠りにつく中、脳内に声が響く。


『俺の名前は──ゼンシン!』


 それは心の芯を燃やすような熱い声だった。



 そうして、ボルクは召喚に応じた。

 なぜかその瞬間の記憶が蘇った。

 走馬灯。死ぬのは自分ではない。

 まさか。


 嫌な予感が走る。

 最上級の生命体、ドラゴンの第六感が告げている。

 今すぐ戻れ、と。


「あ」


 戻るかどうかの葛藤をしていたその時、視界の闇が晴れる。

 月光に輝き、静かな風に踊る草原。

 そこに一人、いや一匹で待つ角兎の姿が。


「きゅい! きゅぃぃ!」


 ボルクはアルミラージにミミを渡す。

 ミミの傷は浅くはないが、命の危険があるようなものではなかった。


 ──だが、このまま置いていって良いのか?


 ボルクの脳に走る考え。

 今すぐにでもゼンシンを助けに行きたい。

 だが総じてメスとは弱い物だ。

 せめて家まで送って行った方が、


「行って……ボル君」


「人間のメス! お前、話せるのか?」


「私、なら大丈夫、だから」


 途切れ途切れで紡がれる言葉には、安心できる要素は何一つなかった。

 どうしてもあと一歩が踏み出せない。

 決めあぐねるボルクを見て、何を思ったか。


「ゼンシンね、この前図書館にいたの」


「は? なに、を」


 ミミの突然の言葉に、ボルクは頭がついてこなかった。

 戸惑うボルクを置いて、ミミは続ける。


「本を読むのが苦手なくせに、何しに来てるんだろうって思ったら、ドラゴンについて調べてたの。ボルクを理解してあげられない。俺はテイマー失格だって。何を、焦っているんだろう(・・・・・・・・・)って」


「…………!!!」


「ボル君がどうしてゼンシンの言うことを聞かないのか。ブレスにこだわっているのか、私はわからないけど、少なくとも、ゼンシンは信じてると、思う」


 虚な目はもう目が見えていないのかもしれない。

 それでもしっかりとボルクを見て、掠れるような声で、ミミは言う。


「ボル君が本当は誰より強いってこと」


「────」


「だから行って。それで、勝ってきて。身勝手なお願いなのは分かってる。それでも、今私に出来ることは」


 涙を流していた。

 ミミのその顔は、無力な自分への絶望──かつて、ボルク自身のような顔だった。


「貴方を、送り出すことだけだから」


 ボルクは走り出す。

 森の闇の中へと向かって。



 —



(もう、ダメか)


 サポートスキルが人間にも扱えることはこの一ヶ月半で理解していた。

 強化による腕っぷしの対決は僅かに俺が負けた。回避による致命傷を避けても、黒猿はまるで遊ぶように石を投げていた。

 十分すら持たない戦闘時間の末、俺は黒猿に首を掴まれて気道を塞がれていた。


「か……っそ」


 腕を伸ばすが黒猿の腕の長さは俺の一.五倍はあった。

 空気を掴むような仕草に黒猿は嬉しそうに笑っている。

 徐々に持ち上げられ、自重で首が更に閉まり、抵抗力が削がれる。


 意識が薄れて、視界が霞む。

 ミミは無事だろうか。

 少なくともボルクの脚力があれば、森は脱出しているはずだ。

 時間稼ぎとしては申し分ない役割をしたはず。


 落ちていく意識の中、そんな淡い安堵をして、俺は気絶す──


「うおおおおおお!!!!」


 瞬間、俺は思い切り地面に叩きつけられた。

 と言うよりまるで重力によって下に落ちたような感覚。

 首の苦しさは消えて、急速に補充される酸素の感覚に、肺が思い切り咳き込ませる。


「がほ、っほ……な、何が」


 消えかかっていた視界は徐々に色を取り戻し、世界の真実を暴き出す。

 俺の目の前には心配そうに顔を歪めるボルクがいた。


「やッぱり死ぬとこじャねェか!」


「はは……計算ではもうちょい、稼げる予定だったんだけど」


「計算ッて……」


 ボルクは何かを言いたげにしていたが推し黙る。

 彼の中で何か葛藤があるのだろう。

 ボルクが黒猿と戦うのに適してない、と判断されたからこのような事態になったとでも思っているのだろう。

 酷い勘違いだ。


「ボルクがミミを連れてこの場を離脱するのが良かったと、俺は思ってる。あの判断は間違いじゃない」


「でも、オレっちが意地を張らなきャ……あ」


 出してはいけない言葉を出してしまったと、言わんばかりにボルクは口を閉じた。

 しかし一度心のダムが決壊して仕舞えば、心は言葉になってとめどなく溢れ出す。


「馬鹿に、されたくなかッた……オレっちは棲家から追放されて、ブレスができなかッたから、だからまた要らないッて言われるんじャないかッて。一人でも戦えることを証明したくて」


 溢れた想いはチグハグで、多分自分でも何を言っているのか分かっていないかもしれない。

 だが、わかる事が一つだけあった。


「悪龍ブーマー(・・・・)


 この感情は恐怖だ。

 ボルクはずっと恐れていたのだ。

 俺に、嫌われてしまうことを。


 俺の言葉にボルクは目を大きく見開いた。


「昔、炎を吐けず、同じドラゴンに迫害されて魔物へと堕ちてしまったドラゴンの名前だね。その言葉と勘違いして、ボルクはブービー(最下位)に怒っていたけど、似たような意味なのか?」


「ブーマー、は」


 俺の言葉に恐る恐るボルクは語り出す。


「ドラゴンの差別用語で、出来損ない、ッて意味だ」


「そうか」


 なんとなく予想はしていた。

 決して、良い意味を持つ言葉でないことくらい。

 だから、


「え、なに、を」


 俺はボルクを抱きしめた。

 彼は今、過去の傷跡に怯えている子供なのだ。

 また傷つけられるかもしれない。

 だから彼は吠える。

 指図するな、俺はできるんだから見ておけ、と。


「俺は感謝してるんだ、ボルクに」


 だからまずはその間違いを正さなくてはならない。

 ボルクは、何者でもないという勘違いを。


「魔力が扱えない俺は、剣士になれない。魔術を使えない。誰よりも作業効率は劣るし、疲れやすい。そんな俺がつける職業なんて、本当は何もなかったんだ──モンスターと一緒に戦うテイマー以外は」


 剣を扱うにも、魔術を扱うにも、(くわ)を振ることにさえ、魔力は関わってくる。

 当たり前に魔力が皆使える世界で、魔力が使えない俺は、何者にもなれないただの無能だった。


 育ての家族に恩も返せず、そのまま腐っていくだけの運命に光明が差したのは、テイマーという役職だけ。

 そのテイマーという役職からでさえも、見放されそうになっていた俺がテイマーになれたのは。


「何者でもなかった俺を、何かに変えてくれたのは、君なんだよ。ボルク」


 俺の言葉にボルクは震えていた。

 何かを感じるように。


「君がいたから俺はテイマーになれた」


 何かを疑うように首を振る。

 何かを信じられないように顔を歪める.


「だから俺だけは、君を裏切らない」


 恐怖に震える体を俺が止める。

 真剣に目を見て、俺の意思を伝える。

 ボルクは、静かに涙を流して、


「絶対に」


 俺の言葉に頷いた。

 今初めて、俺たちはテイマーとパートナーになった気がした。


「キキー?」


 黒猿の声が俺らを現実へと戻す。

 黒猿はまたしても行儀良く待っていた。

 彼の目的はわからない。そもそも魔物の目的なんてあってないようなものなので、自分の感情に抵抗なく従っていることがほとんどだという。

 つまり彼にとって俺たちを殺すことは目的ではないのだろう。


「さぁ、やるぞボルク」


「あァ……今度の目標は勝つ、で良いんだよな?」


「もちろんさ」


 立ち上がり、黒猿に向かい合う。

 俺もボルクもボロボロだ。

 二人とも満足に戦える姿ではない。


 こめかみに垂れる汗。

 どうやって戦うか、戦略を立てなければ。


「な、なんだ」


 と、その時。

 ポケットに入れていたマスターライトが光り始めた。

 そこにはLevel.2の文字が書かれており、強い光を放ったと思えば、俺の右手に纏わりついて、石からグローブへとその姿を変える。


「これは一体……」


「な、なァ、オレっち、提案があるんだけどよ」


「俺も言おうと思ってたんだ。思いは同じ、ってわけか?」


 二人で顔を見合わせる。

 どうやら思うことは同じだったらしい。


 ニヤリと笑い意思疎通する姿が気に食わないのか、黒猿はつまんなそうに顔を歪めている。


「行くぜ、ボルク! これが俺たちの最初の勝利だ!!」


「あァ、行くぜ!!」


 これが最初で最後の攻防になる。

 長い戦いは体力が持たない。

 一撃による決着こそが、望ましい。


 俺はグローブとなったマスターライトを構え、呼応するようにボルクは口を開けて黒猿に照準を合わせた。


 口内に炎が渦巻いて、周囲の温度が一気に上昇する。

 雑草は灰に、下生えは燃え、木々は恐怖に踊り出す。


 風が逆巻き、動物が逃げ出した。


「──────キ!」


 黒猿はその面を歪め、見下すように口の端を上げた。

 その場にあった小石を両手一杯に握り、腕を振り回しての投擲は人の身体を穴だらけにする散弾となって、襲い来る。


 そのまま立ち向かえば死は必至。

 ならば過去の不可能を超えて、俺たちは現在の壁を凌駕する─────!


「「豪炎咆哮(メギド・ブレス)!」」


 渾身を込めて言い放つ。

 それは俺らを敗北へと導いた死の呪文。

 土壇場で試すにはあまりにも博打が過ぎる所業だ。


 だが──試す価値はあった。

 グローブが白く光り輝く。

 ボルクの額の黒の紋章が浮かび上がり、霧散する。


 刹那、世界は静寂に沈み、一条の白い光が森の闇を晴らした。


 ボルクの口から溢れ出したのは咆哮を伴う灼熱の奔流、森ごと黒猿を焦がす本物の業火だ。

 黒猿の放った石は熱に溶け、黒猿は理解したこの終焉を。

 逃げる間もなく白光は黒猿を包みこみ、ボルクの炎の吐息が飲み込んだ。


 ボルクが刻んだ破壊の跡は深く、数メートル先まで森を黒く染め上げた。







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